このオフ松山は、最低でも一ヶ月の、長期休暇を取るべき

2013年5月20日。旅発つ前、日本外国特派員協会で記者会見した松山。この直後全米メリオン、全英ミュアフィールド両オープンで、好成績のスタートを切った

2013年5月20日。旅発つ前、日本外国特派員協会で記者会見した松山。この直後全米メリオン、全英ミュアフィールド両オープンで、好成績のスタートを切った

終わったばかりのツアー選手権。この後松山は、一ヶ月以上の長期休暇を、取るべきだ。

ツアー選手権を、他に置き換えるとMLBのワールドシリーズであり、NFLのスーパーボウル。優勝しようと出来まいと、エリートの30人に残れる。これは素晴らしい成績。条件は同じとは言え、特に松山には或る種のハンディがある。それは言葉の壁だ。

早くから「海外へ出て、メジャーで勝ちたい」との意欲を示していた松山。それに対し、日本のマスコミは「あの英語力では、外国は無理」との冷たい反応。その頃私は、次のような取材談を話した。

「英語力について質問された野茂は、こう答えた。僕は米国へ、ボールを投げに行くのです。英語を上達させることが、目的ではありませんので」。

松山は、即座に自説を口にした。

「そうかも知れません。でも野球の投手と比較し、ゴルフは歩く時間が長いです。言葉が通じれば、その分多くの情報が、入ってくると思いますので」。

東北福祉だから、余り勉強はしなかったみたい。だが「この若者は賢い」と、直感させられたことを、鮮明に憶えている。

さらに23歳の若さは、順応性が高い。新しい知識をスポンジの如く、この2年間吸収したはず。その一方で異なる言語を駆使して、世界を旅することの気苦労。さらに日本とは、比較にならない旅程の大きさ。毎週がホテル暮らし。自宅のような寛ぎは得難い。

何れにしろ、ツアー選手権が今季26試合目。この間日本でも一試合している。合計27試合は多過ぎる。特に四大タイトルを、狙おうとするなら。

ニクラスは、メジャー最多18勝。それだけの数字を残した彼。それでも20試合以上したシーズンは僅かだった。

Air Bear 2012_014_彼を追い掛けたタイガー。エージェントIMGは、プロ転向に当たり「年間20試合まで。空いた時間は、大きな獲物獲得の準備に当てる」を、キッチリ打ち出した。ツアープロは大衆の前に自分を露出する職業。それだけに消耗は厳しい。だからプライベート時間を、より多く持ち、同時に人間としての総合力を高める。松山はこの先プレジデンツCupもある。11月日本の試合も考慮される。そうなると計30試合近くになる。如何にも多過ぎる。

これがニクラスの愛機Air Bear。豪華な機内は、まさに空飛ぶオフィス(coutesy of Nicklas Companies)

これがニクラスの愛機Air Bear。豪華な機内は、まさに空飛ぶオフィス(coutesy of Nicklas Companies)

2年前2013年。渡米して直ぐの頃は、ジジイの戯れ事を時々メール送りした。勝手なことを、あれこれ書いた。

「余所の世界の人と会うこと。日本なら王さんとか、大相撲の北の冨士さん。教訓も得られるだろうし、粋や洒落も身につく。努々日本人プロは相手にしないこと。いや一人例外。読書量の多いジャンボ。この男の抽斗の多さは、群を抜いている。だから彼は、あれほど喋れる」。

「週はじめの練習日。代わりに神楽坂辺りで、芸者衆と遊ぶことも、芸の肥しになる」。

2年前「プレーしたいコースは、ペブルビーチ」。その程度の知識しかなかった若者が、いまや世界中の有名コース、何処でも出入りできる迄に急成長。その一つミュアフィールド・ビレッジGCでは、御大ニクラスの前で初優勝した。

この2年。日本にいた頃には、想像できなかった世界を、日々体験している松山。それでもニクラスは、更に上の別格。70~80億円はする自家用ジェット機で、年中世界を飛び回る。設計したコースは、地球上で既に三百余。全世界ゴルフ場の、何と一%を彼が手掛けているのだ。

一度でいいから、彼のジェット機Air Bearに乗せて貰う。またフロリダのニクラスの自宅を訪問する。
松山にその気があるなら、ニクラスには何時でも話を繋いで上げる。ジャックだけでなく、奥さんバーバラとも会うこと。彼女の内助の功は近い将来、松山が相手を決める時の、参考になるはず。何しろ彼女は、ゴルフ界のファーストレデイなのだから。

