婦唱夫随、我が最良の友、75歳でゴルフ断つ

米では父息子とともに、夫婦のチームクラブ選手権も盛ん。この2人は、そのクラブ選手権で5度優勝している

米では父息子とともに、夫婦のチームクラブ選手権も盛ん。この2人は、そのクラブ選手権で5度優勝している

「べらぼうメ、ゴルフなんざなくても、人生は如何様にも、漫喫出来らぁ」、こんな啖呵が、米から聞こえて来そうだ。

海外取材を始めて36年以上。多くの知己を得てきた。その中でも、公私共々最も深く、そして長い付き合いをしている友がボブ・キャンティン。共に仕事がゴルフ。遊びもゴルフ。お互い「ノー」と言う部分がなかった。

大統領には届かなかったが、私、副大統領とはゴルフもしている。それをセットしてくれたのも、ボブだった。私は日本人物書き。その私に原稿のネタを、次々用意してくれる。従ってボブと私がゴルフを遣る。その相手は殆どが初顔。

或る時のこと。前夜夕食中、片目を瞑り「明日のゴルフは、フィルムをタップリ(デジタルになる直前の頃)持参しろよ」と、意味深長な話。その相手が元副大統領ダン・クエールだった。職業柄ビッグネームには慣れている。そんな私でも出足の数ホール、流石に浮き足立ち。ボブに見抜かれ苦笑している。

一時期、圧倒的な人気を誇ったPING ZING。このクラブで最初のホールインワンを記録したプロが、チップ・ベック。アマチュアでの最初の記録達成者はボブだった

一時期、圧倒的な人気を誇ったPING ZING。このクラブで最初のホールインワンを記録したプロが、チップ・ベック。アマチュアでの最初の記録達成者はボブだった

クエールは大学で、ゴルフ部キャプテンだった。4人の中で最少ハンディ。その関係でベットは、副大統領と私がチーム。ボブ、フィルの強敵と対戦。結果的には我々が、それぞれ7ドルの負け。日本の議員は、万札三桁の賭けをするそうだが、それはギャンブル。勿論米でもベガスとかでは、18ホールで50万ドル、そんな話を聞いたこともある。

ただし副大統領経験者でも、ベットの額はその程度。ラウンド後のラウンジ。一杯の飲み物で喉を潤しながらベットの精算。ゲーム、そしてビジネスの情報交換も。クエールはオンザロックのバーボン。私はウオッカトニック。その場の支払いは、勝利した2人が嬉しそうに払う。これがゴルフを、より楽しく洒落たモノにする。全員それぞれ自分の車を運転。自宅まで30分前後。米の場合この状況での、一杯には誰も目くじらを立てない。

マスターズ会場での、PINGの創業者カーステン・ソルハイムとボブ。欧米の女子対抗、ソルハイムカップ設立をはじめ、このコンビは世界のゴルフ界の、流れを変えた

マスターズ会場での、PINGの創業者カーステン・ソルハイムとボブ。欧米の女子対抗、ソルハイムカップ設立をはじめ、このコンビは世界のゴルフ界の、流れを変えた

ボブは「日本家屋で憶えた」とからかわれるほど、フラットなスイング。それでも距離も出て強い。生涯741回のトーナメントに出場。優勝は太平洋岸大学選手権。兵役中の海軍選抜チーム選手権。ムーンバレーCCでは、2度のクラブ選手権。さらには夫婦チーム選手権で、5度優勝している。

女房は50年連れ添っているマーシャ。金婚を祝いこの夏は、人気のカリビアンクルージングを満喫した。その愛妻が、腰痛でゴルフが出来ない状態になった。夫唱婦随ならぬ、婦唱夫随。届いたクリスマスカードに、次のように書かれていた。
「一人だけ残し、ゴルフはしたくない。私もゴルフに封をした」。何と言う潔さ。歳はニクラスと同じ75歳。まだまだ十年以上は楽しめる。それを愛妻のためにギブアップした。「ボブ、オレには出来ない決断」。

