ライダーカップ候補25人。帝王宅での夕食に招待

ゴルフ界の歴史、人脈そして知性までが、見事に詰め込まれたニクラスの頭脳。この夜の話の中味と、出た質問。興味は尽きない(courtesy of pgatour.com)

ゴルフ界の歴史、人脈そして知性までが、見事に詰め込まれたニクラスの頭脳。この夜の話の中味と、出た質問。興味は尽きない(courtesy of pgatour.com)

この写真で、総ての説明が付く。中央の女性が、この夜の招待主バーバラ。右がご主人ジャック。左は秋のライダーカップで、2度目のキャプテンを務めるデービス・ラブ三世。一列目左側から、長身のダスティン・ジョンソン。中央にミケルソン。後列右には、遠慮気味タイガーの姿も。
選手ではないが、副キャプテン候補の一人、トム・レーマンは、このディナーのために、片道4、5時間飛行。アリゾナのフェニックスから、駆け付けている。総勢25人。彼ら声が掛かれば、何処からでも馳せ参じる。

これが現在の、帝王ニクラスの吸引力。いま世界のゴルフ界は、紛れもなく75歳ニクラスを中心に回り、これはこの先少なくとも、10年は続くはずだ。

ニクラスで特筆されること。それはメジャー18勝の、競技生活だけに留まらない。彼の功績に関し、同世代のライバル、リー・トレビノが、次の様な話をしている。トレビノはかつてキャデイも遣らせて貰った人。私にとってはニクラスと同様大切な先輩だ。

1984年。トレビノが2度目の全米プロで優勝した、2ヶ月後にバッグを任された。体験キャデイは、物書きの私にとって、とてつもない勉強になった

1984年。トレビノが2度目の全米プロで優勝した、2ヶ月後にバッグを任された。体験キャデイは、物書きの私にとって、とてつもない勉強になった

「俺たちが若かった70年代まで。ライダーカップは、金曜午前のマッチ。その最初の組が1番ホールのティショットを終えた時、勝敗が決まった。勿論米国の勝ちさ」。トレビノは話が面白い。一言で総てをズバリ表現する。当時のライダーカップ(米vs.英アイルランド連合)は、それほどの差があった。

それが79年、米欧の対抗戦に発展した。時恰もセベを筆頭に、ファロド、ライル、ウーズナム達が台頭。それを見越し、米欧の対抗戦に拡大を提唱したのが、他ならぬニクラスだった。この写真が示す現在のライダーカップの隆盛。ニクラスの一言が、あったればこそだった。

米ツアーに於ける、ニクラスのトーナメントは、5月末のメモリアル。これは米国の行事、戦没将兵慰霊に重ねたもの。それはケンタッキーダービー。インディ500に続く、早春の全米規模のイベントとして定着した。ニクラスと言う男。競技者として「過去百年の最強」であるばかりか、プレー以外でも、巨泉の如くアイディアが湧き出る、類い希な才能の持ち主なのだ。

話はメモリアルに戻る。この週は水曜午後の、セレモニーが賑わう。メモリアルは、もう一つの意味を持つ。ゴルフ界に貢献した、歴史上の功労者を毎年表彰すること。そしてコース内ハウス近くの一角に、功労者一人一人のコーナーを設ける。1976年の第一回は、当然のことながら、マスターズの創始者であり、1930年のグランドスラマー、ボビー・ジョーンズだった。

ホンダクラシックの会場、PGAナショナルは、ニクラスの自宅から至近。其処で「ステーキ&ロブスターのメイン。デザートはニクラスブランドのアイスクリーム」(バーバラの説明)。25人のライダーカップ候補者は、舌鼓をうちながら、ニクラスの話を貪欲に吸収したそうである。

また遠慮気味だったタイガーに、声を掛けるのも、忘れてはいなかった。40歳になったタイガーが、ニクラスの一言で、子供のように喜んだことは、言う迄もないことだった。

そのライダーカップ。今年は9月最終週。ヘイゼルチン・ナショナル。リベンジを狙う米チーム。ニクラスがどんな秘策を、授けたのだろうか。

(Mar.7th.2016)