Rudy Duranタイガーを4歳から指導。今日を築いた名伯楽

プロ転向後のコーチ、ブッチ・ハーモン程は知られていない。だがルディの指導抜きに、今日のタイガーはあり得ない

プロ転向後のコーチ、ブッチ・ハーモン程は知られていない。 だがルディの指導抜きに、今日のタイガーはあり得ない

3ヶ月の空白を経て、復帰したタイガー。世間は甘くなく、第一ラウンドは7つのボギー。金曜日も75(1ダブル、5ボギー)。2年ぶりの36ホール落ちで終わった。

この写真は、西暦2千年の春先。加州ゴルフ記者協会の、表彰ディナーでのモノ。場所はトム・ワトソンが、共同設計したスパニッシュベイの大宴会場。サイプレスポイントやペブルビーチと、同じモントレー半島。

最優秀選手として、表彰されたのは男子がタイガー。女子は99年全米女子オープン。そして全米女子プロ選手権で、二冠に輝いた、ジュリ・インクスター。その時この2人以上に、注目された受賞者がいた。ルディ・デュラン。タイガーを、4歳から10歳迄、育てた加州のプロ。実はこの年、ルディは引っ張りだこだった。

ゴルフの醍醐味は、何と言ってもバーディチャンスとの出会い。その可能性を、幼児のタイガーに植え付けたのが、このスコアカード

ゴルフの醍醐味は、何と言ってもバーディチャンスとの出会い。その可能性を、幼児のタイガーに、植え付けたのが、このスコアカード

米には多様な表彰が多数ある。USGA(米国ゴルフ協会)の、ボビー・ジョーンズ賞。これはプロアマを問わず、ゴルフ界の発展に寄与した実績。それに対して贈られる。受賞者の中には、大統領もいる。

ベン・ホーガン賞は、大怪我や病気を克服。依然として活動を、続ける競技者が対象。これは私たち、米国ゴルフ記者協会が選ぶ。

カード・ウォーカー賞は、ジュニア育成に、多大な結果を残した個人、または団体に、PGAツアーから贈られるモノ。

この頃タイガーは、絶頂期だった。このシーズンも、全米、全英両オープン。全米プロ選手権。そして翌2001年のマスターズ迄、四大タイトルを独占している。2年に跨がったことで、年間グランドスラムにはならなかった。それに代わり、米のマスコミは(タイガー・スラム)と、高評価した。

教え子が活躍すれば、当然指導者に脚光が当たる。カード・ウォーカー賞が、ルディに決まる迄に、時間は掛からなかった。

米ツアーは昨年から、通年での開催に変わった。それでもシーズンの初っ端は、正月明け早々マウイでの、トーナメント・オブ・チャンピオンズ。。前年の優勝者だけが招待される、エリートの顔見せ興業。カード・ウオーカー賞などの表彰式。それはすべてこの週はじめの、前夜祭で行われる。

ルディに対する最高の演出。それはこの時カードウォーカー賞の、プレゼンターが、教え子のタイガーだったこと。

前述した加州ゴルフ記者協会の表彰。それは、マウイでの授賞を受けてのモノだった。

移動中のタイガー。人種的な問題もあり、彼を常に、保安官(左後方)が警護していた。カートを運転するのは、父親アール。白い髭が最初のキャディ、フラッフこと、マイク・コーワン。若いタイガーは、この有能キャディからも、多くを学んだ

ルディがタイガーと出会ったのは、加州ロングビーチの(パー3の18ホールコース)ハートウエル・ゴルフ公園。激戦のベトナムへ、二度派遣され合計27ヶ月戦い抜いた、タイガーの父アール。彼が育て、2歳でテレビ出演する程の、天才振りを発揮していたタイガー。それでもアールは「遠からず、プロに預ける」ことの必要性を実感。近隣で一番の、教え上手を探し、白羽の矢を立てた。それがルディだった。

ルディが、タイガーを指導したのは7年間。彼が10歳の時に、諦めざるを得なかった理由。それは加州中部のゴルフ場から、ヘッドプロへの就任を、要請されたためだった。同地でルディは、いま自分のゴルフ場を経営。併せて(ザ・ファーストティ・プログラム)の責任者としても、先頭を走っている。

4歳のタイガーと、ルディが出会って、約20年後の姿が、この写真なのだ。

私の好きなドライブコース。その一つは加州の、海岸線近くを南北に走るルート101。途中には風光明媚な町、サンタバーバラもある。ルディの家もゴルフ場も、101沿いのパソロブレス。時折り訪れては、一緒にゴルフをし、翌日ペブルビーチまで足を伸ばすのが、何時もの旅程。

ドライブ中。繰り返し聞いた、タイガーとの昔話に、改めて花が咲く。

タイガーと接した、コーチとしてのルディ。彼は豊富なアイディアを駆使する一方で、指導者としての、厳しさも欠かさなかった。

ルディの最高傑作。その一つは、(タイガーのパー)を設定したこと。

「タイガーと初めて会ったのは、彼が4歳の時。早速ボールを打たせた。正直な話、信じ難い光景だった。僅か4歳の幼児が、殆どツアープロと思える、スイングモーションをしていたのだ」。
とは言え幼児の筋力では、飛距離は出ない。ハートウエル・ゴルフ公園の18ホールは、全部がパー3。だが長いものは、140ヤードとか150ヤード。4歳の幼児は、一打で届かない。