前出、王さん、北の富士さん、ジャンボ。そしてニクラス。彼らはそれぞれに頂点を極めた。そのために何を遣ってきたか。それは背中で教えてくれる。

11月契約絡みで、日本のトーナメント出場。当然その準備が進んでいる可能性。構わない。其処で不義理をしてもよいから、秋は一ヶ月以上の長期休暇を取ることだ。正月が明け、新しいシーズンが始まった時、そのことの成果を、実感できることになる。それは念願のメジャータイトル獲得へ、一歩前進する。そのことだ。

(Sep.28.2015)

出涸らしの茶どころか、タイガーいよいよ引退の危機

優勝パットを決め、大観客の声援を受ける、かつてのタイガー。この勇姿は、もう見られそうにない(PGA TOUR提供)

優勝パットを決め、大観客の声援を受ける、かつてのタイガー。この勇姿は、もう見られそうにない(PGA TOUR提供)

通年制を採用した、米ツアー。2015~16年は、10月15日。加州ナパでの、frys.com Openで開幕する。ナパは長いこと、NBC解説者ジョニー・ミラーのお膝元。ワインの産地としても有名だ。

時期的にツアー選手権と、プレジデンツCupが終わったばかり。米の主力、そして豪のデイ達にとっては、束の間の休息期間。従って顔触れが、大きく落ちることは避けられない。賞金も6百万ドル。それでもゴルフチャンネルがある。開催エリアでは、大きな盛り上がりを見せる。それが米ツアーの強み。

主力不在のfrys.com Openに、早々と出場を表明した、有名プロが2人いた。タイガーとマキロイ。

マキロイには然るべき目的がある。全英オープンから約二ヶ月、長期欠場。

「怪我した左足首は完治。ゴルフも百%コンペテティブな状態に戻った」。それでも試合感は鈍っているはず。その部分を一日も早く百%に戻す必要。もう一つ。これから11月にかけ、欧州ツアーは賞金王決定の、大一番に繋がる。従ってfrys.com Openとは言え、勝ち癖を取り戻しておくことは重要。

一方のタイガーは、そんな悠長な立場にない。先月のワインダムは、谷間のトーナメント。そこで這いつくばって10位。これは2013年バークレイズ(2位タイ)以来約2年ぶりのトップ10。これだけ悪ければ、各ランキングは止めどなく落ちる。

獲得賞金は、僅か44万8598ドルで162位。世界ランクは283位。FedExの順位は178位。ワインダムで優勝または単独2位。これでプレーオフ出場を掴める計算だった。だが今のタイガーに、そんな芸当、出来るはずない。

代わって飛び込んで来た話。それがタイガーが再度、腰にメスを入れるとの深刻情報。水曜日と言うから、週明け早々の23日。その後「2016年初め頃までは、トーナメント活動はできない」とのコメント。

最初にメスを入れたのが、昨年3月30日。マスターズの直前と言う緊急。そのため6月の全米オープンまで欠場した。医師の診断は「コンペテティブなゴルフが可能なのは百日後」。それとほぼ同じだろうから、今回も正月明けまでは、完全休養が必要になる。

そんなことで、早々とコミットメントしていた、frys.com Open出場も取り下げ。

それを受け、ジム・ニュージント編集長のGlobal Golf Postが「この事態が、タイガーの今後に、どう影響を及ぼすか?」と、問題提起している。

私は即座に返答した。「ジム、これはタイガーの終わりを、意味すると思う。と言うことは、ツアープロとして引退。以前から私が主張してきたように」。 「39歳は他の職業では若い。とは言えタイガーは、2歳の時からテレビで脚光を浴びてきた。競技者としての年齢。それはいま60歳過ぎ」。

全米オープンの前だから、6月上旬。この時も私は「誇りがあるなら、タイガー、キミは引退すべき」と書いている。不安は的中。全米オープンでまたしても80台を叩く。続く全英オープン、全米プロと共に36ホールでカットされた。

私の言う誇り。それはツアー79勝。そしてジョーンズ、ニクラスと並ぶ、過去百年のビッグ3。タイガーは歴史の中で捉えられる、その部分なのだ。

同じプロ競技者でも、野球、フットボールなどは、ある年数が来れば競技者は、引退と直面することになる。そんな中シニア・ツアーもあることで、ゴルフのプロは、踏ん切りを付けるのが困難。それでも80を打つゴルフは、観客に見せるモノではないはず。

