日本Open一次予選。全県で行う勇気と見識。そして国際感覚

いま夏休みの米は、子供達を集めたゴルフが、全国各地で展開されている。その一つがこれ。ロジー・ジョーンズ(後列の白いバイザー)は、かつてLPGAのトッププロ。ソルハイムカップのキャプテンも務めた。 そして子供達の、この笑顔。商業色はゼロ。子供達の楽しみは、ゴルフの後のバーベキュー。これが一万人超の、全米オープンの予選出場者に結び付く

何でも米が、良いわけではない。だが、優れたモノを、参考にしない手はない。

日本のゴルフ人口減少。危急存亡の秋と、叫ばれて久しい。日本オープンを主催するJGA(日本ゴルフ協会)等は、それを何処まで、把握し理解しているのか。

危機感は、ほぼゼロと断言していい。それでなければ、一般ゴルファーに対し、もっと謙虚になるはず。これはゴルフ界だけの問題ではない。五十年、百年先を見据えた、日本の少子高齢化。及び中小地場産業が、直面している重大事。経済成長が落ちれば、消費者はゴルフどころではなくなる。

一方で世界の目は、いまアジア、そして中南米に注がれている。この両地域でのアマチュア選手権。その勝者は、マスターズに招待される。

その日本オープンと、全米オープンの単純比較。これをする必要がある。

まず彼らの予選は、二次に渡り実施される。一次は全米50州で。出場できるのはプロ、またはハンディ1.4以内のアマチュア。その合計が、今年1万127人に達した。従来の記録は、昨年のメリオンで9860人。史上初の一万人突破だった。競技人口の層の厚さ。これで熱狂は更に大きくなる。要するに全米オープンは、二次にわたるこの予選の時点で、既に火ぶたを切っている。それにしても、日本でハンディ1.4以内のアマチュアが、果たして何人いるだろうか。

比較しても始まらないこと。とは言え、日本オープン(シニアオープンも含め)予選に挑める、男子アマチュアのハンディは、6.4以内。それでも昨年の予選出場者は、プロを含め僅か167人(アマチュアは合計36人)と言う少なさ。そこにはナショナル選手権としての威厳。否、ナニをすべきか。それがまったく、明確にされていないことが判る。

日本の国土は米国の25分の一。それでも日本は、バブルの副産物として、2400超のゴルフ場を造った。放って置いたら、明日にも3割以上は淘汰される。日本オープンには、それを救済する責任がある。

そこで、もう一つの論点。それはナショナル選手権が、なぜ必要なのか。その部分だ。

それはゴルフだけの論争ではない。他のスポーツにも、当て嵌まる。天皇杯を賭けたサッカーから、陸上、水泳の日本選手権まで。それは国民に根付いたスポーツ競技。それを楽しむ、市民の数を増やす。同時に、関連する企業を支援育成する。それらの目的があるはず。

日本のゴルフには、その明確な方針がない。理由は簡単。指導すべき立場の組織JGA等に、その見識と、指導力が決定的に欠落しているからだ。それでなければ、4日間で一万人に満たない観客しか、入れられなかった昨年の日本オープン。責任者は腹を切るはず。

本題に入りたい。日本オープンも、2つの予選を本格化させる時代。まず全国各県で、一次予選を実施すること。現在6.4迄の、アマチュアのハンディキャップ。それをハンディ9迄に拡大する。全米オープンの1.4とは、比ぶべくもない。とは言え9迄なら、一応大衆憧れの、シングル・ハンディキャップ。それより何より、1.4と9辺りが、ゴルフに於ける、日米両国の、身の丈の差異。ここでの身の丈の意味。それは日常生活の中で、ボールを打つ。コースをラウンドする、回数の多寡と値段の違いに過ぎない。

一県で百数十人。合計6~7千人を集める。米の一万人超に肉薄。それは全国のゴルフ場に、多少でも活気を取り戻させることになる。ましてやJGAは、全国のゴルフ場から、年会費(18ホールで32万円。それ以上は、ホールが増えるに従い、年会費も多くなる)を取っている。当然の発想と義務だ。