「一打で届かない距離は、パー4」。それがゴルフの常識。其処で、これら長いホールは、「パー3でなく、パー4でプレーさせた」とルディ。

例えば普通の距離のコースで、子供がゴルフをする。3百ヤード以上もあるホール。ここで子供達の飛距離では、7、8回打っても、グリーンには届かない。子供たちは興味を失う。

それに比べ(タイガーのパー)では、バーディチャンスが訪れる。これは子供達に、ゴルフの神髄を教える上で、最高の教材になる。

その後、成長するに連れ、顕著になったタイガーの、攻撃的なゴルフ。この基礎が築かれたのが、ルディの作った(タイガーのパー)。その恩恵だった。

日本と西欧のゴルフの違い。その一つはルールへの対応がある。日本のゴルフは、ルールに厳しさが少ない。

過日の日本ツアー選手権。ここでも最終日にルール違反が発覚。それで決着が就いている。男子プロでも、この程度なのだ。

一方のルディ。彼はタイガーと、2つのことで妥協しなかった。

「OKパットは(例え30センチでも)出さなかった。実はこの距離のパットが、ゴルフ最大の醍醐味。いや一番の難しさなのだ」。

1983年の全英オープン(ロイヤルバークデール)。強豪へール・アーウインは、30センチのパットを外して、ワトソンに一打差で敗れた。

「もう一つは、子供だからと言って、ルールの解釈で甘やかさない。ルールは大人も子供も同じ。これを徹底させた」。

現在のタイガーは、ツアー79勝。サム・スニードの持つ最多、82勝に並ぶ可能性は高い。その基礎を作ったのが、これらルディの、豊かな発想と、7年間の厳しい指導だった。(鉄を熱いうちに打った)からこその成功。そう思うと、この写真はゴルフ史の中で、大きな意味を持つことになる。

(June.30.2014)

日本Open一次予選。全県で行う勇気と見識。そして国際感覚

いま夏休みの米は、子供達を集めたゴルフが、全国各地で展開されている。その一つがこれ。ロジー・ジョーンズ(後列の白いバイザー)は、かつてLPGAのトッププロ。ソルハイムカップのキャプテンも務めた。 そして子供達の、この笑顔。商業色はゼロ。子供達の楽しみは、ゴルフの後のバーベキュー。これが一万人超の、全米オープンの予選出場者に結び付く

何でも米が、良いわけではない。だが、優れたモノを、参考にしない手はない。

日本のゴルフ人口減少。危急存亡の秋と、叫ばれて久しい。日本オープンを主催するJGA(日本ゴルフ協会)等は、それを何処まで、把握し理解しているのか。

危機感は、ほぼゼロと断言していい。それでなければ、一般ゴルファーに対し、もっと謙虚になるはず。これはゴルフ界だけの問題ではない。五十年、百年先を見据えた、日本の少子高齢化。及び中小地場産業が、直面している重大事。経済成長が落ちれば、消費者はゴルフどころではなくなる。

一方で世界の目は、いまアジア、そして中南米に注がれている。この両地域でのアマチュア選手権。その勝者は、マスターズに招待される。

その日本オープンと、全米オープンの単純比較。これをする必要がある。

まず彼らの予選は、二次に渡り実施される。一次は全米50州で。出場できるのはプロ、またはハンディ1.4以内のアマチュア。その合計が、今年1万127人に達した。従来の記録は、昨年のメリオンで9860人。史上初の一万人突破だった。競技人口の層の厚さ。これで熱狂は更に大きくなる。要するに全米オープンは、二次にわたるこの予選の時点で、既に火ぶたを切っている。それにしても、日本でハンディ1.4以内のアマチュアが、果たして何人いるだろうか。

比較しても始まらないこと。とは言え、日本オープン(シニアオープンも含め)予選に挑める、男子アマチュアのハンディは、6.4以内。それでも昨年の予選出場者は、プロを含め僅か167人(アマチュアは合計36人)と言う少なさ。そこにはナショナル選手権としての威厳。否、ナニをすべきか。それがまったく、明確にされていないことが判る。

日本の国土は米国の25分の一。それでも日本は、バブルの副産物として、2400超のゴルフ場を造った。放って置いたら、明日にも3割以上は淘汰される。日本オープンには、それを救済する責任がある。

そこで、もう一つの論点。それはナショナル選手権が、なぜ必要なのか。その部分だ。

それはゴルフだけの論争ではない。他のスポーツにも、当て嵌まる。天皇杯を賭けたサッカーから、陸上、水泳の日本選手権まで。それは国民に根付いたスポーツ競技。それを楽しむ、市民の数を増やす。同時に、関連する企業を支援育成する。それらの目的があるはず。

日本のゴルフには、その明確な方針がない。理由は簡単。指導すべき立場の組織JGA等に、その見識と、指導力が決定的に欠落しているからだ。それでなければ、4日間で一万人に満たない観客しか、入れられなかった昨年の日本オープン。責任者は腹を切るはず。

本題に入りたい。日本オープンも、2つの予選を本格化させる時代。まず全国各県で、一次予選を実施すること。現在6.4迄の、アマチュアのハンディキャップ。それをハンディ9迄に拡大する。全米オープンの1.4とは、比ぶべくもない。とは言え9迄なら、一応大衆憧れの、シングル・ハンディキャップ。それより何より、1.4と9辺りが、ゴルフに於ける、日米両国の、身の丈の差異。ここでの身の丈の意味。それは日常生活の中で、ボールを打つ。コースをラウンドする、回数の多寡と値段の違いに過ぎない。

