来年のリオでは、112年ぶりでゴルフが、五輪種目に復帰する。パドレイグ・ハリントンは、その功労者の一人だ。
2008年IOC総会は、夏の終わり、デンマークのコペンハーゲンで行われた。百人を超すIOC委員への、プレゼンテーション。ゴルフの世界組織IGFが、その舞台に送った切り札は2人。スサン・ペッテルセンは、ノルウエイが産んだ、初の世界的なゴルフ女子プロ。夏季大会は兎も角、冬季五輪でノルウエイは、最強国の一つ。IOC委員の中には、スキー、スケート関係者は多い。その効果を狙ったモノ。
もう一人がハリントン。彼はこの頃絶頂期。2008年の全英オープンと全米プロ連勝を含め、13ヶ月の間に、3箇のメジャータイトルを、掌中に収めていた。タイガーをも凌ぐ活躍。彼のスピーチも、従って説得力があった。
ところが人生、何処で急転するか。それは誰にも見えない。いわゆる一寸先は闇。そんな時サラリーマンと違い、プロアスリートの世界は過酷だ。それ程の活躍を見せていたアイルランド人が、私たち取材陣の前から突然消える。
2009,2010年。この2シーズンだけでも、出場したメジャー競技で、半数の4回36ホールで落とされている。トップ10が一度あったが、それでも優勝争いには、一度も絡んでいない。不振はどんどん進む。この3年間、出場した米ツアーは53試合。其処で10位以内は、僅かに9度だけ。彼ほどの有名プロだから、高額の契約金がある。それでもこの時代、シーズンの稼ぎが、百万ドルに届かなければ落ち込む。
野球とかフットボールのプロは、ここで潔く引退を選択できる。だが競技年齢の長いゴルフでは、そうは行かない。
「身体もスイングも、あれこれいじりまくった。だが結果は見えなかった。其処でメンタル部分の壁を、意識することになった」。
其処に見えたのは、心理面の不調。具体的には2012年、Yipsに陥っていたことを認識させられる。
説明する迄もなくYipsとは、クラブが上がらなくなる心の病。
「幾つものメジャーに勝った後、不調になる。その時考えること。それは強かった頃を、を取り戻そうとする意識。処がそのことで、心理的に(狭い考えに、自分を追い込んでいた)。その結果のYipsだった」とハリントン。
タイガーと競い、世界ランク3位まで昇った。それ程の凄腕が、ホンダクラシックの週は、WR297位にまで落ちていた。その後の展開は、ここで説明する間でもないこと。71ホール目のダブル。其処で明け渡した首位の座。それを18番の7,8メートルのバーディで挽回した粘り腰。これは心理面のマイナスを、ほぼ回復した、何よりの証だった。
「それにしてもYipsになると残酷だ。何をしていいいのか、手詰まりになること。毎日自分なりの方法で努力しても、前が開けないのだから」とハリントン。
大仰な表現を遣えば、地獄を見てきた男。この一つの優勝で、世界ランクは82位にまで復帰。セレモニーを終えた後、彼は大きなチーズバーガーを、瞬く間に平らげた。次の標的は4月のマスターズで、優勝争いに加わること。
43歳は、2008年秋のコペンハーゲン以来の、脚光を再び楽しんで居る。
(March.9th.2015)