ミズーリに住む兄の家の牧場の池で、釣り糸を垂れるマーシャ。元気がない

ミズーリに住む兄の家の牧場の池で、釣り糸を垂れるマーシャ。元気がない

ボブがゴルフを止めたことの残念さ。それは握りの負けを、取り返せないこと。日米ではボビー・ジョーンズvs宮本留吉の、5ドル紙幣のペットが有名。それを真似、遠く1981年我々も、千円ベットを開始した。当時は3、4ドル。一時の円高で、10ドルを超えたこともある。ハンディは充分貰うが、それでもボブの財布に、千円札は7、8枚残っているはず。

マーシャがいま、ゴルフ代わりに楽しんでいるのは釣り。彼女の腰痛が回復すれば、負け奪回のチャンスが生まれる。その意味でも、彼女の腰痛治癒を、願うだけだ。
(Dec.28.2015)

TitleistプロV1ボール、デビュー15年で2374勝

アンドレイドは、プロ仲間のファクソンとともに、長いこと子供たちのための、チャリティを続けている。その総額は既に1500万ドル(約20億円)に達している(米ツアー提供)

アンドレイドは、プロ仲間のファクソンとともに、長いこと子供たちのための、チャリティを続けている。その総額は既に1500万ドル(約20億円)に達している(米ツアー提供)

2374勝を15で割ると、一シーズンの優勝回数は158勝。

日本の男子二十数試合。米欧とも約五十。と言うことは、世界主要ツアーの勝者。その殆どが、プロV1ボールの使用者と言うことになる。

革命的なボールとなった、タイトリストのプロV1。実を言うとこのボール、世界で最初に取材した物書きが私だった。これは大法螺でも何でもない。

二十世紀最後のライダーカップ。行われたのは1999年9月末。場所はボストン。終わった翌日、私はタイトリストの本社へ車を走らせている。ゴルフ界を代表する有名経営者、ウオリー・ユーライン社長の、アポが取れたためだ。

のっけから余談を二つ。この取材をセットしてくれたのは、タイトリスト・ジャパンの渡辺一美会長。さらにライダーカップ会場では、鈴木大地と会う。今を時めくスポーツ長官。ハーバードにコーチ留学中。彼をゴルフ界の重鎮多数に紹介。PINGの役員からは、Olympic Gold Medalist.Daichi Suzukiの名入りパターを贈っている。

ユーライン社長のインタビューは、75分に及んだ。終了間際「新しい工場が、稼働したばかり。是非取材したら」と勧められた。ただしツーピースボールだと言う。糸巻きの全盛時。ツーピースは中級者以下の、安いボール。それが世間一般の通り相場だった頃。

「新製品の名前も、決まっていない」との説明。処がこれが翌二千年から、ゴルフ界を席巻することになる。そんな大物とは知らずに、取材しカメラのシャッターを押していたことが、今こそばゆい。そして早速プロV1での初優勝者が、名乗りを上げる。それがビリー・アンドレイド。プロV1初年の秋。トーナメントはラスベガス。これがプロV1の初優勝だった。

それから15年で、何と単一ブランドのボールが、2374回も優勝した。これは途方もない数字。さらに続く。デビュー以来15年。この間世界主要ツアーでの使用プロは、30万4000人以上。タイトリスト本社の話だと「3人に2人がプロV1、またはプロV1xでプレー。その数は2位企業のボールの、5倍以上に達する」と言う。

まさに断然トップの状態。プロが選ぶ用具は、一般ゴルファーの市場でも、大きな影響を及ぼす。米のゴルフデータテックに拠ると「目下一般市場でも、175週連続一位」を保っている。

これらデータが公表されるのは、基本的にプロのモノだけ。私は1980年以来、可能な限りNCAA(全米学生選手権)を取材している。其処では全競技者の、恐らく90%は、プロV1でプレーしている。

全米オープンを、私が初めて取材したのも1980年。競技者の使用用具カウントが始まったのはこの頃。それ以来全米オープンに於ける、使用球の一位はズッとタイトリストのボール。

