日本人に世界標準教えるサー・チャールズの評価

144th Open Championship - Champion Golfers' Challenge歴史の流れは、時に信じ難いほど早い。先週終わったバイロン・ネルソン・クラシック。そのネルソン翁は、1945年。11連勝を含め、年間18回の優勝を残している。

ニクラスもタイガーも、足許にさえ及ばなかった数字。それを可能にしたのは、シャフトの革命にいち早く着目した勇気。そして進取の気性だった。

いまはパーシモン・ヘッドの用具さえ知らない世代。因みにこれは、柿材でドラーバーから、3、4番ウッド迄を作った。その名残がメタル時代の今も、名称として残っている。ネルソン翁の話は、それを更に遡る。彼や同じ町で生まれたホーガン。彼らがゴルフを憶えた頃は、スティールとか、現在最先端を行くシャフトはナシ。ヒッコリーと言う、これもシナル木材を使ったモノだった。

ネルソン翁は1912年生まれ。96歳でこの世を去った。

続いて登場するのは、サー・ボブ・チャールズ。彼は1935年生まれの80歳。パットの名手として、世界で約80勝。その中には、リザムでの1963年全英オープン優勝も含まれる。世界で長いこと注目されてきた、一級の技術。ただし南半球ニュージーランドの生まれ。そのため、時間的にネルソン翁に遅れた。そのギャップがあったことは否めない。

「実は私も、バイロンと同じ経験を積んでいる。それはヒッコリーから、スティール・シャフトへの切り替えだった」。「だだし私が育ったのは、南半球。当時南アフリカ等と共に、ゴルフの情報が遅れて届いた地域」。

そんなことで、サー・チャールズは、ヒッコリーでゴルフに接した。そしてネルソン翁から遅れ、スティール・シャフトの存在を知る。

「偽らざる印象。それはゴルフに、神の手を与えられた、だった。不安定な動きを、コントロールしながらスイングする、ヒッコリー。それに比べ、スチールのシャフトは、自分の能力を、ほぼ百%引き出してくれた。その後リザムでの全英オープン優勝を含め、私は約80勝した。年齢的、そして地域的にバイロンには遅れたが、私の成功も、バイロンと同じモノだった。

全英オープンを運営するR&Aは、このほどそのサー・チャールズを、R&Aの名誉メンバーとして、迎えることを発表した。

大英連邦に生まれ、サーの称号まで得たチャールズ個人にとっては大きな名誉。それは一方で、私たち日本人にも一つの示唆を与える。それは世界基準で評価される。その様な動きを、続けることだ。それによって、日本全体のゴルフの、世界での評価を上げる。その絶好機になることを、サー・ボブ・チャールズが教えている。

(May.21.2016)