一県で百数十人。合計6~7千人を集める。米の一万人超に肉薄。それは全国のゴルフ場に、多少でも活気を取り戻させることになる。ましてやJGAは、全国のゴルフ場から、年会費(18ホールで32万円。それ以上は、ホールが増えるに従い、年会費も多くなる)を取っている。当然の発想と義務だ。

ハンディ9が、最終予選に進出できる確率。それはほぼゼロに近い。それでも継続することで、現在の6.4では将来、予選さえ挑めない時代が到来する可能性。言わば啓蒙。福沢諭吉の学問のすすめならぬ、ゴルフの奨めに役立つ。その時までの暫定処置でいいのだ。

そこで参加者には、二つの参加賞を用意する。一つは洒落たバグタッグ。普段のゴルフでも、これを見た他のゴルファーや、従業員が「お客さん、出場したんですか。凄いですね」と、称賛する(競技ゴルファーとしての証)。もう一つは、日本オープンの招待券を一枚。スポーツばかりか、観劇も一人で、出掛けることは少ない。切符を一枚貰った人は、ほぼ例外なく、他に複数枚の切符を、購入する可能性がある。その呼び水になる。

追加の説明。ハンディ9迄のアマチュアでは、一県で百数十人は、無理かも知れない。その時は順次、ハードルを下げて行けばいいのだ。「この県は、アマチュア参加者のハンディを、11.7に迄下げました」との断りを入れて。

いまの日本オープンの遣り方。それは、一般消費者にとって無味乾燥。余りにも遠い存在。そうでなくJGAが、大衆ゴルファーに胸襟を開き、積極的に接近する。全米や全英オープンの様に。それによって、一般消費者は、もっと競技ゴルフに、目を向けることになる。JGAなど、偉くも何ともないのだから。

恐らくJGA内部では「ハンディ9以内?。とんでもない」との声が上がるはずだ。それこそ(そとんでもないこと)。日本オープン一次予選参加者のハンディが、9に迄拡大されても、それが主催するJGAの、体面を傷つけることなど、あろうはずがない。それより昨年167人だった、最終予選の出場者。それを近い将来、2千人前後まで引き上げる、起爆剤になる。

フロリダ州オーランドに住んでいた頃のノーマン。日本のトーナメントへの出場も多かったことで、青木とも親しかった。

フロリダ州オーランドに住んでいた頃のノーマン。 日本のトーナメントへの出場も多かったことで、青木とも親しかった。

海外での昔話を一つ。グレッグ・ノーマンは、フロリダ州オーランドに、住んでいた80年代はじめ。時に自宅での夕食に招かれた旧知。ノーマンが、しゃぶしゃぶを料理してくれる。英国人カメラマン、ローレンス・レヴィと「これほど稼ぐシェフが作る料理。チップは幾ら置こうか?」。そんな冗談を交わし、神戸ビーフならぬ、フロリダ牛に舌鼓を、打ったモノである。

1992年の全米オープン。この年ノーマンは、予選免除される項目がなく、オハイオでの予選に出場した。滅多に起こることではない。彼の一日36ホールを取材するため、私はアリゾナから、コロンバスへ飛んだ。ノーマン程の世界的なプロが、予選で戦う姿を、旧知に見られる。嬉しいことではないはず。私も目立たないように、カメラを構えていた。だが観客もまばらな予選会場。向こうも気付かないはずはなかった。

ショットの後、歩み寄り「どうしたんだよ?」とノーマン。二人とも照れ笑いを、繰り返すだけだった。

この日の予選。ノーマンは最後の一人を、決めるプレーオフで落とされ、ペブルビーチへの切符を得られなかった。当時ノーマンのハンディは6から7。勿論プラス。それ程の腕の持ち主でも、資格がなければ予選に挑む。競技ゴルフの、厳しい掟。

それから数週後のペブルビーチ。この時は、最終日が強風。3日目まで、圧倒的なリードを保った、ギル・モーガンが崩壊。名物7番パー3で、左ラフから、チップをねじ込んだ、カイトが逆転優勝している。

それでも、この年私にとって、全米オープンのトップ原稿は、予選で落ちた、旧知グレッグ・ノーマンのリポートだった。

サッカーW杯にしても同じこと。スポーツの醍醐味。それは高い技術レベルでの、人間ドラマにある。ただし其処に在るのは、成功者だけの話ではない。

予選の枠を広げることで、日本オープンも、一般市民ゴルファーの心を、捉えることが可能になる。そのためにも、一次予選を、もっと大々的に、全国各県で実施することだ。

(June.23.2014)

パインハーストNo.2が見せた、ゴルフ場(捨て地)の発想

荒涼とした捨て地を造ることで、フェアウエイの存在を際立させるクーア、クレンショウの手法。この絵はパインハーストNo.2コースの7番ホール(courtesy by USGA)。2人の代 表作は、ネブラスカ州のサンドヒルズ。10年ほど前のこと。そのサンドヒルズ一箇所を取材、そしてラウンドするため、私はシカゴから、往復2800キロをドライブした。行った甲斐 があった。取材者として、多くの収穫と満足を得られた。

日本語にすると、オヒシバに近い種類。強い茎と葉を有することで、英語名はワイアグラス。それがフェアウエイ左右の、砂地にタップリ植えられている。カメラマンには、絵になる被写体。だが競技者には、苦労を強いる。