一部米のマスコミが「タイガーは、2016年シーズン、一勝はする」との的外れ予想。嘲笑させられた。そのタイガー、出涸らしの茶を通り越し、いま引退と直面している。さて、どうする。

(Sep.21.2015)

86歳パーマー。誰にも優しさを続ける。それがKingの有り様

Kingパーマーとシーハンの楽しそうな表情。彼は誰にも優しい、お爺ちゃんでもあることが判る(パティ・シーハンのお宝写真)

Kingパーマーとシーハンの楽しそうな表情。彼は誰にも優しい、お爺ちゃんでもあることが判る(パティ・シーハンのお宝写真)

9月は”King of Golf”アーノルド・パーマーの誕生月。1929年生まれは86歳。先週は米からスコットランド迄。祝福のメッセージが飛び交った。流石は御大。そんな中、いの一番に祝辞を送ったのが、半世紀に渡る、親友で宿敵でもあるニクラスだった。

私が本物のパーマーを、初めて観たのは1975年のマスターズ。本物の意味。それは米ツアー、または全英オープンの舞台で観ること。日本での彼らは、結局のところ花相撲でしかない。

この時のマスターズ3日目。最終組はパーマーとニクラスだった。35歳昇り竜ニクラスと46歳のパーマー。このあと最終日もニクラスが延ばす。この時まで、2人のマスターズ優勝はタイの四つ。その拮抗を、黄金熊が抜き去った時でもあった。

パーマーは取材者の私に取って、大きな年齢の開きがある。そのためニクラスのような、豊富な情報は得られなかった。
それでも「ゴルフを、地球全体に浸透させた功労者」「傘のマークのロゴを、ゴルフ場の外でも大ヒットさせた」「自家用ジェット機の操縦桿を、自ら握った」など、あらゆることを先駆して来た。まさにアメリカの夢の具現者。そんなことで一時は「パーマーを、大統領に」。そんな声も流布した。

オーガスタ・ナショナルGC敷地内には、大統領アイゼンハワーのコテージがあり、滞在中簡単な事務処理も出来た。その執務室も残されているほど。大統領を二期務めた後、アイクはパームスプリングスと共に、冬期オーガスタも好んだ。そのためパーマーも、多くの接点を持った。そこで政治家としての話が出る。2人とも国民的な人気者だけに、不思議はなかった。

私たちの世代で、王様と呼ばれた代表者は、パーマーと共にエルビス。1986年の全米シニアオープンは、オハイオ州コロンバスのサイオトCCが舞台。メジャー18勝、ニクラスの本拠地。木曜の午前、1番ティグラウンドに登場したパーマーに、大向こうから「King!」の掛け声。透かさず声の方向へ振り向き、笑顔で鷹揚に頷いて見せた。これはホーガンには、絶対できない芸当だった。

百歳の天寿を全うしたボブ・ホープ。その後パーマーは、ボブ・ホープクラシックの顔としての代役を果たしてきた。パーマーの本拠地オーランドからは、約5時間の飛行。6年前、彼は帰途操縦桿を握っている。とは言え、その年の誕生日。操縦免許の書き換えをしていない。

「もう充分だろう」との判断だったそうだ。私は叶わなかったが、仲間何人かが、最後のコックピット姿をカメラに収めた。撮る方も撮られる方も、感無量だったことは、言う迄もないことだった。

操縦桿は握らなくとも、飛行時間は相変わらず多い。この7月には大西洋を飛び、セントアンドルーズへも出掛けている。オールドコースでの全英オープン。そこで繰り広げられた、数々の儀式に出席する為だった。

パティ・シーハンは、日本贔屓の米女子プロ。父親ボボは、かつて冬季五輪で、米の監督を務めたほどの人。9月10日の誕生日は、パーマーと同日。そんなことで今回もシーハンは、パーマーとのカジュアルな、ツーショットを送ってきた。

ニクラスやトレビノたち、多くの有名プロと、私は親交を深めてきた。そんな中、パーマーだけは例外だった。一度来日中に単独インタビューもした。IMGの筆頭副社長の仲介で。それでも彼の私への印象。それは「アジアの坊や」から、抜けきられなかった。

ファンには誰にも優しさを貫く。一方で関係者にはシビアに査定する。それが人気商売の、クオリティを保つ上で不可欠なこと。本物の舞台で繰り返し取材をすることの大切さ。それを教えてくれたのも、パーマーだった。
生前インタビューしたバイロン・ネルソン翁。「アーノルドの登場がなければ、今日のような世界への、広がりはなかった」。

