欧州勢の強さ。ライダーカップ12代表への、飽くなき執念

(PGATour.com)

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2週前のベイヒル終了時。イアン・ポルターは、2つの航空予約を持っていた。補欠の儘テキサスへ飛び、マッチプレーの繰り上げを待つか。2010年の歴代優勝者。だが確率は高くない。ポルターが選んだのは、格下初めてのプエルトリコだった。

「何はともあれ、錆を落とす必要。その為にはトーナメントに出場すること」

午後の第1ラウンド。1アンダー。だがこのクラスへ来れば、過去ライダーカップ5度出場の実力は、抜きん出ている。土曜日定位置、トップに躍り出ている。

ライダーカップは、この秋9月最終週。ミネソタ州ヘイゼルティン・ナショナル。ポルターがいま3月末の時点で、狙いを定めているのは、半年先のその大一番なのだ。

遠く1927年に始まった、大西洋を挟んだ、2年に一度。ホーム&アウエイのイベント。賞金はナシ。個人の名誉と、背後にはためく国旗への誇りだけ。多数のプロ。その中でここに選ばれるのは、欧米とも各12人。とんでもない狭き門。とてつもないエリートの戦い。

まさに世界最高のゴルフショー。「錆を落とす目的」で、ポルターをプエルトリコへ飛ばせた理由が、ここにあった。

過去世界マッチプレーで優勝。日本ではダンロップフェニックスでも、勝利している40歳が、依然として情熱を燃やし続ける。それはライダーカップが、特に欧州人プロに取って、心の差さえであり、誇りだからだ。

比較になるが、日本の男子プロゴルフには、この様な歴史的背景が見られない。いわゆるモチベーションだ。その部分が、実は残念なことなのだ。

繰り返すが、マッチプレーの、繰り上げを待っていたら、チャンスはほぼゼロだった。乾坤一擲。プエルトリコへ飛んで来たからこそ切れた、半年先への再スタートだった。

それにしても12人の代表枠への、これほどの拘り。欧州勢の、ライダーカップとの一体感は、素晴らしい。

会員僅か5人のクラブ。マキロイに立ちはだかる、Mastersの壁

20160322思い起こせば、東日本大震災から5年。あの時は、まだ アマチュアだった松山英樹。学校が仙台。それが理由で彼に、予想外の脚光が当たった。そればかりかマスターズを前後し、世界中から膨大な義援金と、メッセージが日本に送られた。”世界が一つ”を、強く実感させられた時だった。

マスターズは、四大競技の一つ。これに世界の強豪が、漏れなく出場する。一つ獲ることの希少価値と重み。これに個々のピークが重なる。旧知のプロ、クリス・ディマルコ。彼は2005年、ほぼ完璧な筋書きで、最終日アーメンコーナーを通過。それでも16番、タイガーの奧からのチップイン。当時のタイガーに、大詰めで並ばれたら逃げられない。このバーデイで、グリーンジャケットを逃した。

会員5人のクラブ。これは恐らく世界で最も、会員になるのが困難な、少人数のクラブだ。会員はサラゼン、ホーガン、プレーヤー、ニクラスそしてタイガー。ここにはパーマー、ワトソンの名がない。時間的に可能性を残している。とは言えミケルソンも、未だ加われていない。

この5人とは、生涯グランドスラムの達成者なのだ。一度は簡単に、手の届く処まで行きながら、マキロイがこれを逃したのが2011年のことだった。

3日目まで、ただ独走を続けた、その時21歳のマキロイ。昨2015年マスターズと全米オープンを、連取したスピース。この時もそうだったが、若い彼らは(勢いで流れを、引き寄せられる)。然しフィールドでは、百人から百数十人が、逆転を虎視眈々狙っている。マキロイの時は、南アのシュワルッェル。

日曜バックナインで大まくり。だがそれより前マキロイ自身が、80以上を叩く自滅。急降下していた。

そのシュワルッェルが、数週前それ以来の、勝ち星を挙げた。あの時のマキロイの悪夢を、思い起こさせる一つの要因だ。

とは言え、若い彼らには、強いMomentumが働く。2ヶ月後の全米オープン。ここではオーガスタでは、何事もなかったかのように、再び快進撃。獲得が世界一困難と言われるタイトルを、あっさり射止めている。

その後は、ここで説明する迄もない。全米プロに続き、母国での全英でも、クラレットジャッグを、抱きしめることに成功している。

若く勢いのある、マキロイには、苦もないことだった。処が最後4つ目ののハードル。それが急に高くなった。終わったばかりのベイヒル。2日間は65。ことに最終日は2イーグルの圧倒。だが気が付くと、左に曲がるボールが、傷口を広げての27位タイ。これでは3週後のマスターズが、思い遣られる。