全米オープン会場は、ほぼ毎回改造される。今回パインハーストNo.2コースは、ビル・クーアと、ベン・クレンショウの、売れっ子コンビが手掛けた。2人の最高傑作は、ネブラスカ州のサンドヒルズ。彼らとUSGA(米国ゴルフ協会)の狙いは、ドナルド・ロス設計の頃の姿に、戻す作業。パインハーストNo.コースが、開場したのは1907年。20世紀の初頭のこと。この頃の作品は、総じてアーリーアメリカンと呼ばれる。米国初期のコース。それはスコットランドの伝統が、より色濃く残っていたこと。その一つは、コースの荒々しさだ。

この砂地は、必ずしもバンカーではない。いわゆるWaste erea。捨て地。その場合は、だからクラブをソールしても構わない。

2010年の全米プロ選手権。場所はウィッスリング・ストレイト(ウイスコンシン州)。この時優勝を目前にしていた、ダスティン・ジョンソン。彼がルールに抵触し罰打。それで勝ちが、今回優勝のカイマーに、転がり込んだ経緯がある。

ピート・ダイ夫婦の手による、この新設コースは、捨て地が多く設けられていた。ジョンソンの罰打は、捨て地とバンカーを、勘違いした結果の不運だった。

 

私が打っているのは青マーク。その前方は白、赤などのティグラウンド。散水が必要なのは、これらの部分とグリーンだけ。ちなみにグリーン左。半分岩に、隠れているいるのがバンカー。コースの名前は、スコッツデールのエスタンシア。これもファジオの設計

前述のような目的以外にも、Waste erea捨て地の活用は多岐。最も多用しているのは、アリゾナやベガスのゴルフ場。この辺りは乾燥した、半砂漠地帯。また少ない草木を保護する。そのため、辺り一面に芝を張ることはしない。

例えば、ティグラウンドの先、八十から百ヤードは、芝を張らない。それによって、自然をより多く残せる。ティショットで、この距離を超せない成人男性ゴルファーは希。一方でパー3ホール。ここではティグラウンドと、グリーンの他は、極力自然を残す。グリーンを外せば砂地だが、そこはバンカーではないから、クラブはソール出来る。渡米して直ぐの頃、私も戸惑った。アリゾナでは、この状態をWaste bunkerと言う。ソールは出来る。だが小石が転がっている砂地。そこからショットをすれば、クラブは傷む。そこでアリゾナの仲間に教えられたこと。それが(ロックアイアン)だった。

砂地から打って、傷が付いても構わない、数ドルの安いアイアンを、バッグに入れる。そうすると15本になるが、アリゾナのゴルファー達は、お互い暗黙のうちに了解しあっている。

パインハーストNo.2コースとは、異なる景観だが、これが、他でも見られる、捨て地の効用。

実はこの捨て地。21世紀のゴルフ場造りの、原点でもあるのだ。

トム・ファジオは、世界をリードする、コース設計者の一人。マスターズの舞台、オーガスタ・ナショナルGCの、改造責任者は彼。また2020年五輪のため、目下のところ開催コースに内定している、霞ヶ関CC。ここもファジオが、指揮をしているはずだ。

1987年の全米プロ選手権は、フロリダのPGAナショナル。ファジオの(ウオーターフロント・オフィス)は、その近く。当時売り出し中の若手設計家。週初めの午前、アポを取ってインタビューした。

流石は当代の売れっ子。興味ある話が、次々出てきた。

私の最後の質問は「21世紀に求められる、ゴルフコースとは?」。それに対しファジオは、ズバッと言い切った。
「大前提は、水の使用量を少なく抑える。その発想。関連するが、低管理コスト。それは廉価なプレー料金に結び付き、ゴルフの大衆化を加速する」。

同じ頃、一部日本の設計者は(アンデュレーションを誤解)。グリーンやフェアウエイのうねりの代わりに、ラフに小さなマウンド群を造った。それによって「スコットランドの雰囲気を出した」と本人は自賛した。だが小さな無数のマウンドは、機械で芝刈りができない。勢い手仕事になり、管理費は嵩む。時代に逆行する、大間違いだった。

ロン・シラクは米ゴルフダイジェストのコラムニスト。個人的には、取材先の宿舎のバーでの、飲み仲間でもある。当たり前のことだが「いまや水の値段は、石油に匹敵すると言ってもいい」。これが彼の持論。人口の増加。そして地球各地での紛争。その都度水資源が取り沙汰される。

ゴルフ場の捨て地。それは使用する水を抑える。同時に管理費を下げる。一石二鳥になることが判る。

かつてバブルの頃まで、日本のゴルフは、緑の待合だった。当時は水に対する危機感もなかった。接待客を持てなすためなら、余分な支出は当然だった。いまでは考えられないこと。世の中が変わったのだ。そんな時代に見せたのが、パインハーストNo.2の、あの荒々しさだった。ゴルフは時に、それに雨と風が加わる。基本的には、タフな遊びであり競技なのだ。

経営のスリム化は、どの業種でも常に必要な努力。使用する水を少なくする。コース管理費を抑える。その目的のため、日本のコースも、ティグラウンドから(百ヤード前後まで)は芝を取り除く。もしかして、そのための改造が必要。そんな要望が到来している。パインハーストNo.2コースの光景。それは時代の変化への、一つの示唆だった、と私は受け止めている。

(June.16.2014)

解説20年。奇跡のジョニー・ミラー、最後の全米オープン

最後の全米オープン解説に、全力を投入するジョニー・ミラー。表情に余裕がある(NBC提供)

最後の全米オープン解説に、全力を投入するジョニー・ミラー。表情に余裕がある(NBC提供)

