マイナーとは言え、ヤンキース、そしてドジャースのマウンドに立った。そのプロ野球経験者が、奨学金を得て、他の種目で、大学で活躍する。日本では、まず見られぬこと。
何故この話を書くかと言えば、日本に同じ道を、歩むべき26歳がいるからだ。斎藤佑樹。彼が甲子園で優勝した8年前から、私の見解は変わらない。「斎藤はプロでは通用しない」。詳細の説明は、後回しにする。
日本ハムの斎藤。彼が甲子園で優勝。ハンカチ王子と持て囃された。その時から私は、終始一貫。「斎藤くん、キミは野球より、ゴルフに向いている」と書いてきた。
あの人気がなければ、昨シーズン終了後、解雇通知を受けて、不思議でない成績だった。だがそれは、プロ入り前から、予測されたこと。それより何より、彼がゴルフに転ずれば、野球の何倍もの、好成績を残せる可能性。ただし、それには条件がある。それは米の施設で米の指導を受ける。それを短期集中して行うこと。その最短距離は米に留学。ゴルフ部に入ることだ。
それに対し「26歳。年齢的に遅い」との声が聞こえる。
心配は無用。米のカレッジ・スポーツのシステムは、二十代半ばのプロ野球経験者を、受け入れてくれる。懐の深さを持っている。長くなるので、斎藤の話はここ迄にし、最近の成功例を記述したい。
OSU(オクラホマ州立大)は、全米学生選手権10度優勝。カレッジゴルフ界の雄。キャンパス近くに「男女ゴルフ部員のためのゴルフ場」カーステン・クリークを持つ。設計はトム・ファジオ。ここ長いこと、オーガスタ・ナショナルGCの、改造を任されている実力者。
ゴルフ部員ではなかった。だが数年前まで、そのOSUフットボール部のエースQB(クオーターバック)。それがブランドン・ウイーデンだった。何しろ大学に入ったのが二十代半ば。既に結婚もしていた。何故それ程遅く? 理由は簡単。高校卒業後投手として、ヤンキースと契約。その後ドジャース他へトレード。その間に、投手の生命、肩を痛め野球を断念した。
米では野球の投手が、秋から冬に掛け、フットボールのQB。二足の草鞋を履くケースは多い。ただしQBでの投球数は、野球ほど多くない。それがOSUに入学した、一つのカギだった。
OSUの4年間。ウイーデンはチームの要QBでOSUを、シーズン終盤まで、優勝争いに導く。そして其処に待っていたのは、NFLでのドラフトだった。野球のMLBも人気がある。だがフットボールは米の国技。秋の感謝祭休日。家族が集まった時、芝のある自宅の庭で、父と息子が楽しむのがフットボール。肩を痛めたことで、一度は諦めたプロのスポーツ稼業。それをフットボールで、再度実現できた。ウイーデンにとっては、有頂天になっていい状況だった。ドラフトされたのは、クリーブランドに本拠を置く古豪ブラウンズ。当然のことながら、一年目から先発を任された。
ロックフェラーやカーネギーが、為し得たのもアメリカン・ドリームだった。同じように二十代の青年が、僅かな期間に、2つのスポーツでプロとして活動する。これも紛れもなく、アメリカン・ドリーム。それを可能にするのが、柔軟性ある米のシステムなのだ。何と融通が利くことか。そのウイーデン、秀でていたのは、野球とフットボールだけではなかった。
マイク・ホルダー。石川遼が15歳で初優勝した時。「高校卒業後、関心あるなら、是非米の大学へ留学を」と勧めてくれた私の旧知。彼が笑みを浮かべ説明する。
「時に神は不公平だと思うことがある。それは一人の若者に、幾つもの才能を与えること」。現在OSU体育局長のホルダー。彼はゴルフ部監督時代。NCAAで8度の優勝を残している。彼こそが、カレッジゴルフ界の、指導者の帝王なのだ。そのホルダーが、べた褒めするウイーデン。彼は野球、フットボールだけでなく、ゴルフでもOSUゴルフ部員と、互角にプレーする才能だった。
彼がOSUにいた頃、ゴルフ部のエースは、ピーター・ユーライン。アマチュアの世界ランク一位。学生時代マスターズに招待された。何処から観ても、サラブレッド。また彼の父親はアクシュネット社(タイトリストとフットジョイ)の社長。プロV1ボールを、開発したのも彼の父ウォーリーだった。その才能と、ウイーデンはゴルフでも、互角に近い勝負をしていた。そんなアスリートを育成する。それを可能にするのが、米カレッジのスポーツシステムなのだ。
何とかクビは繋がった、ハンカチ王子。だが二軍でも打たれる最近の球威では、先はない。
それより、野球をすぱっと諦める。そしてグローブを置いて渡米する。OSUでも、何処でも相手にしてくれる。其処で一年遣れば、可能性が見える。何しろ米には、自分たちのゴルフ場を持つ、カレッジが全国に点在するのだから。そして6年先。2020東京五輪。斎藤がゴルフで、日本代表になる。何と夢のある話か。
2006年夏。私は西東京の決勝戦を、ジャンボ尾崎の家で、彼と一緒にテレビ観戦していた。日大三高との接戦。相次ぐピンチでの粘り強さと、前さばきの巧みさに、2人して笑みを浮かべた。ゴルフは攻撃の一方で防御のスポーツ。それだけに斎藤の性格は、野球よりゴルフなのだ。その印象は大きかった。甲子園で田中将大に投げ勝った時、だから逆に「この坊やは、野球よりゴルフに向いている」と直感した。
そして今、その通りに進展している。座して解雇通告を待つのは時間の問題。それよりスパッと切り換え、渡米してゴルフに転じる。野球だと30歳過ぎれば、引退を考慮する。同じ年齢でゴルフは、「これから」なのだ。
6年後には東京五輪。斎藤の才能なら、その代表になることも可能。それを教えているのが、28歳でプロフットボールNFLの球団に、ドラフトされた。ウイーデンの成功例。そしてそれを支える、米カレッジのスポーツ育成プログラムなのだ。
(Aug.25.2014)