このまま、マスターズの壁と戦い続けるのか。

それにしても、世界で5人だけのクラブ。その重みを、マキロイは、いままさに実感しているはずだ。

(Mar.21.2016)

碧い悪魔、ブルーモンスターへの、畏敬の念

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マイアミは世界の避寒地。フロリダ半島のほぼ南端。亜熱帯の気候は、時折とんでもない、突風をもたらす。

共和党の大統領候補ドナルド・トランプが所有するドラル。ここには広大な2400エーカーの土地に、4つの18ホールがある。それぞれに魅力的な名前。トーナメントの舞台、ブルーモンスターの他は、Golden Palm、Silver Fox、Red Tiger。

この写真の通り、ブルーモンスターは、静かな時は美しい。其処へひとたび強風が吹くと、とんでもない牙を剥き出す。その時かつてのニクラス、ノーマンから、ここ十年のタイガー、ミケルソン迄が、碧い悪魔と化したコース中の、無数の池と格闘して来た。それが観客を。更にTV桟敷を熱狂させた。それ故の名称ブルーモンスターなのだ。

筆者がゴルフ取材を始めた1974年。ここが舞台のツアー競技は、ドラル・イースタン・オープンだった。当時アメリカン、UA、デルタと並ぶ四大航空会社の一つ、イースタン航空。名称に地域性と個性があった。

マイアミから、珊瑚礁の島key伝い南西へ、蒼い海を見渡しての道路が走る。最先端はKey West。そこはヘミングウエイの世界だ 

マイアミから、珊瑚礁の島key伝い南西へ、蒼い海を見渡しての道路が走る。最先端はKey West。そこはヘミングウエイの世界だ

私たちメディア、大きな割引料金で宿泊。月曜日は無料のラウンドを提供された。

米国人は、国籍に関係なく、入って行く人間に好意的。私は多くに指導を戴いた。その中でも報道記者として、強い影響を受けたのは2人。ケイ・ケスラーとゴードン・ホワイト。ケイは10歳だったニクラスが、その後生涯の師となる、グラウトとの出会い。それを記事にした伝説の物書き。

ゴードンは、ニューヨーク・タイムズの看板ゴルフ記者。同じ便で移動すると、気づいた乗客が「ミスター・ホワイト。サインを戴いて宜しいですか」と話し掛けたほど。有名コースでのラウンドに、日本からの駆け出し記者を、積極的に誘ってくれ、記者の心得を教えてくれた。

その一つは「コースを知らなければ記事は書けない。だから無料の好意を受けていい。だが其処まで。もし飲食する時は、必ず自腹で」。

ドラル初取材の時。月曜日ゴードンとラウンドすることになった。その前日迄も強風はなく、蒼い悪魔は本性を見せていなかった。

フロリダ州の付け根。軍港として栄えてきた、ジャックソンビル。TPCソウグラスは、その南Ponte Vedra Beachの大西洋岸。同じ場所に米ツアーのHQ。更に南下すると、そこには世界ゴルフの殿堂も。ほぼシーズンを通し、多くの来場者で賑わっている

フロリダ州の付け根。軍港として栄えてきた、ジャックソンビル。TPCソウグラスは、その南Ponte Vedra Beachの大西洋岸。同じ場所に米ツアーのHQ。更に南下すると、そこには世界ゴルフの殿堂も。ほぼシーズンを通し、多くの来場者で賑わっている

若く知識も少ない私は「当然のことながらブルーで」。朝食をしながらその話をしたら、ゴードンは無言で首を横に振った。彼は既に池の少ないGolden Palmの、ティタイムを押さえていたのだ。

「デュークな、ブルーの18ホールは、彼らツアープロ達の舞台なのだ。私たちには到底手が出ないコース。その現実を素直に受け止める。言わば畏敬の念を抱く。それが大切では」。

半島全体が湿地帯のフロリダ。この辺りコースの多くは、池を掘るのでなく、土量を動かして造ったホールの間は湿地を残す。ピート・ダイ設計のTPCソウグラス。半島の根本ジャクソンビルの近くだが、立地は似たようなモノ。ここも月曜日は私たちに開放してくれる。その時1ダース以上ロストする記者カメラも。出る冗談は何時も同じ。「池の水位が上がるぞ」。