ジョニー・ミラーは、ジャンボ尾崎と同じ67歳。膝を痛めたことで、引退は早かった。だが70年代、彼は圧倒的な、世界の主役だった。象徴的なのが、彼に付けられたニックネーム(奇跡のジョニー)。英語ではMiracle Johnny。73年の最終日。全米オープンとしては、まさに奇跡的なスコア、63で大逆転優勝した。また1974年に産声を上げた、ダンロップフェニックス。この時ニクラスと共に来日。第一回目の勝者として、歴史に名前を刻んだのも彼だった。

引退後はテレビ雑誌などの、解説で才能を発揮。地元でのツアー競技AT&T(ペブルビーチ)では、水曜午後マイクを持って、ギャラリーに長時間レッスン。何時も大盛況だった。そしてNBCが放映権を得た1995年から、ズッと全米オープンの、メイン解説を受け持ってきた。集める情報の、質の高さと量の多さ。さらに歯に衣着せぬ解説と分析力。これらが他に抜きん出ていた。

「歴史的にも、最高の中継を続けた」と評価されてきた、ミラーとNBCのチーム。彼らの役割が、実は今年で終わる。

米の記者仲間が、背景を説明する。
「NBCは、カネの争いに、敗れたわけです」。

全米オープンを主催するのはUSGA(米国ゴルフ協会)。他に全米女子オープン、男女の全米アマチュア選手権などを、主催している。男子の全米オープンは、その中でも最大の目玉商品。それにNBCは放映料料として、毎回千三百万ドル(約13億円)を払ってきた。五輪やサッカーW杯に比べれば、規模は小さい。だが全米オープンの中継は、ESPNを含めても僅か4日。この額は、道理をわきまえた額。誰もが、そう信じてきた。

そこへ、とんでもないオファーが飛び出した。FOXテレビが九千三百万ドル(約93億円)を提示したのだ。これは男子のオープンだけではない。女子オープン等、他のUSGA主要競技を含める。契約年数は向こう12年。勝負になる額ではなかった。

「NBCの20年。全米オープンは、信じ難いほど大衆を、ゴルフに引き寄せてきた」と称賛する、前出の記者仲間。それはジョニーと彼のチームの、能力と仕事への、責任感だけではなかった。時代の流れが、大きく変わった時と、合致した幸運もあった。

まずタイガーの台頭。NBCが中継を開始した頃。まだアマチュアだった。然し76年のプロ転向後、全米オープンだけで、彼は3勝している。それぞれに劇的な、筋書きに恵まれた優勝。それより何より、タイガーは多民族の血を引く混血児。そのため彼の話題は、世界的になり、西欧社会ばかりか、発展途上国でも物が売れ、それはテレビの高視聴率にも反映した。

相前後してペイン・スチュアートの、パインハーストNo.2コースでの、絵になる優勝。最終72ホール目で、4メートル半の、パーパットを沈めたあの姿。それから僅か4ヶ月後、彼がチャーター機の墜落事故で急死している。余りの急展。全米オープンとペインの優勝は、ファンの心に、より大きなインパクトとして、残った。

優勝こそ逃し続けている。それでもミケルソンの6度の2位は、テレビ桟敷の(はらはらドキドキ)をより大きく膨らませ、それはそのまま、全米オープンを中継するNBCへの、追い風として、今週も吹き続けて居る。

ただし、これだけの出来事が重なっても、テレビ中継にとっての最重要は、解説陣を筆頭にした、スタッフ全体の能力の高さ。それをジョニー達は、保ち続けた。

重圧のある、ゴルフ界の先頭を、長いこと走ってきたジョニー。彼の長持ちの秘訣。それは常に茶の間に送る情報収集を、重視していたこと。一つの例がタイガー。彼はマスターズに続き、今週の全米オープンも欠場している。「2014年シーズン、どうやらタイガーは駄目だ」。この話をジョニーから聞いたのは、昨年末のことだった。早く正確なその情報を、全米オープンの中継でも、随所に発揮する。クオリティの高さに、テレビ桟敷が満足して当然だった。

アリゾナ州フェニックスの空港は、(スカイハーバー)のニックネームで呼ばれる。或る日そこで、ジョニーとバッタリ出会った。彼はスコッツデールでの撮影が終わり、サンフランシスコへ。私は日本からフェニックスへ、戻ったところだった。そこで私たちは、荷物を持ったまま、30分以上は立ち話をしている。お互い情報交換だった。話のネタに貪欲な、彼の性格を物語る上で、絶好の逸話だ。

全米オープン。来年からはチェンバーズベイ(シアトル郊外)オークモント(2016年)と続く。その時は既にFOXの中継。解説はジョニーに代わり、グレッグ・ノーマンが担当する。その契約期間は12年と言うから、2026年迄になる。

今週の中継は、ジョニーには、だから(サヨナラ全米オープン)なのだ。

「NBCにとって、最後の全米オープンが、パインハーストNo.2と、言うのも感動的。過ぎ去った20年間で、ペイン・スチュアートは、伝説の競技者になった。タイガーとミケルソンは、いま現役のままレジェンドだ。そして全米オープンを、20年担当したジョニー・ミラーも…」。

奇跡のジョニーの解説は、間違いなく、歴史に名を留めた。

(June.14.2014)