86歳の誕生祝いが、世界中で飛び交った。当たり前のことなのだ。

(Sep.14.2015)

日本人プロ。いまこそ世界に繋がる話題と、その必要性

母親アストリッドから送られてきた、微笑ましい写真。ショーンは何処まで成長できるか。日本の若手とも、仲間になれるか。マキロイやスピースとは、別の世界でのチャレンジだ

母親アストリッドから送られてきた、微笑ましい写真。ショーンは何処まで成長できるか。日本の若手とも、仲間になれるか。マキロイやスピースとは、別の世界でのチャレンジだ

「実力もないのに、猫も杓子も、メジャーリーグとは、世も末」と嘆く声。

一方で昨今スポーツは、大多数が世界を相手の競技。そんな中、大きく遅れを取っているのが、日本のゴルフ。理由の一つとして考えられること。それは世界との接点が、余りにも少ないこと。7月の全英オープン。日本ツアー勢7人は、全員が36ホールのカットで、振るい落とされた。この壁を乗り越えてこそ、話題性としても、世界に一歩踏み出すことが可能になる。

この写真、三千二百ドルの小切手を、手にするこの若者。名前はショーン・ジャクリン。ナニやら聞き慣れた名前。そう、父親はトニー・ジャクリン。名は父親トニーの親友、007のショーン・コネリーから、戴いたもの。

説明する迄もなく、父親トニーは、英国を代表するプロ。69年リザムでの全英オープン。続く70年には全米オープンでも勝利。更にその後ライダーカップのキャプテンとして、1983年から四度登場。2勝1分け1敗の好成績を残した。

ちなみに私が初取材したライダーカップは1989年。この時は14対14のドロー。表彰式で挨拶した米のキャプテン、フロイドが「どちらにも勝ちは付かなかった。とは言え、この熱戦はゴルフと言うゲームの勝利を、強く世界に印象付けた」との名台詞。この時も(残念ながら)日本のプロとの、知的レベルの大差を、実感させられた。

ショーンは、名選手であり、名将でもあったトニーの息子。高校時代には、全英オープンでバッグを担ぎ、父親の背中を見てきた。そして気が付いた時、父と同じ道を選んでいた。そして今は欧州ツアーの下部組織、チャレンジツアー中心の活動。三千二百ドルのこの小切手は、最近米で獲得した時、歓びの母親アストリッドが、私たち仲間内に送ってきたもの。

その時私は「千里の道も、一歩から。粘り強く」とのメモを返信した。

偉大な父親を持つ息子たち。ことゴルフに限っても、プロ転向したニクラスの3人の息子。ジャンボの長男智春。ゲイリー・プレーヤーの次男ウエインたち。そこそこ迄遣ったが、定着はできなかった。それはニクラス、ジャンボ、プレーヤー達が凄過ぎたこと。それはショーンにも当て嵌まる。

他の業種。例えば歌舞伎は世襲が利く。歩き始めた頃から、父親がマンツーマンで指導。そして二十歳前後で独り立ちする。それより何より、他にライバルが入れない社会。だから親の名跡を継げることになる。それでも取材する限り、看板を保つためには、大変な努力の積み重ねが、必要なようだ。

話は世界との距離が遠い儘の、日本男子ツアー勢。前述通り全英オープンで全滅。それでもこの秋、岩田寛が米ツアーに挑むそうだ。

正直な比較。日本ツアー勢の多くは、米ならWeb.comTour。欧州だとチャレンジツアーのレベル。そのギャップを、岩田が乗り越える。そのためには、行く先々で必要な情報を着実に得る。勿論それは世界共通基準の。それは自分のプレーの後押しになる。それでもひとたび、国内ツアーに戻れば、彼らそんなことは、ケロッと忘れたかのようになる。それは(世界との繋がりが、余りにも弱いからだ)。

岩田が挑むのは米ツアー。それだけでなく、例えばトーナメントの少ない夏期。若手はあらゆるコネを駆使。これら米欧の二部ツアーに出場したらいい。ショーンたちに混じって。

そこで腕を磨くことは、同時に世界に繋がる話題性にも、突き当たれることになる。その結果として、松山英樹や、テニスの錦織圭クラスの競技者が、新たに誕生する可能性に結び付く。

「力もないのに、メジャーを云々」と書いたが、この手法は日本男子が、海外を踏み台に出世する筋書き。日本人好み。充分な説得力がある。

007の名を貰った、名手ジャクリンの息子。彼のこれからの成長を見守る。大きな楽しみの一つだ。

(Sep.07.2015)