全英スタートアナ。銀髪ドブソン40年の輝き

忙中閑あり。全英オープン歴代勝者、南アフリカのルイ・オストハイゼンと、暫しの雑談をする全英オープン、練習日のロブソン(coutesy of Global Golf Post)

忙中閑あり。全英オープン歴代勝者、南アフリカのルイ・オストハイゼンと、暫しの雑談をする全英オープン、練習日のロブソン(coutesy of Global Golf Post)

全英オープンばかりか、マスターズでも。スタートホールでの、アナウンスは、重要な役割。それは殆ど、オーケストラの指揮者。この場合の楽員は、競技者と、ティグラウンド周囲を埋めた観客である。

腐すわけではない。日本はこの部分が、比較できないほどの陳腐。だから盛り上がりに欠ける。

全英のスタートアナ、アイバー・ドブソンが、初めてマイクを持ったのは、遠く1975年に遡る。海外ゴルフに、詳しい向きには、直ぐ分かるはず。そう、トム・ワトソンが、初出場初優勝した、カーヌスティ。

そのワトソンも65歳になり、先々週のオールドコースで、最後の全英に臨んだ。ロブソンも、アナウンス人生40年に、幕を閉じるには、これ以上のタイミングはなかった。処がその時、舞台を下りた、もう一人がいた。R&Aの代表専務理事、ピーター・ドウソンだった。それにしても、有名な3人もの関係者が、一度にリタイアする。珍しい事だった。

ロブソンに関しては、経歴より彼の一日の動き。それを説明する必要が重要。

全英オープンのティタイムは、最初の組が早朝6時32分。最後の組が午後4時13分。約10時間の長丁場。その間に、ただ名前を呼び上げるだけではない。競技者を一人各々、丁寧に紹介する。156人の中には、変わった経歴も少なくない。欧州のファンにとっては、聞いたこともない名前。ちなみに木曜日最終組の一人は、日本からの手島多一だった。

遠来の選手。彼らの心を和ませ、観客と打ち解けさせる。アウエイのある野球などと違い、ゴルフは全体がホーム。金曜日、荒天による中断で、スイルカン橋を渡ったのが、夜10になっていたワトソン。この日はドブソンにとって、殊の外長い一日だった。

太平洋マスターズは、かつてゴルフの黒船だった。1972年の第一回大会。パーマー、ニクラスを除く米ツアー勢の主力が勢揃いした。秋10月。会場総武CC一番ティグラウンド。ここでもメジャーのスタイルは、当然取り入れられた。

スタートアナは、デスクジョッキーの草分け、ケン田島さん。石原裕次郎とヨット仲間は、女王陛下の英語を話す、憧れのバイリンガル。そんなことで米ツアー勢は、全員がスタート前に、ケンさんと嬉しそうに会話をする。若いクレンショウやカイトの、ケンさんに対する敬意を払った態度。

そんな中、毎朝賑やかだったのがリー・トレビノ。彼は観客を笑わせる。そのため充分なだけの、ネタを仕込んで、一番ティグラウンドに立つ。中心は笑わせること。だが時にはペーソスも。何しろ引き出しは大きい。

そんな才能が、一番ティグラウンドで、ケン田島さんと、掛け合う。観客に受けないはずがなかった。それはまさに、オーケストラの指揮者の面目躍如。だが何時の間にか、この風習が消え、いまではテレビ局の、駆け出しアナの、訓練の場に変わっている。味も素っ気もない。彼らに、大衆を盛り上げる能力はないからだ。

ロブソンの後釜が誰か。まだ聞いてはいない。だが来年のロイヤルトルーン。ズッと年齢の下がった後継者の登場は間違いない。

人の集まる所に、有名人は多ければ多いだけよい。それによって、会場が盛り上がるからだ。やや甲高い声。輝いたオフィシャル・スターター、ロブソン。彼は今後も、語り継がれることになる。

(July.27.2015)

21歳スピース。ホーガンの道は遠かった

レギュレーション・プレーから延長まで。パットを入れまくったベテラン、ジョンソンにGrand Slamの夢は、打ち砕かれた(Global Golf Post提供)

レギュレーション・プレーから延長まで。パットを入れまくったベテラン、ジョンソンにGrand Slamの夢は、打ち砕かれた(Global Golf Post提供)

フロリダの自宅で、テレビ観戦していたニクラス。彼の口から繰り返し、感嘆詞「WOW」が飛び出した。その時頻繁に出た、もう一つの言葉。それは「彼らは実に強い気持ちで、プレッシャーを克服している」だった。