シリコンバレーの、億万長者がキャディ。全米オープン

昨年のメリオンで頂点に立ち、英国に凱旋したジャスティン・ローズ。 億万長者のキャディは、いま彼と同じ舞台に立っている。さぞ楽しんで いることだろう

昨年のメリオンで頂点に立ち、英国に凱旋したジャスティン・ローズ。億万長者のキャディは、いま彼と同じ舞台に立っている。さぞ楽しんで いることだろう

思わず「嘘だろう」と、言いたくなるような、桁外れと言うか場違いな話。

今週の全米オープン。そこでシリコンバレーの億万長者が、キャディをしている。億万長者は英語でBilionaire。億ドルは百万ドルに、さらに0が三つ付く。とんでもない額なのだ。

地元紙、サンフランシスコ・クロニクルに拠ると「件のキャディの年収は、今週パインハーストに集結したプロ。彼ら全員の収入合計より、遙かに大きい」と言う。億万長者なら、当然のことだ。

数週前のメモリアル。ここで優勝した、松山の賞金は111万6000ドル。一ドル百円換算で、約一億一千万円。22歳の稼ぎ。一般大衆には、垂涎の的。

それでも遠い存在が、タイガーと彼の周囲の人間の稼ぎ。

タイガーは全米オープンで、3度優勝している。2000年、2002年。そして2008年。初タイトルの2000年は、舞台がペブルビーチ。この時、米の記者仲間と計算したら、タイガーのキャディ、スティーブ・ウイリアムズの稼ぎが、年間百万ドル(約一億円)を突破していた。

稼ぐキャディの収入は、一般的にプロの賞金の10パーセント。と言うことは、タイガーは途方もない額を稼いでいた。

米の雑誌フォーブスが、スポーツ界から注目されるのは、彼らが、スポーツ選手の収入を記事にした時。一度は2009年秋のことだった。

タイガー級の超トッププロの、収入は間口が広い。その中で賞金が全体に占める、割合は非常に小さい。その他に米ツアー以外(例えば日本や湾岸地域など)に出場する時のギャラ(アピアランス・マネー)、スポンサー企業との契約金プラス成功報酬のボーナス。それに加え、最近のタイガーは、コース設計の分野にも、乗り出している。

その結果スポーツ選手として、史上最年少で億万ドルに到達したのが、2009年の秋だった。

タイガーが、スタンフォードを2年で中退。プロ転向したのは1996年晩夏。それから億万長者に到達する迄13年を、要したことになる。億万長者とは、斯くも巨大な集大成なのだ。

それでは何故、シリコンバレーの億万長者が、今週の全米オープンで、キャディをしているのか。理由は簡単。息子のマーベリックが、全米オープンの予選を、突破したからだ。

億万長者の名前は、スコット・マクニーリー。サンマイクロシステムの共同開発者として、巨万の富を築いた。息子がスタンフォードに進み、ゴルフ部の一年生部員。日本的なこじつけをすれば、トム・ワトソン、そしてタイガーの後輩。

ところでスコットランドや北米で、ゴルフは(父と息子のゲーム)。ゴルフ好きな父親は、何としても、息子にゴルフを遣らせようとする。その先には、自分が果たせなかった、四大競技出場の夢を託す。マクニーリーの場合、その息子が名門スタンフォードに進み、ゴルフ部員として、全米オープン出場を果たした。育てた甲斐があったと、満足する一方で、更なるサポートへ、情熱を傾けて不思議はない。そんな背景で登場したのが、億万長者のキャディだった。

前出サンフランシスコ・クロニクル紙の記者の話によると「全国ネットのテレビに出る。ナーバスに」とか、言ったそうだが、とんでもない。一代で巨万の富を築いた成功者。恐らく心配など、社交辞令に過ぎないはずだ。

既に終了した、全米オープン第一ラウンド。息子のスコアは4オーバー74。首位と9打差。大学一年生にしては、決して失望するモノではないはず。

シリコンバレーの億万長者が、息子のキャディを買って出る。日本では滅多に見られない光景。それが簡単に実現するところに、何でも可能な米の面白さ。ダイナミズムが垣間見える。

億万長者の生活など、私たち大衆は想像すら出来ない。とは言え、シリコンバレーと、パインハーストの間の移動に、自家用ジェット機を使用していることだけは、間違いない。

タイガーは、スタンフォードを2年で中退した。理由は簡単。「全米アマチュア選手権で3連勝。アマチュア界では、相手がいなくなった」(当時の監督ウォーリー・グッドウイン)ため。一方億万長者の息子。彼がこの先、どんなプランを持っているのか。父親の後を継ぎ、シリコンバレーで仕事をするのか。それともプロを夢見るのか。

シリコンバレーで具現した、アメリカン・ドリーム。それが(もう一つの夢を産む舞台)全米オープン会場で話題を取る。この豊かな発想は、間違いなく、彼らの持つ、巨大なエネルギーだ。

(June.13.2014)

さあ全米オープン。今週の主役は、亡きペイン・スチュアートだ

Bob Jones Award Announcement

今年2月。パインハーストNo.2コースで、ペイン・スチュアートへの、 ジョーンズ賞授与を発表する、USGA(米国ゴルフ協会)のトーマス・ オトール会長

今年の全米オープンは、話題満載だ。

まずタイガーが、4月のマスターズに続き、連続のメジャー欠場。一方で昨年メリオンで、6度目の2位に終わったミケルソンの、初優勝への期待。

舞台は、ドーノック(スコットランド)育ちの名手ドナルド・ロスの傑作、パインハーストNo.2コース。一箇所に8つのコースを持つ。ここの象徴は、可愛らしいパターボーイの銅像。

