パーマー招待の前半をリードした、モーガン・ホフマン。テレビ桟敷にとって、新鮮な名前。他方、米ツアーの若手として、強い人気に支えられている、日系リッキー・ファウラー。彼らの出身校は、ともにオクラホマ州立大。略称はOSU、またはOKSU。前者の場合ニクラスが学んだ、オハイオ州立大と同じ。そのための使い分け。
ピーター・ユーライン。アマチュアの元世界ランク一位。学生時代マスターズに、招待された、エリート中のエリート。プロ転向後、何故か欧州ツアーに目を向け、現在は海外で武者修行中。そのユーラインも、出身校はオクラホマ州立大。このチームは、疑うことなくNCAA(全米学生)史上最強。それを育てた功労者が、マイク・ホルダー。このチームの優勝は合計10度。そのうちの8度優勝に導いた監督。それがホルダーなのだ。
日本では今でも続いている一強他弱。かつて米でも、同じ愚が行われていた。特定の大学運動部が、部員を集めたいだけ集める。その時代、合計16回のNCAA優勝を、残したのがヒューストン大。全米の優秀ジュニアを、根こそぎにできたのは、潤沢な学校予算に基づく奨学金。ゼラーからカプルス。日本で馴染みの、デビッド・イシイ。ゴルフのプロには、ならなかったが、マスターズ中継のCBSジム・ナンツ迄。いま振り返っても豪華。だが一強政策は、誉められたことではなかった。
その弊害を除去する。それを目的に樹立されたのが、NCAAの奨学金に関するルール。無制限を撤去。その後長いこと、フルスカラシップの支給対象部員が、4・5人以内に抑えられている。
マイク・ホルダーが、20代の若さで、破竹の勢いを開始したのは、70年代。NCAAのルールが、近代化された後。当然のことながら、他校との競争はシビアになる。それは同時に、監督としての、手腕の見せ所になった。
渡米して私が、最初に取材した、全米学生選手権は1980年。この時の優勝チームも、ホルダーのオクラホマ州立大だった。
代表的な教え子は、メジャー優勝のボブ・トウエイ。アマチュアの学生時代にツアー競技、85年のウエスタンオープンで優勝した、スコット・バープランク達。それはきら星の如し。
最大の要因は、ホルダーの指導者としての力量。それには理論と情熱に加えて、集める高校生への、目利きが必要。従ってオクラホマ州立大に、スカウトされると言うことは、或る種ゴルファーとしての、お墨付きを貰う。それと同じことになる。
むかし遼が15歳で、日本ツアーに優勝した。その情報を私が送った時も、ホルダーは次のように、助言している。
「もし高校を卒業する時に。本人と両親が希望するなら、是非米の大学へ進むといい。奨学金も用意できるはず」。実現はしなかった。だがホルダーの手紙は、私が和訳し杉並学院宛てで、遼の両親に郵送している。
もしかして遼が、ホルダーの助言に、耳を傾けていたら。ファウラーやモーガンたち同様、OSU卒業の肩書きで、ツアープロ活動を、していたかも知れない。歴史の流れの中で、既にすれ違ったことではあるのだが。
ユーライン、ファウラーそしてホフマン。彼らが今季ツアーで、優勝することへの期待は小さくない。彼らばかりか、聞き慣れない名前を耳にした時。確認作業をしたらいい。彼ら若手が学んだ指導者が、誰であるかを。
オクラホマ州立大の、人材育成は、米ツアーでそれほどの、存在なのだ。(March 30.2015)