また当時、全米オープン会場の練習場のボールは、タイトリストの普通のボール。練習用でなく、プロたちが競技で使用するモノ。それぞれ一度しか打たない。従ってほぼ真っ新に近い状態。其れを綺麗に洗浄し、1ダース単位で、ビニール袋に入れ販売。飛ぶように売れていた。

話は今季を締め括る、チャンピオンズ・ツアーの最終戦。優勝したのは、アンドレイドだった。第一号勝者が、節目の15年目の最終戦も飾った。何やら因縁めいたモノを、感じさせる終幕だった。

(Dec.21.2015)

人生二度目の金脈、日本育ちJobe首位合格

人生二度目の金脈を、一番で掘り当てた、日本ツアー育ちの米人プロ、ブラント・ジョーブ。ボギーを叩かないウイリー・ウッドとともに、活躍が期待される(courtesy of PGA TOUR.com)

人生二度目の金脈を、一番で掘り当てた、日本ツアー育ちの米人プロ、ブラント・ジョーブ。ボギーを叩かないウイリー・ウッドとともに、活躍が期待される(courtesy of PGA TOUR.com)

他人のことでも、成功物語は素晴らしい。日本ツアー育ちの米人が2人。さらに個人的な旧知が、狭き門を突破。年明け早々、チャンピオンズ・ツアーに、Full Exemptionで登場する。

同ツアーは、人生二度目の金鉱。かつては「一丁上がり」だった50歳と言う年齢で、もう一度大きな稼ぎと、名誉を得る機会がぶら下がっている。

ツアープロには、二つのタイプがある。若い時強く、さらに50歳後も多数の優勝を残す。リー・トレビノやへール・アーウインのケース。一方レギュラーツアーでは、芽が出なかった男が、新しい金脈を見事掘り当てる。これも一つの醍醐味、と言える。

チャンピオンズツアーのQTは、毎年クリスマス前。何故なら新しいシーズン。それが暦が変わると同時に、始まるからだ。今年は日本から、尾﨑直道たちもトライした。そんな中、第一位合格メダリストの栄誉に浴したのがブラント・ジョーブ。

80年代、トッド・ハミルトンとともに、約10年日本ツアーに滞在。その間に日本プロ選手権など、二桁に届く優勝を成し遂げた成功者。帰米後優勝はなかったが、メモリアルの2位などで、実力を示した。そして50歳に到達して今回のQT。周囲はツアー優勝経験者ばかりか、メジャーの勝者も居た。
そんな強豪との競り合い。最終日の最終4 ホールで2つのバーディ。2016年シーズン、全戦出場できる資格。それに副賞の3万ドルも掌中に収めた。

WillieWood-847-ChrisCondonPGATOUR ジョーブに1打遅れた2位タイの、ウイリー・ウッド。彼も首位同様、全戦に出場できる。大きな金の扉を開けたことになる。私事だがこのウイリーと、彼がオクラホマ州立大の学生だった80年。一緒にゴルフをしている。その時のフォアサムは、他にボブ・トウエイとジェフ・マクミラン。

それから2年後。ウイリーは全米オープンに駒を進める。ワトソンが優勝した、あのペブルビーチで。海外取材駆け出しの私は、驚かされる。キャデイを雇わず、ウイリーはセルフで競技をしたのだ。

「学生の競技は、普段からセルフ。この方がプレーし易いので」と、こともなげに話してくれた。このウイリー、小柄だし必ずしもビッグヒッターではない。その反面ボギーを、最小限に抑える、高いディフェンス力を持つ。ちなみにQTの4日間、ボギーは僅か4箇。レギュラーに比べ、チャンピオンズ・ツアーは距離が短い。それだけにウイリーへの期待は大きくなる。

ゴジラ松井の、向こうを張ったTODDZILLAの、タイトリストボール。私の小さな宝物

ゴジラ松井の、向こうを張ったTODDZILLAの、タイトリストボール。私の小さな宝物

ジョーブと同時期、日本ツアーで活躍したハミルトン。彼はQTは不要。何故なら全英オープンを含め、帰米後複数の優勝を残して居るからだ。従ってこの先も、每季QTを心配せず、好きなだけ、トーナメントに活動ができる。

