3ヶ月の空白を経て、復帰したタイガー。世間は甘くなく、第一ラウンドは7つのボギー。金曜日も75(1ダブル、5ボギー)。2年ぶりの36ホール落ちで終わった。
この写真は、西暦2千年の春先。加州ゴルフ記者協会の、表彰ディナーでのモノ。場所はトム・ワトソンが、共同設計したスパニッシュベイの大宴会場。サイプレスポイントやペブルビーチと、同じモントレー半島。
最優秀選手として、表彰されたのは男子がタイガー。女子は99年全米女子オープン。そして全米女子プロ選手権で、二冠に輝いた、ジュリ・インクスター。その時この2人以上に、注目された受賞者がいた。ルディ・デュラン。タイガーを、4歳から10歳迄、育てた加州のプロ。実はこの年、ルディは引っ張りだこだった。
米には多様な表彰が多数ある。USGA(米国ゴルフ協会)の、ボビー・ジョーンズ賞。これはプロアマを問わず、ゴルフ界の発展に寄与した実績。それに対して贈られる。受賞者の中には、大統領もいる。
ベン・ホーガン賞は、大怪我や病気を克服。依然として活動を、続ける競技者が対象。これは私たち、米国ゴルフ記者協会が選ぶ。
カード・ウォーカー賞は、ジュニア育成に、多大な結果を残した個人、または団体に、PGAツアーから贈られるモノ。
この頃タイガーは、絶頂期だった。このシーズンも、全米、全英両オープン。全米プロ選手権。そして翌2001年のマスターズ迄、四大タイトルを独占している。2年に跨がったことで、年間グランドスラムにはならなかった。それに代わり、米のマスコミは(タイガー・スラム)と、高評価した。
教え子が活躍すれば、当然指導者に脚光が当たる。カード・ウォーカー賞が、ルディに決まる迄に、時間は掛からなかった。
米ツアーは昨年から、通年での開催に変わった。それでもシーズンの初っ端は、正月明け早々マウイでの、トーナメント・オブ・チャンピオンズ。。前年の優勝者だけが招待される、エリートの顔見せ興業。カード・ウオーカー賞などの表彰式。それはすべてこの週はじめの、前夜祭で行われる。
ルディに対する最高の演出。それはこの時カードウォーカー賞の、プレゼンターが、教え子のタイガーだったこと。
前述した加州ゴルフ記者協会の表彰。それは、マウイでの授賞を受けてのモノだった。
ルディがタイガーと出会ったのは、加州ロングビーチの(パー3の18ホールコース)ハートウエル・ゴルフ公園。激戦のベトナムへ、二度派遣され合計27ヶ月戦い抜いた、タイガーの父アール。彼が育て、2歳でテレビ出演する程の、天才振りを発揮していたタイガー。それでもアールは「遠からず、プロに預ける」ことの必要性を実感。近隣で一番の、教え上手を探し、白羽の矢を立てた。それがルディだった。
ルディが、タイガーを指導したのは7年間。彼が10歳の時に、諦めざるを得なかった理由。それは加州中部のゴルフ場から、ヘッドプロへの就任を、要請されたためだった。同地でルディは、いま自分のゴルフ場を経営。併せて(ザ・ファーストティ・プログラム)の責任者としても、先頭を走っている。
4歳のタイガーと、ルディが出会って、約20年後の姿が、この写真なのだ。
私の好きなドライブコース。その一つは加州の、海岸線近くを南北に走るルート101。途中には風光明媚な町、サンタバーバラもある。ルディの家もゴルフ場も、101沿いのパソロブレス。時折り訪れては、一緒にゴルフをし、翌日ペブルビーチまで足を伸ばすのが、何時もの旅程。
ドライブ中。繰り返し聞いた、タイガーとの昔話に、改めて花が咲く。
タイガーと接した、コーチとしてのルディ。彼は豊富なアイディアを駆使する一方で、指導者としての、厳しさも欠かさなかった。
ルディの最高傑作。その一つは、(タイガーのパー)を設定したこと。
「タイガーと初めて会ったのは、彼が4歳の時。早速ボールを打たせた。正直な話、信じ難い光景だった。僅か4歳の幼児が、殆どツアープロと思える、スイングモーションをしていたのだ」。
とは言え幼児の筋力では、飛距離は出ない。ハートウエル・ゴルフ公園の18ホールは、全部がパー3。だが長いものは、140ヤードとか150ヤード。4歳の幼児は、一打で届かない。
「一打で届かない距離は、パー4」。それがゴルフの常識。其処で、これら長いホールは、「パー3でなく、パー4でプレーさせた」とルディ。
例えば普通の距離のコースで、子供がゴルフをする。3百ヤード以上もあるホール。ここで子供達の飛距離では、7、8回打っても、グリーンには届かない。子供たちは興味を失う。
それに比べ(タイガーのパー)では、バーディチャンスが訪れる。これは子供達に、ゴルフの神髄を教える上で、最高の教材になる。
その後、成長するに連れ、顕著になったタイガーの、攻撃的なゴルフ。この基礎が築かれたのが、ルディの作った(タイガーのパー)。その恩恵だった。
日本と西欧のゴルフの違い。その一つはルールへの対応がある。日本のゴルフは、ルールに厳しさが少ない。
過日の日本ツアー選手権。ここでも最終日にルール違反が発覚。それで決着が就いている。男子プロでも、この程度なのだ。
一方のルディ。彼はタイガーと、2つのことで妥協しなかった。
「OKパットは(例え30センチでも)出さなかった。実はこの距離のパットが、ゴルフ最大の醍醐味。いや一番の難しさなのだ」。
1983年の全英オープン(ロイヤルバークデール)。強豪へール・アーウインは、30センチのパットを外して、ワトソンに一打差で敗れた。
「もう一つは、子供だからと言って、ルールの解釈で甘やかさない。ルールは大人も子供も同じ。これを徹底させた」。
現在のタイガーは、ツアー79勝。サム・スニードの持つ最多、82勝に並ぶ可能性は高い。その基礎を作ったのが、これらルディの、豊かな発想と、7年間の厳しい指導だった。(鉄を熱いうちに打った)からこその成功。そう思うと、この写真はゴルフ史の中で、大きな意味を持つことになる。
(June.30.2014)