2014年5月より本ブログを執筆されていたデューク石川氏が、2016年5月28日に急逝されました。
大変悲しいことに、2016年5月23日のブログ記事が、最後のものとなってしまいました。
謹んで氏のご冥福をお祈り申し上げるとともに、読者の皆様に、長年のご愛読を感謝申し上げます。
なお、本ブログの記事につきましては、当面の間アーカイブとして公開を継続いたします。
2014年5月より本ブログを執筆されていたデューク石川氏が、2016年5月28日に急逝されました。
大変悲しいことに、2016年5月23日のブログ記事が、最後のものとなってしまいました。
謹んで氏のご冥福をお祈り申し上げるとともに、読者の皆様に、長年のご愛読を感謝申し上げます。
なお、本ブログの記事につきましては、当面の間アーカイブとして公開を継続いたします。
歴史の流れは、時に信じ難いほど早い。先週終わったバイロン・ネルソン・クラシック。そのネルソン翁は、1945年。11連勝を含め、年間18回の優勝を残している。
ニクラスもタイガーも、足許にさえ及ばなかった数字。それを可能にしたのは、シャフトの革命にいち早く着目した勇気。そして進取の気性だった。
いまはパーシモン・ヘッドの用具さえ知らない世代。因みにこれは、柿材でドラーバーから、3、4番ウッド迄を作った。その名残がメタル時代の今も、名称として残っている。ネルソン翁の話は、それを更に遡る。彼や同じ町で生まれたホーガン。彼らがゴルフを憶えた頃は、スティールとか、現在最先端を行くシャフトはナシ。ヒッコリーと言う、これもシナル木材を使ったモノだった。
ネルソン翁は1912年生まれ。96歳でこの世を去った。
続いて登場するのは、サー・ボブ・チャールズ。彼は1935年生まれの80歳。パットの名手として、世界で約80勝。その中には、リザムでの1963年全英オープン優勝も含まれる。世界で長いこと注目されてきた、一級の技術。ただし南半球ニュージーランドの生まれ。そのため、時間的にネルソン翁に遅れた。そのギャップがあったことは否めない。
「実は私も、バイロンと同じ経験を積んでいる。それはヒッコリーから、スティール・シャフトへの切り替えだった」。「だだし私が育ったのは、南半球。当時南アフリカ等と共に、ゴルフの情報が遅れて届いた地域」。
そんなことで、サー・チャールズは、ヒッコリーでゴルフに接した。そしてネルソン翁から遅れ、スティール・シャフトの存在を知る。
「偽らざる印象。それはゴルフに、神の手を与えられた、だった。不安定な動きを、コントロールしながらスイングする、ヒッコリー。それに比べ、スチールのシャフトは、自分の能力を、ほぼ百%引き出してくれた。その後リザムでの全英オープン優勝を含め、私は約80勝した。年齢的、そして地域的にバイロンには遅れたが、私の成功も、バイロンと同じモノだった。
全英オープンを運営するR&Aは、このほどそのサー・チャールズを、R&Aの名誉メンバーとして、迎えることを発表した。
大英連邦に生まれ、サーの称号まで得たチャールズ個人にとっては大きな名誉。それは一方で、私たち日本人にも一つの示唆を与える。それは世界基準で評価される。その様な動きを、続けることだ。それによって、日本全体のゴルフの、世界での評価を上げる。その絶好機になることを、サー・ボブ・チャールズが教えている。
(May.21.2016)
ピート・コワルスキーは、USGA広報の責任者。この部分、私のネタ元は殆どがピート。情報は迅速で正確。彼からの連絡に依ると、オークモントの全米オープン。54年昔の1962年。ニクラスが、翌日18ホールのプレーオフで、地元の英雄パーマーを破った。
今年6月16日開幕。その3日目(18日)の「総ての前売りが、4月末の時点で完売した」と言う。これはレイモンド・フロイドが、悪天候の中、しぶとく優勝したシネコック。また若いペインが、純白の長袖ドレスシャツに、蝶ネクタイで登場。注目された1986年以来になる。そのペインは、もうこの世にいない。
昨年にしても、最終的には4日間とも完売した。だから今年も、最終的に4日間完売の記録は、継続するはず。それにしても、その1986年以来、あれほど大きなイベントの前売りが、完売し続ける。この間これだけの仕掛けを続ける。
日本オープンだと、「1万5千で、まあいいか」。時に4日間で1万人以下。紛れ時に3万人。それでいて日本オープン会場には、至る所「有料」の文字が氾濫している。
当日売り5千円。高齢者割引も何もない。全米オープンとの比較の中で、私が長期間提案していること。それは「日本オープンは、終了後大衆の面前で、直ちに公開の反省会を行うべき」。当然のことだ。日本オープンにには、知恵のある者がいない。仕掛けさえ出来ない。
