フロリダの自宅で、テレビ観戦していたニクラス。彼の口から繰り返し、感嘆詞「WOW」が飛び出した。その時頻繁に出た、もう一つの言葉。それは「彼らは実に強い気持ちで、プレッシャーを克服している」だった。
言及したのは、プレーオフに残った3人だけではない。一打差でチャンスを逃した、ジョーダン・スピースにまで。
「プレッシャーの掛かった、メジャー3連勝。その状況で、ここ迄残った。大変な競技者。ただ結果が付いてこなかった。それだけのこと」
今回の全英で、スピースが比較された先達は、何人もいた。ニクラスもその一人。それ以前には1930年のジョーンズ。それに続くパーマーもいた。然し最も強く対象されたのは、ベン・ホーガンだった。
遠く1953年。マスターズを獲った後のホーガンは6月。オークモントの全米オープンでも頂点に立つ。大西洋は船旅の時代。それにも拘わらず、全英と全米プロの日程が詰まっていた。それも理由でカヌースティに渡る。そしてトムソン、リース、ストラナハンに、4打差を付け圧勝した。
グランドスラム競技のうち、出場した三つ全部で優勝した。全米プロに出場していれば、果たして勝っていたか。
それより前、ホーガンは、交通事故で瀕死の重傷を負っている。「歩行さえ困難」との診断。それを乗り越え、1950年メリオンの全米オープンで復活した経緯がある。それだけに「一日18ホールだけなら兎も角、それ以上のプレーが必要なマッチプレーでは」との不安は、当然拭い切れなかった。
それは兎も角、カヌースティから戻ったホーガン。彼を待っていたのは、ニューヨーク五番街でのパレードだった。聳える摩天楼から散る紙吹雪。これは世界のパレードで、最も派手な場所。
後2009年、MVPゴジラ松井の活躍で、ニューヨーク・ヤンキースが、27度目のワールドチャンピオンに輝く。この時のパレードも、ホーガンの時と同じ五番街だった。もしスピースが優勝していれば、ホーガン同様、五番街のパレードが、見られたかも知れない。そう思うと残念だ。
話は今回の全英オープン。予報通り天候が荒れ、最終日は27年ぶりの月曜日。絶好調だったジョンソン。彼までが、コースに15時間以上貼り付けにされたことで後退した。
日本ツアー勢は全滅。その対局だったのが、若い学生のアマチュア。事に54ホールで首位タイ。最終日を最終組でスタートした、アイルランドのポール・ダン。注目された。
「スピースは、結果として優勝に届かなかっただけ」。ニクラスの言葉通り、巨大なプレッシャーの中で、21歳とは思えぬ、自制心を最後迄、失わなかった高い能力。1953年のホーガンには届かなかった。だが世界から、これだけ選りすぐられた競技者が、鎬を削る大舞台。そこで21歳が、マスターズと全米を連取した。それだけでも、歴史的快挙なのだ。
補足説明になるが、四大タイトル18個のニクラス。彼でさえ優勝を争いながら、2位と3位に終わったメジャー競技。その合計は28に達する。ただ一人の勝者になる。容易ではないことなのだ。
この27日22歳になるスピース。ダンたちとの、新しい時代が始まった。
(July.21.2015)