言及したのは、プレーオフに残った3人だけではない。一打差でチャンスを逃した、ジョーダン・スピースにまで。

「プレッシャーの掛かった、メジャー3連勝。その状況で、ここ迄残った。大変な競技者。ただ結果が付いてこなかった。それだけのこと」

今回の全英で、スピースが比較された先達は、何人もいた。ニクラスもその一人。それ以前には1930年のジョーンズ。それに続くパーマーもいた。然し最も強く対象されたのは、ベン・ホーガンだった。

遠く1953年。マスターズを獲った後のホーガンは6月。オークモントの全米オープンでも頂点に立つ。大西洋は船旅の時代。それにも拘わらず、全英と全米プロの日程が詰まっていた。それも理由でカヌースティに渡る。そしてトムソン、リース、ストラナハンに、4打差を付け圧勝した。

グランドスラム競技のうち、出場した三つ全部で優勝した。全米プロに出場していれば、果たして勝っていたか。

それより前、ホーガンは、交通事故で瀕死の重傷を負っている。「歩行さえ困難」との診断。それを乗り越え、1950年メリオンの全米オープンで復活した経緯がある。それだけに「一日18ホールだけなら兎も角、それ以上のプレーが必要なマッチプレーでは」との不安は、当然拭い切れなかった。

それは兎も角、カヌースティから戻ったホーガン。彼を待っていたのは、ニューヨーク五番街でのパレードだった。聳える摩天楼から散る紙吹雪。これは世界のパレードで、最も派手な場所。

後2009年、MVPゴジラ松井の活躍で、ニューヨーク・ヤンキースが、27度目のワールドチャンピオンに輝く。この時のパレードも、ホーガンの時と同じ五番街だった。もしスピースが優勝していれば、ホーガン同様、五番街のパレードが、見られたかも知れない。そう思うと残念だ。

話は今回の全英オープン。予報通り天候が荒れ、最終日は27年ぶりの月曜日。絶好調だったジョンソン。彼までが、コースに15時間以上貼り付けにされたことで後退した。

日本ツアー勢は全滅。その対局だったのが、若い学生のアマチュア。事に54ホールで首位タイ。最終日を最終組でスタートした、アイルランドのポール・ダン。注目された。

「スピースは、結果として優勝に届かなかっただけ」。ニクラスの言葉通り、巨大なプレッシャーの中で、21歳とは思えぬ、自制心を最後迄、失わなかった高い能力。1953年のホーガンには届かなかった。だが世界から、これだけ選りすぐられた競技者が、鎬を削る大舞台。そこで21歳が、マスターズと全米を連取した。それだけでも、歴史的快挙なのだ。

補足説明になるが、四大タイトル18個のニクラス。彼でさえ優勝を争いながら、2位と3位に終わったメジャー競技。その合計は28に達する。ただ一人の勝者になる。容易ではないことなのだ。

この27日22歳になるスピース。ダンたちとの、新しい時代が始まった。

(July.21.2015)

スピース四冠への行進は、一瞬の輝き

絶対の本命視されているスピース。オールドコースでの木曜日はジョンソン、松山との組み合わせだ(PGA TOUR.com提供)

絶対の本命視されているスピース。オールドコースでの木曜日はジョンソン、松山との組み合わせだ(PGA TOUR.com提供)

Club of five members。これは世界で最も小さく、限られた人数のクラブ。構成しているのはジーン・サラゼン、ベン・ホーガン、ゲイリー・プレーヤー、ジャック・ニクラス。そしてタイガー・ウッズ。

全米オープンの2位が6度。そのうち何度も、最少ストロークに迫りながら勝てないミケルソン。この夏彼は45歳の、誕生日を通過。彼の目の前で、ナショナルオープン選手権の、トロフィーを抱いたのは、21歳のジョーダン・スピースだった。

年間四冠と言えば、1930年のボビー・ジョーンズ。その後私たちが意識したグランドスラム。その快進撃はパーマーだった。

1960年パーマーは、マスターズ、全米オープンを連覇して、セントアンドルーズに乗り込んでいる。然しネーグルに1打の遅れを取った。時差の悔しさというか。パーマーは翌年から、全英オープンを連覇している。

一年でも勝利の時間がズレていれば、その後の全米プロでの、グランドスラム達成が観られたモノを。尤もパーマーは、その全米プロだけが獲れず、生涯グランドスラム。そしてClub of five members入りも果たせなかった。