全米オープンは,そんなことで割安が基本。勿論子供達の割引、値引きは当然だ。
大量の切符が捌ける。その裏には、幾つものメリットが見える。まずマーチャンダイズ(記念品)が飛ぶように売れる。このデザインの秀逸さも、見逃せない。これら諸々の収益の合計。そこから10億円単位の収益。それがザ・ファーストティ・プログラム。ドライブ。チップ&パットなどの予算に付けられる。
ゴルフは五輪種目。それだけに、これら底辺を拡大する動きは、特に重要だ。
特筆される数字は、さらに凄さを見せる。全米で2度に渡って実施される、全米オープンの予選。それへの出場者が、今年も9800人を超えたことだ。
出場する為の資格は、プロフェッショナルと、ハンディ1・4以内のアマチュア。カレッジゴルフを中心に、彼らを育てる米の育成プログラム。この部分も、日本オープンを主催するJGAは、いまからでも早速見習う必要がある。
今年2月に就任した女性会長。彼女も最大の関心事は、普及なのだ。
サッカーとともに、ゴルフは、世界で最も大衆的な遊び。それは芝が在れば、老若が楽しめるからだ。この夏リオでは五輪種目に復帰する。ゴルフへの注目度は、大きくなる。
(May.17.2016)
昔むかし憧れた戦争ヒーロー。砂漠の狐ロンメルと、パットン戦車隊の指揮官、ジョージ・パットン大将。個人的な関係はないのだろうが、パットンをファーストネームにした若手が、遂に優勝を争う位置まで登って来た。
彼の名前はPatton Kizzire。処が日本メディアでは、これがキジーなのだ。大間違い。固有名詞の間違いほど、失礼なモノはない。とは言えスケールがデカイ。 身長が196センチ。アラバマ大で野球部だった父マッキシーは、チームにメジャーで活躍した、仲間がいたほど。
スティーブ・クックは、私の編集顧問プロ。数十年前アジアツアーで、知り合った米人。タイガーを中学生の時から、私が取材できたのも、スティーブの推薦のお陰だった。何れにしろ、ビジネスセンスに関し、スティーブは抜きん出ている。
アリゾナのゴルフ場支配人の旧知に、同姓がいる。彼の名は、マーク・キザイアー。何はともあれ、この様な時、相談相手は加州ロングビーチのスティーブ。何しろことは英語なのだから。
「Kizz ire.Kizz pronounceed like biz which is slang for business(golf bis).ire pronounced like tire or ire
which is another word for anger(my wife raised my ire when she was talking too much)
Hi Steve,Leaderboard and Leadersboard.Which is correct? Or do they have different meanings?
Steve’s answer:Leaderboard.
滅多には見ないが、携帯での米ツアーの成績。日本語で書かれた。そこではKizzireはキジー。 成績はリーダーズボード。それらをスティーブは、一刀両断にした。似たようなことだが、テレ朝とかのアナウンサー。マッチプレーで、アップドーミーと言う。
こんなものアップでもなんでもない。マッチで勝ったホールの数の差と残りホールの数が、同数になればdormie。
three up three holes to leftになれば、自動的にdormieなのだ。それだけのことに、格好を付けるな、と言いたい。
それより前、固有名詞の間違いの不快さ。例えば海外へ出掛けた頃の青木功。彼の呼び名はアイセオ・エイオキだった。これでは全く別人である。
さてパットン・デザイアー。54ホールに短縮されたことで、ルイジアナ、プレーオフには残れなかった。それでも 最後 4つのバーディを積み重ね、8位タイを記録した。今朝終わったウエルズファーゴも、24位と健闘した。数年前WR1552位で姿を現した若手が、遂に優勝を狙える圏内に浮上したことになる。これは大変な躍動感である。先のクラウンズ。木曜日尾﨑が、あわや60台の「ここ十年で最高のプレー」をした。翌日強風下での87は、関係ない。サッカーのキング・カズは47歳で、客を引き付ける。このドラマ性。これがスポーツの、醍醐味なのだ。
ロンメルは、貴族以外で、初めて旧独軍の元帥に任命された。一方のパットン大将は「大胆不敵であれ」で部下を鼓舞。欧州に平和をもたらした。この時代のヒーローには、名言が多く、それ故夢がある。
2016~2017年だけでも、これから長いシーズン。日本の読者諸兄よ。Kizzireの名前を、正しく発音し、その上で彼の活躍を、楽しみましょう。
(May.9th.2016)
