子が親を選べない。時間的にはそれと同じ。語り継がれるホーガンの勇姿を、私は見ていない。
次の世代パーマーは、一度だけだが機会があった。1975年のマスターズ。第3ラウンドのペアは、パーマーとニクラス。初めてのマスターズ取材は、幸運にも日本人が、全員36ホールで消えた。私にとっては、頗る幸運なこと。全18ホール、手抜きすることなく、熱狂を目に焼き付けた。
この時の勝者はニクラス。彼が育ったコースは、オハイオ州コロンバスの、サイオトCC。11年後、全米シニアオープンはここ、黄金熊の本拠地で行われた。ニクラスは50歳に、到達していない。
大きな枝を張った樫を、初夏の風が揺する。そんな中第一ラウンド1番ティに、パーマーが登場する。同時にロープの外から、声が掛かった。「King!!」。
空かさずパーマーが、声の方に振り向く。視線を返し何度か頷く。それはまさに、王様を数十年続けて来たパーマーに、身に付いた仕草。観客にとっても「ニクラスが育った本拠地」とは無縁のことだった。
七十年代半ば迄の約20年。ゴルフを世界地図の、隅々にまで広げた最大の功労者。1961、62年の全英オープン連覇。その後六十、七十年代。全米オープン、そしてマスターズで、ニクラス(もう一人はゲイリー・プレーヤー)達と、毎年のように優勝を争う。
それより前、弁護士マコーマック氏がIMGを立ち上げ、その威力でビッグ3が、世界ゴルフ行脚をする。何もかもが巨大なインパクトを与えるのだが、終始その先頭を走ったのが、王様パーマーだった。
ニクラスは4人の息子のうち、3人がゴルフプロの道を選んだ。プレーヤーは次男ウエイン。尾﨑は長男智春が。ゴルフではないが、長嶋茂雄は長男一茂が、ヤクルト巨人などでプレーした。
それぞれに親の欲目の、第一歩は満足させた。そんな中パーマーには、男子が誕生しなかった。王室なら女帝が可能。エリザベス女王とか。だがスポーツには、男女の区別がある。
他に比べ時間を、一代余計に要した。それでもパーマーが、元気なうちに間に合った。それが孫の、サム・サウンダース。先週のベイヒル。アーノルド・パーマー招待への、初出場が叶ったことだ。
サウスカロライナ州の伝統校クレムゾン(創立1889年)。其処で学んだサムは、卒業と同時に、お爺ちゃんの背中を追い、プロの道に歩み出す。層の厚い現在のツアー。最初の2シーズンは、マイナーでの活動を余儀なくされた。それを乗り越え、今回パーマー招待への、出場が叶った。そればかりか3日目を終えてトップ20を保持。最終日一つ落としたが、それでも29位タイ。
サム自身は無我夢中だったろうが、85歳お爺ちゃんにとって、これに勝る喜びは、なかったに違いない。
歌舞伎役者は世襲が効く。それに比べスポーツの世界は、常に群雄割拠。それだけに才能は一代限定。その刹那さが、熱狂を大きくする。それだけに、孫サムの活躍は、王様パーマーに対する、最高の贈り物だったに違いない。
(March.23.2015)