1960年全米オープンで、パーマーに逆転されたのは、当時大学生のニクラス。その後プロ転向し、1972年マスターズと全米オープン連覇。その勢いで大西洋を渡る。舞台はミュアフィールド。だが当時絶頂だったトレビノが立ちはだかった。1打差でグランドスラムへの行進は、阻止された。

説明がややこしくなるが、その前71年ニクラスは、全米プロで優勝している。そうなると同一年ではないが、72年のミュアフィールドで、四冠達成。その可能性があった。

四大競技で、優勝を争う様な連中は、競技者としてピークにある時。この頃のリー・トレビノも強かった。

彼のメジャータイトルは計6個。マスターズ以外は、それぞれ2勝している。然もそのうちの4度は、ニクラスと競り合い、ニクラスを蹴落としての優勝。そんな過去を見ていると、今週のスピース。意外な伏兵にMarching into historyを阻まれる。そんな可能性を読んでしまう。

その一人は、かつてのWR一位、リー・ウエストウッド。彼に関しては、スピースの対抗馬、と言うより、私個人として見てみたい優勝者。それに対し英国の読者からは、共鳴の声が結構届いている。

42歳。全英オープンは2009、2013年3位。2010年には2位。特に2009年の時は、60歳を目前にしたトム・ワトソンが、プレーオフに残った時。英国の看板を、長いこと背負ってきたプロ。その彼に一度は、クラレットジャグを抱かせたい。そう願うのは、私一人ではないのだ。

それでも、米英記者仲間の予想は、ほぼ百%がスピース。21歳に重圧はないのか。何れにしろ、年間四冠に向かって進撃できる。これは各々の人生にとって、一瞬の出来事でしかない。勝負の筋書きは、誰も書けない。

(July.15.2015)

全英欠場マキロイと、タイガー26歳の時

左足にギプスをしても、元気溌剌のマキロイ。今週の彼は、専らウインブルドンのテレビ観戦だ

左足にギプスをしても、元気溌剌のマキロイ。今週の彼は、専らウインブルドンのテレビ観戦だ

マキロイは、全英オープンの前年優勝者。然も舞台は、ゴルフの聖地オールドコース。その彼が月曜サッカーで、左足首靱帯断裂の怪我。その時、多くが「この大事な時に、仲間とサッカーをする。誘惑を断ち切れなかった。まだ子供」とコメント。

その時の発表では「出場のチャンスは10%」。それに対し私は、次のようにコメントした。

「10%は大きい可能性。特に26歳の若者。回復は早いはず。この先10日、医師の指示にしっかり従うこと。幸運を」。

私はマキロイに、好感を抱いている。理由はメジャー4賞のビッグネームが、他の部分では、あっけらかんとして、失敗を繰り返すおおらかさ。一つの例が、招待状まで発送しながら、キャロライン・ウオズ二アッキとの結婚を破棄した、一年前5月の出来事。それにも拘わらず、その週の欧州ツアー旗艦競技BMWPGAで、最終日大逆転優勝を演じた。

勢いは7月以降も止まらず。全英オープン、全米プロを連取。生涯グランドスラムへ、一気に王手を掛けた。失敗にくじけぬ前進。まさに若者の特権だ。

失敗はまたしても訪れた。然しそれに対する対処。これも潔く鮮やかだった。

「残念ながら今年の全英は、欠場します。百%回復し、百%コンペテティブなゴルフが、出来る迄は」。
勿論父親や、マネジメント会社スタッフの、助言は欠かせない。それにしても、ここ迄スパッと決断できる。当たり前なのだが、私は称賛したい。そして思い起こすのが、タイガー26歳の時だ。

中学時代のタイガー。この頃ジュニア競技に出て来る子供達の第一の目標。それは競技後、同じ中学生タイガーのサインを貰うことだった

中学時代のタイガー。この頃ジュニア競技に出て来る子供達の第一の目標。それは競技後、同じ中学生タイガーのサインを貰うことだった

その前タイガーは、二千年の全米オープンから、翌年のマスターズ迄、メジャー4連勝した。いわゆるタイガースラム。それは「日の没する時なし」と豪語した、かつての大英帝国を、彷彿させる強さだった。

