思い起こせば、東日本大震災から5年。あの時は、まだ アマチュアだった松山英樹。学校が仙台。それが理由で彼に、予想外の脚光が当たった。そればかりかマスターズを前後し、世界中から膨大な義援金と、メッセージが日本に送られた。”世界が一つ”を、強く実感させられた時だった。
マスターズは、四大競技の一つ。これに世界の強豪が、漏れなく出場する。一つ獲ることの希少価値と重み。これに個々のピークが重なる。旧知のプロ、クリス・ディマルコ。彼は2005年、ほぼ完璧な筋書きで、最終日アーメンコーナーを通過。それでも16番、タイガーの奧からのチップイン。当時のタイガーに、大詰めで並ばれたら逃げられない。このバーデイで、グリーンジャケットを逃した。
会員5人のクラブ。これは恐らく世界で最も、会員になるのが困難な、少人数のクラブだ。会員はサラゼン、ホーガン、プレーヤー、ニクラスそしてタイガー。ここにはパーマー、ワトソンの名がない。時間的に可能性を残している。とは言えミケルソンも、未だ加われていない。
この5人とは、生涯グランドスラムの達成者なのだ。一度は簡単に、手の届く処まで行きながら、マキロイがこれを逃したのが2011年のことだった。
3日目まで、ただ独走を続けた、その時21歳のマキロイ。昨2015年マスターズと全米オープンを、連取したスピース。この時もそうだったが、若い彼らは(勢いで流れを、引き寄せられる)。然しフィールドでは、百人から百数十人が、逆転を虎視眈々狙っている。マキロイの時は、南アのシュワルッェル。
日曜バックナインで大まくり。だがそれより前マキロイ自身が、80以上を叩く自滅。急降下していた。
そのシュワルッェルが、数週前それ以来の、勝ち星を挙げた。あの時のマキロイの悪夢を、思い起こさせる一つの要因だ。
とは言え、若い彼らには、強いMomentumが働く。2ヶ月後の全米オープン。ここではオーガスタでは、何事もなかったかのように、再び快進撃。獲得が世界一困難と言われるタイトルを、あっさり射止めている。
その後は、ここで説明する迄もない。全米プロに続き、母国での全英でも、クラレットジャッグを、抱きしめることに成功している。
若く勢いのある、マキロイには、苦もないことだった。処が最後4つ目ののハードル。それが急に高くなった。終わったばかりのベイヒル。2日間は65。ことに最終日は2イーグルの圧倒。だが気が付くと、左に曲がるボールが、傷口を広げての27位タイ。これでは3週後のマスターズが、思い遣られる。
このまま、マスターズの壁と戦い続けるのか。
それにしても、世界で5人だけのクラブ。その重みを、マキロイは、いままさに実感しているはずだ。
(Mar.21.2016)