ハミルトンが、日本で活躍したのは、ゴジラ松井がヤンキースへ移籍した頃。「僕だってその逆。日本で好成績を残して居る米国人」との自負。そのため彼はボールに(TODDZILLA)と刻印した。彼の名前ToddとGodzllaの合成語。ゴジラ松井の向こうを張って。微笑ましかった。

かつてのヤンチャ坊主が、シニアで年明け戻ってくる。

(Dec.14.2015)

ゴルフ以上に、ビジネスの能力。USGA新女性会長

courtesy of The United State Golf Association

courtesy of The United State Golf Association

G8など主要国際会議の主役は男性。そんな中、欧州に於ける女性の活躍は目立つ。代表格はドイツのメルケル首相。続いて最近デンマーク。さらにスロバキアのトップにも、女性が就任した。ゴルフ界では今夏、ローラ・デイビイズやアニカが女性会員として、R&Aに迎えられている。260年余の歴史で初めてのことだった。

勿論それは米でも起こっている。かつて白人男性300人のクラブだった、オーガスタ・ナショナルGC。其処へも女性が2人同時に迎えられた。その一人はライス元国務長官。アフリカ系の彼女は、オーガスタの歴史的タブーを、一度に二つ破ったことになる。そして2016年のUSGA(米国ゴルフ協会)新会長に、このほど女性が選出されたこと。59歳の実業家ダイアナ・マーフィー氏。日本でも女性を登用する動きは出ているが、どうやら速度が違うようだ。

赤いスーツが似合う金髪。本業は米大西洋岸南部に本拠を置く、ロックソリッド・ホールデング社の専務。USGAに迎えられたのは1988年。それ以来USGAと協賛企業の窓口。5年前にエグゼクティブ委員会に名を連ね、それから決して長くない経験。だが実績が認められ、12月1日の委員会で、第64代米国ゴルフ協会の会長に、選出されたもの。正式には2月に行われるUSGA年次総会で承認され、晴れてスタートするのだが、それにしてもこの会長選び。日本とは大きな差があり、羨ましいほどだ。

この夏7月、新体制がスタートした、JGA(日本ゴルフ協会)の簡単な説明。最大の違い。それは顔触れが殆ど変化しないこと。新会長は、竹田恆正副会長が昇格。これ迄長いこと、無給のままだったと言われる、永田専務理事が副会長に。ここ迄は無風。意外な人事は安西孝之前会長が、名誉会長として残ったこと。これでは旧体制と、全く同じ顔触れ。

それに比べUSGAは、エグゼクティブ委員会歴5年の女性が、トーマス・オトール氏に代わって選出された。然も会長の期限は一年。短いのでは、との印象がなくはない。だがマーフィー新会長としては、USGAに加わったのが1988年。それからズッと仕事を続けてきたテーマは不変。それらはゴルフの底辺拡大へのコミュニケーション。それらを支えるための潤沢な資金作りなど。だから一年の期限でも、充分な結果を残すことが可能になる。その才能を認められての64代会長への選出。この辺りも日本が参考にすべき、大きなポイントになる。

何故ならJGAの場合、ゴルフの斜陽化に、歯止めが掛からない。一つの具体例が3オープンに対する、世間の関心の低さ。勿論予算的にも、依然として各ゴルフ場が収める,年会費頼りの体質を、避けられないでいる。

話しはマーフィー氏に戻る。学歴はウェスト・バージニア大と、シカゴのノースウエスタン大。実を言うと、史上2人目の女性会長のニュースは、Global Golf Postの特ダネだった。GGPの編集長もノースウエスタン大卒。そのコネクションで得た、ゴルフ業界としてのスクープだった。

それにしても、USGAが率先している普及策の一つ。それはドライブ、チップ、パット。子供達の最終競技が、マスターズの週はじめ,オーガスタで実施される。これも女性会長の得意分野、コミュニケーションの結果なのだ。若い59歳女性会長への期待は大きい。

(Dec.07.2015)