そこで今年は、男女の全米オープンを、2週連続して開催する。冒険と思えること。全米オープンのプレーオフは、翌月曜日。新たな18ホールで行われる。その場合、全米女子オープン出場選手達の、練習ラウンドが妨げられる。それ以上の心配。それは低気圧の通過。これによって競技が遅れると、男子の全米オープン終了が、火曜日にずれ込む可能性がある。

日本のテレビ桟敷にとっての、最大関心はメモリアルで優勝した、松山の動向になる。

松山は昨年も、メリオン(全米オープン)10位。ミュアフィールド(全英オープン)6位を記録している。基本的には、子供の頃から、滅茶苦茶上手かったパット。それに加え、ショットのクオリティも向上している。その結果昨年の全米オープン。週初めから悪天候に見舞われた中。ダブルを2箇しか打っていない。この才能があるから、セッティングの厳しい、メジャーの舞台でも、好成績を残せる。

その組み合わせと、スタート時間(木、金曜日)が、手際よく先週金曜日発表されている。

話題の競技者の多くは、一番、10番スタートに、上手く振り分けされている。

まずミケルソンは、10番から7時51分。同組の競技者は、昨年優勝のローズ。そして全英オープンでベストアマの、マシュー・フィッツパトリック。松山はその2組後の8時13分。同組は、4月のマスターズで、第3ラウンド首位に立った20歳のジョーダン・スピース。そして母親が日本人の、リッキー・ファウラー。この2組を相前後して追える。観客には嬉しいペアリング。

第一ラウンド一番スタートの組は、目下世界ランク2位のステンソンが7時29分。同組の一人は、もう一歩のところで、四大タイトルを、逃し続けている41歳ウエストウッド。

続く7時40分は、マキロイ、マクドウエルの、北アイルランド勢と、米のシンプソン。3人とも歴代全米オープン勝者。

同じ木曜日一番スタート。午後1時25分に、観客にとっての大きな目玉。マスターズ2勝ワトソン、世界ランク一位スコットの同組対決。

これだけの顔触れが揃う。それでも今回の全米オープンの主役は、ペイン・スチュアートなのだ。

1999年の全米オープンも、No.2コースだった。この時28歳のミケルソンは、最終ラウンド、自家用ジェット機を、スタンバイさせて、一番ティグラウンドに立った。愛妻エイミーの初出産と重なっていた。

「妻の陣痛が始まったら、僕は何時でも競技を棄権。出産に立ち会いたい」。そのためだった。幸運にも出産は数日遅れた。その時、ミケルソンを抑え、2度目の全米オープン優勝を果たしたのがペイン。優勝決定直後18番グリーン上。若いミケルソンの頬に、両手を当て何やら話し掛けるペイン。兄が弟に諭すような仕草。その光景を私は、今でも鮮明に記憶している。

その年の9月には、ボストンでライダーカップもあった。この時が、ペインの姿を見る最後になることなど、私は考えてもみないことだった。二ヶ月後の10月25日。チャーターしたジェット機が、ツアー選手権会場へ向かう途中で墜落。帰らぬ人となったのだ。享年42歳だった。

ペインは何しろ華があった。ニッカボッカとハンチングのファッションは、誰も真似の出来ないもの。1991年の全米オープン。星条旗をデザインしたシャツを着こなせたのは、この男しかいなかった。
通算11勝(他に日本など米以外で7勝)のうちの三つがメジャー。競技者としても一級だった。翌2000年の全米オープンは、ペブルビーチ。ここで水曜日。カーメル湾に面した18番ホールで、プロ仲間18人による、追悼のショットが行われた。ペインが多くの人々の心の中で、生きていることの証だった。

そして99年の全米オープンから15年後の今年。それを記念し全米オープンは、ペインの思い出が、タップリ詰まった、パインハーストNo.2コースに戻ってきたのだ。それも単純なシナリオではない。

ボビー・ジョーンズは、1930年の年間四冠王。そしてマスターズの創始者。1955年から続くジョーンズ賞は、プロアマを問わず、ゴルフ界に貢献したことに対して贈られるもの。受賞者の中には、ブッシュ元大統領(父親)も含まれている。米国最大の権威あるその賞を、亡きペインに贈る。その発表が、この2月行われている。ソチ五輪の真っ只中だった。セレモニーは今週水曜日。場所は勿論No.2コースだ。

ところで全米オープンは、大変な数の入場者を数える。その最高記録は38万7045人。パインハースト(2005年)で記録されたモノ。それらの収入は、世界各国での、ゴルフ普及に投入される。その結果の一つ。それが2016年リオで、112年ぶりで、ゴルフが五輪種目に復帰したこと。

参考にならない比較だが、日本オープンの入場者。昨年は4日間で8127人。スポーツ観戦のファンが求めるモノ。それは熱狂。日本オープンのチラホラの観客では、興奮のしようがない。

その大観客を、呼び込む一番の主役が、今週の全米オープンでは亡きペイン。決して無理な論法ではない。そして、あの時28歳の紅顔だったミケルソンも、今月中に44歳になる。米国人の彼が、もし念願の、母国のナショナルOpen選手権を獲った時。天国のペインが、微笑んで祝福するに違いない。

「フィル、遂に獲れたな。お目出度う」と言って。

大衆がスポーツに求めるモノ。それは歴史を飾った主役達への関心と、その中で発見できるロマン。不慮の死を遂げたが、ペイン・スチュアートは、いまも人々の心の中で、生きている。

(June.09.2014)