だが、そこ迄の活躍を続けながらも、タイガーは致命的な弱点を、抱えていた。それが繰り返し、メスを入れざるを得なかった、痛めている左膝だった。

ピークの下降は、意外な速度で襲う。それが注目されたのが、2008年の全米オープン。この時勝つに勝ったが、プレーオフは、左足を引き摺っての18ホールだった。

そして39歳のいま。タイガーは此処までの5ヶ月間で、80台のスコアを三度叩いている。最盛期平均スコアが、69を切ることさえあった男が、いま十数打悪いスコアを打つ。まさに、「無事でなければ、名馬に非ず」を、身をもって証明しているのが、現在のタイガーなのだ。

タイガーの左膝痛は、慢性的なモノ。それに比べマキロイの左足首。それは偶発的なモノ。本人の言う通り、的確な治療と、その後のリハビリをしっかり行う。それで「百%回復と、百%コンペティティブ」状態回復は、十分期待してよいはず。

既に何の関係もないが、同じ週キャロラインは、ウインブルドンで、4回戦敗退している。それもズッと格下に。

人生は常に初舞台の連続。マキロイが怪我から復帰し、優勝した時。熱狂は以前にも増して、大きくなるはずだ。

(June.09.2015)

29年連続完売。全米オープン、来年の切符が、もう買える

昨年のパインハーストNo.2は30万人。コースのタイプとして、それには及ばなかった。それでも、このスピースの、ウイニングパットに、3万1千人が熱狂した(Global Golf Post)

昨年のパインハーストNo.2は30万人。コースのタイプとして、それには及ばなかった。それでも、このスピースの、ウイニングパットに、3万1千人が熱狂した(Global Golf Post)

前売り券が完売する。ミズモノ商売のショービジネスで、主催がこれほど、心安らぐことはない。

6月の全米オープン。目新しい舞台と、21歳ジョーダン・スピースの優勝。多くが声援を送った。その数は連日3万1千。あれだけの顔触れ。当たり前の数。だがこれが29年連続の完売と聞けば、いささか驚くに違いない。

恒例のことだが、全米オープンは今年の競技開始と同時に、翌年の前売り券を売り出す。かつては郵便で申し込んだ。それが現在はネット販売。一日とは言わないが、完売に要する時間は、瞬く間。

来年の全米オープンは、ペンシルベニア州のオークモント。遠く1962年、22歳ジャック・ニクラスが、プロ初勝利。それも宿敵パーマーの本拠地で飾った。その歴史的な舞台。開催期間は16年6月16日から19日。その切符が6月15日。既に発売になった。

今年の全米オープンが、6月18日初日だったから、その前。何と手際のよいことか。値段は各種。最も一般的なのが50ドル。これ日本なら、3千円見当か。その先は飲食など、会場で受ける待遇に応じ、値段が上がって行く。

ただし50ドルの切符で入場すれば、丸一日全米オープンの熱狂に浸れる。悪くない料金だ。何しろ世界ランクの上位が勢揃いする、豪華な顔触れなのだから。

別の業種の話。5月4日、パッキャオvs.メイウエザーのタイトルマッチ。会場はベガスの、MGMグランドガーデンアリーナ。普段でも自家用ジェット機で混雑するベガスの空港。この日は満杯状態が、映像で送られてきた。人が集まればカネが落ちる。ベガスならではの商法。

質の高いショーを用意すれば、世間の注目を集める。切符は捌ける。ゴルフからボクシング迄、彼らの商売上手に、常に感心させられる。それにしても、一年前に切符を売り出す。それも1日3万1千枚。これって結構、手間暇が掛かる。何故なら購入した人達。彼らは1年先の予定を、押えなければ、ならないからだ。

遠路の場合は、宿泊や交通手段の予約も必要になる。

同じシステムを採用しているのが、4月のマスターズ・トーナメント。ここでは年内クリスマス迄に、招待競技者が決定。それを受け、正月明けを待って、登録されているパトロン(観客)一人々々に郵便を発送。「あなたは今年も、マスターズを観戦する機会を、与えられました」。手続きを勧める内容だ。

その様なシステムの中で、多くのパトロンは、10年も20年も、連続して、オーガスタの一週間を漫喫している。マスターズの場合、ギャラリーとは呼ばない。パトロンとは、マスターズそのものを育てる、と言う意味を持つ。

その様な歴史と伝統。その同じことがナショナル選手権、全米オープンでも実施されている。それが1年前の切符売り出し。そして29年連続の完売。その実績なのだ。これでゴルフに、人が集まらないはずがない。

それに比べ、日本のゴルフは大きく遅れている。その端的な部分。それがこのシステムの違い。毎週4日間で、日本の観客は1万人前後。全米オープンの、1日3万1千にも及ばない。その差は50年。更に広がるだけだ。

(July.06.2015)