ソウグラスは、酷く曲げなければ芝がある。オーガスタ・ナショナルにしても、何とか前進出来る。その点ブルーは、池越えのショットが続く。数年前、池に打ち込んだマキロイが、そのままアイアンも、放り入れた。時に世界ランク一位でさえも、苦戦する舞台。だから蒼い悪魔なのだ。ゴードンの教訓の正しさ。キャデラック選手権の度に、実感させられる。

(Mar.14.2016)

ライダーカップ候補25人。帝王宅での夕食に招待

ゴルフ界の歴史、人脈そして知性までが、見事に詰め込まれたニクラスの頭脳。この夜の話の中味と、出た質問。興味は尽きない(courtesy of pgatour.com)

ゴルフ界の歴史、人脈そして知性までが、見事に詰め込まれたニクラスの頭脳。この夜の話の中味と、出た質問。興味は尽きない(courtesy of pgatour.com)

この写真で、総ての説明が付く。中央の女性が、この夜の招待主バーバラ。右がご主人ジャック。左は秋のライダーカップで、2度目のキャプテンを務めるデービス・ラブ三世。一列目左側から、長身のダスティン・ジョンソン。中央にミケルソン。後列右には、遠慮気味タイガーの姿も。
選手ではないが、副キャプテン候補の一人、トム・レーマンは、このディナーのために、片道4、5時間飛行。アリゾナのフェニックスから、駆け付けている。総勢25人。彼ら声が掛かれば、何処からでも馳せ参じる。

これが現在の、帝王ニクラスの吸引力。いま世界のゴルフ界は、紛れもなく75歳ニクラスを中心に回り、これはこの先少なくとも、10年は続くはずだ。

ニクラスで特筆されること。それはメジャー18勝の、競技生活だけに留まらない。彼の功績に関し、同世代のライバル、リー・トレビノが、次の様な話をしている。トレビノはかつてキャデイも遣らせて貰った人。私にとってはニクラスと同様大切な先輩だ。

1984年。トレビノが2度目の全米プロで優勝した、2ヶ月後にバッグを任された。体験キャデイは、物書きの私にとって、とてつもない勉強になった

1984年。トレビノが2度目の全米プロで優勝した、2ヶ月後にバッグを任された。体験キャデイは、物書きの私にとって、とてつもない勉強になった

「俺たちが若かった70年代まで。ライダーカップは、金曜午前のマッチ。その最初の組が1番ホールのティショットを終えた時、勝敗が決まった。勿論米国の勝ちさ」。トレビノは話が面白い。一言で総てをズバリ表現する。当時のライダーカップ(米vs.英アイルランド連合)は、それほどの差があった。

それが79年、米欧の対抗戦に発展した。時恰もセベを筆頭に、ファロド、ライル、ウーズナム達が台頭。それを見越し、米欧の対抗戦に拡大を提唱したのが、他ならぬニクラスだった。この写真が示す現在のライダーカップの隆盛。ニクラスの一言が、あったればこそだった。

米ツアーに於ける、ニクラスのトーナメントは、5月末のメモリアル。これは米国の行事、戦没将兵慰霊に重ねたもの。それはケンタッキーダービー。インディ500に続く、早春の全米規模のイベントとして定着した。ニクラスと言う男。競技者として「過去百年の最強」であるばかりか、プレー以外でも、巨泉の如くアイディアが湧き出る、類い希な才能の持ち主なのだ。

話はメモリアルに戻る。この週は水曜午後の、セレモニーが賑わう。メモリアルは、もう一つの意味を持つ。ゴルフ界に貢献した、歴史上の功労者を毎年表彰すること。そしてコース内ハウス近くの一角に、功労者一人一人のコーナーを設ける。1976年の第一回は、当然のことながら、マスターズの創始者であり、1930年のグランドスラマー、ボビー・ジョーンズだった。

ホンダクラシックの会場、PGAナショナルは、ニクラスの自宅から至近。其処で「ステーキ&ロブスターのメイン。デザートはニクラスブランドのアイスクリーム」(バーバラの説明)。25人のライダーカップ候補者は、舌鼓をうちながら、ニクラスの話を貪欲に吸収したそうである。

また遠慮気味だったタイガーに、声を掛けるのも、忘れてはいなかった。40歳になったタイガーが、ニクラスの一言で、子供のように喜んだことは、言う迄もないことだった。

そのライダーカップ。今年は9月最終週。ヘイゼルチン・ナショナル。リベンジを狙う米チーム。ニクラスがどんな秘策を、授けたのだろうか。

(Mar.7th.2016)