英樹は、ゴルフ界の松井、イチローになる

昨年5月20日。アンチョコを用意はしたが、記者会見に先立ち、臆 することなく、英語で挨拶した松山英樹。この時も”強く頭のいい若者” との印象を、与えられた。

昨年5月20日。アンチョコを用意はしたが、記者会見に先立ち、臆することなく、英語で挨拶した松山英樹。この時も”強く頭のいい若者”との印象を、与えられた。

昨年の5月20日。松山英樹は、私たちの、日本外国特派員協会に招かれている。伝統のProfessional Luncheon。午餐をしながらの記者会見。

それより前、彼は4月2日にプロ転向。その後10位タイ、優勝(つるやオープン)2位、2位タイ、優勝(三菱ダイアモンド)。センセーショナルなデビュー。さらに、この直後メリオンへ旅発つ。全米オープン(10位タイ)、全英オープン(6位タイ)に出場する。タイトな時間を裂いての来場だった。

日程調整のため、東北福祉大の阿部監督と連絡。最終打ち合わせは、日本プロ選手権会場の、千葉県総武CC。
その上で、特派員協会の報道委員会に提出した、私の企画は一度否決されている。理由は簡単。「時期尚早。有名かも知れないが、それは日本だけの話。私たち外国人記者には..」。それが理由だった。

其処で私が追加した説明。それは「この若者は、ゴルフ界のゴジラ松井、そしてイチローになる逸材。有名になる前に、是非取材しておこう」だった。特に米国の記者が、心を動かしてくれた。

当日は百人を超す記者及びゲストが、席を埋めた。質問の幾つかは、ゴルフでなく、彼も被害者の一人だった、東北大震災に関するもの。その時の特派員協会会長も「何度も取材に出掛けた。あの光景を思い浮かべると、いまでも胸が痛む」と、松山に切々と話していた。
特派員協会のゲストスピーカーは、主に政治、外交、経済などの分野での時の人。今年一月は、主要都知事候補。その後は辺野古への基地移設に反対する、稲嶺進名護市長。続いてウクライナの特命全権大使。この時はロシアの攻勢が急だったことで、会場全体が緊迫。特に欧州の記者たちの質問は、真剣だった。

そんな中、スポーツの時の人も、招かれる。ゴルフではジャンボ尾崎、宮里藍、そして石川遼。前者2人は私がコーディネートしたが、遼の時は動かなかった。判断理由。それこそ「遼は時期尚早」。更なる理由は、彼はヒーローでなく、スポーツのアイドル。それだった。それでも遼の時は、松山の倍、二百人が席を埋めた。話題性があることで、記事にし易かった。それが理由だった。

松井はワールドシリーズのMVPに輝いた。イチローは、あらゆる記録と話題を、樹立し続けている。一方の松山は、世界ランクの上位が、メジャーに匹敵するほど勢揃いしたメモリアルでの優勝。とは言え、米ツアーの一勝では、ゴジラもイチローも、まだ遠い存在。
それでも最終日を、世界ランク一位スコットと同組。先行していたマスターズ2勝のワトソンを逆転。それをメジャー18勝の、帝王ニクラスの、お膝元で演じた。豊かな将来を、感じさせるに、充分な内容だった。
ネットにしろ活字にしろ、私の記事は米男子ツアーHQなど、海外の組織も英訳し目を通している。先週このコラムに寄稿した「帝王ニクラスの城下町。メモリアルのコロンバス」。これへの感想が、1日夜(日本時間)米ツアーHQから届いている。その折り「英樹が優勝する様だと、米ツアーのワールドツアー化は、さらに確固たるものになる」とのコメントが付いていた。

今朝は多くの日本人が、早起きしてテレビ観戦した。その中で、知人から多数の感想が寄せられた。
「難度の高い、ミュアフィールド・ビレッジGCで勝つなんて、メジャーでの勝利に匹敵する。米ツアーは格好いいし、テレビ観戦していて楽しい」。これが多数。
「松山が日本ツアーにいるより、日本のゴルフ界への効果は絶大」。この声も多かった。
これらを総合すると、日本の男子ツアーは、この6月1日を境に、間違いなく世界の超二流に、落ちたことが判る。ただし、それは競技者という人材を育ててこなかったことのツケ。これからでも遅くない。松山、遼に続き、米ツアーに関心を抱き、国際舞台で活動する若者を、着実に育成する。そのシステムを確立することだ。例えばスウェーデンや英国、スペインの様に。その時、日本の男子ツアーは、改めて見直されることになる。

そして最大の関心事。松山の世界ランクが、今し方発表された。メモリアルが始まった時は24位。それが10人ゴボウ抜きして13位。負かした相手が、世界ランク一位スコット。マスターズ2勝のワトソン。さらにマキロイも、ミケルソンもいた。当然のことだった。
かつて世界ランクの日本人の最高位は、ジャンボ尾崎の8位だった。この先順調に行けば、ジャンボの記録を更新することも、可能になる。日本人ファンの、夢は膨らむ一方だ。
さらに賞金ランクも、二百万ドルの大台を突破(2、283、868ドル)。16位に躍り出た。
そして迎える再来週の全米オープン。舞台はドナルド・ロスの傑作、パインハーストNo.2コース。
それを前に、旧知の一人から、貴重なコメントが届いた。
「米ツアーでの初優勝が、プレーオフだった。それも16番でダブルを叩いた末の。苦戦ではあったが、楽勝でなかったことは、松山にとって、今後への財産になった」。
勝って兜の緒を締めよ、か。実力は勿論だが、この22歳は、間違いなく運も強い。

(June.2nd.2014)