ハンディ9が、最終予選に進出できる確率。それはほぼゼロに近い。それでも継続することで、現在の6.4では将来、予選さえ挑めない時代が到来する可能性。言わば啓蒙。福沢諭吉の学問のすすめならぬ、ゴルフの奨めに役立つ。その時までの暫定処置でいいのだ。

そこで参加者には、二つの参加賞を用意する。一つは洒落たバグタッグ。普段のゴルフでも、これを見た他のゴルファーや、従業員が「お客さん、出場したんですか。凄いですね」と、称賛する(競技ゴルファーとしての証)。もう一つは、日本オープンの招待券を一枚。スポーツばかりか、観劇も一人で、出掛けることは少ない。切符を一枚貰った人は、ほぼ例外なく、他に複数枚の切符を、購入する可能性がある。その呼び水になる。

追加の説明。ハンディ9迄のアマチュアでは、一県で百数十人は、無理かも知れない。その時は順次、ハードルを下げて行けばいいのだ。「この県は、アマチュア参加者のハンディを、11.7に迄下げました」との断りを入れて。

いまの日本オープンの遣り方。それは、一般消費者にとって無味乾燥。余りにも遠い存在。そうでなくJGAが、大衆ゴルファーに胸襟を開き、積極的に接近する。全米や全英オープンの様に。それによって、一般消費者は、もっと競技ゴルフに、目を向けることになる。JGAなど、偉くも何ともないのだから。

恐らくJGA内部では「ハンディ9以内?。とんでもない」との声が上がるはずだ。それこそ(そとんでもないこと)。日本オープン一次予選参加者のハンディが、9に迄拡大されても、それが主催するJGAの、体面を傷つけることなど、あろうはずがない。それより昨年167人だった、最終予選の出場者。それを近い将来、2千人前後まで引き上げる、起爆剤になる。

フロリダ州オーランドに住んでいた頃のノーマン。日本のトーナメントへの出場も多かったことで、青木とも親しかった。

フロリダ州オーランドに住んでいた頃のノーマン。 日本のトーナメントへの出場も多かったことで、青木とも親しかった。

海外での昔話を一つ。グレッグ・ノーマンは、フロリダ州オーランドに、住んでいた80年代はじめ。時に自宅での夕食に招かれた旧知。ノーマンが、しゃぶしゃぶを料理してくれる。英国人カメラマン、ローレンス・レヴィと「これほど稼ぐシェフが作る料理。チップは幾ら置こうか?」。そんな冗談を交わし、神戸ビーフならぬ、フロリダ牛に舌鼓を、打ったモノである。

1992年の全米オープン。この年ノーマンは、予選免除される項目がなく、オハイオでの予選に出場した。滅多に起こることではない。彼の一日36ホールを取材するため、私はアリゾナから、コロンバスへ飛んだ。ノーマン程の世界的なプロが、予選で戦う姿を、旧知に見られる。嬉しいことではないはず。私も目立たないように、カメラを構えていた。だが観客もまばらな予選会場。向こうも気付かないはずはなかった。

ショットの後、歩み寄り「どうしたんだよ?」とノーマン。二人とも照れ笑いを、繰り返すだけだった。

この日の予選。ノーマンは最後の一人を、決めるプレーオフで落とされ、ペブルビーチへの切符を得られなかった。当時ノーマンのハンディは6から7。勿論プラス。それ程の腕の持ち主でも、資格がなければ予選に挑む。競技ゴルフの、厳しい掟。

それから数週後のペブルビーチ。この時は、最終日が強風。3日目まで、圧倒的なリードを保った、ギル・モーガンが崩壊。名物7番パー3で、左ラフから、チップをねじ込んだ、カイトが逆転優勝している。

それでも、この年私にとって、全米オープンのトップ原稿は、予選で落ちた、旧知グレッグ・ノーマンのリポートだった。

サッカーW杯にしても同じこと。スポーツの醍醐味。それは高い技術レベルでの、人間ドラマにある。ただし其処に在るのは、成功者だけの話ではない。

予選の枠を広げることで、日本オープンも、一般市民ゴルファーの心を、捉えることが可能になる。そのためにも、一次予選を、もっと大々的に、全国各県で実施することだ。

(June.23.2014)