日本の25倍の、大きさがある米国。それだけにニューヨークや、サンフランシスコとは、大きく異なる観光スポットは、際限なく探せる。
その一つが、米本土の南、大西洋とカリブ海に点在する、多くの島々。西海岸や日本にとってのハワイ。ただしこの辺りは、首都ワシントンやニューヨークの真南。勿論フロリダからは、目と鼻の先。チャーター機で、一飛びの距離。 その中でも一番人気。それがバハマ諸島。バハマの首都はナッソー。ゴルフの賭け用語、ナッソーは「この土地で生まれた」と聞いている。
最近の米ツアー、毎週の様に高額賞金の、イベントが続く。それはトップ級にとっても、消耗を早める可能性が高い。特に今年は真夏に、リオ五輪が加わる。ゴルフの五輪種目復帰は、1904年のセントルイス以来、112年ぶりのこと。それだけにプロ達も、熱が入る。
余談だが、通常のツアー競技は、チャンピオンシップ。それに対し、五輪はコンペティション。
そのため全英オープンや、全米プロの日程も、僅かにだが擦れる。そしてそれが終われば、FedEx Cupのプレーオフと、それに続くツアー選手権。
さらに今年はライダーカップの年。期日は9月最終週。舞台はミネソタ州ヘイゼルティン・ナショナル。2年前、米は最終日に大逆転を食らっている。それだけに、今回は余計に力が入る。
繰り返すが、これだけ詰まった日程。それを忠実に消化していたら、身が持たない。そこで人気者4人が、決断したのが、バハマでのバケーション。マスターズ終了を待ち、ヘリテージとテキサスの週。顔触れはスピース、ファウラー、ジャスティン・トーマス。そして売り出し中の、スマイリー・カウフマン。
米から送られてきた、この写真が、総てを物語っている。勿論それぞれ、ガールフレンドも同伴。休日中、ゴルフの話など、「一切出て来なかった」と言う。
昔ニクラスがプロ転向した頃(1962年)。「一般の人より恵まれた生活が出来るのは、賞金ランク3位くらい迄だった」(ニクラス)プロゴルフ。それが現在では、1試合の優勝賞金が、一億数千万円。エンドースメントも多く、他のプロスポーツ、MLBやNFLに引けをとらない高額収入。
職業としての魅力は、一方で狭き門でもある。それを突破し、チャーター機で、世界最高級リゾート、バハマで豪遊する。昔の日本。勝新太郎、石原裕次郎、小林旭たちの時代。彼らは、都合を付けては、京都まで車を車を飛ばし、茶屋遊びを満喫した。そんな話を聞いている。
一般大衆には、手の届かない、時間と空間を独占できる。それがスターの、スターたる所以。その雰囲気をトーナメント会場に、さり気なく持ち込む。だからファンは、熱狂するのだ。
観客は、トーナメントの熱戦にも期待する。一方でスターの存在に憧れ、そのスターを観に来るのでもある。
冬のフェニックス・オープン。松山、勝つには勝ったが、競り合った相手は、リッキー・ファウラーだった。「あの最終日、コース全部がリッキーを応援していた」と、苦笑いしていた。
いま日本ツアーで、同じことが起こるだろうか。それにしても、若い連中4人の、バハマの休日。写真を見るだけで、微笑ましくなる。
(April.25.2016)
強烈な脚光を浴び、この男が舞台中央に還って来る。今月28日。50歳の誕生日を迎える。この男が若い頃獲得した四大タイトルは、全英オープンと全米プロ選手権。それより何より、この男に付いて回った表現はセンセーション。いわゆる記録以上に記憶。その男が再び注目を集める。
一方で米プロゴルフ協会(PGA of America)が設立されたのは、遠く1916年4月10日ニューヨーク。それから百年。マスターズの期間中にも拘わらず、ニクラスは最大級の祝辞を贈っている。
世界最大級2万8000人会員を擁する、この集団の役割。其れはゴルフを通して、大衆に貢献すること。それはトーナメントで、熱狂させる。アマチュアゴルファーを上達させる。これらの活動が一世紀続いている。だからこそ世間一般から、尊敬され続けるのだ。
来週22日からの、レジェンド・オブ・ゴルフ。これは2人がチームを組んでのお祭りゴルフ。デーリーは誕生日前だから、特例はあり得ない。だがこの後5月になれば、ザ・トラディション、シニアPGAと、ビッグゲームが続く。 恐らくトレビノ以来の、超個性派プロ、デーリー。彼の登場に合わせ、米ツアーには余るほど在りながら、日本には圧倒的に不足していている。その部分の比較をしてみたい。
筆者は生前のバイロン・ネルソン翁。そしてニクラス、トレビノ達から、多くの歴史を学んできた。
「私たちの頃は、テレビ中継などなし。上位プロは、毎ラウンド後町のラジオ局へ出向き、トーナメントの状況を解説。それで客を呼ぶ。その努力を続けた」(ネルソン翁)。
「トーナメントの黎明期。お互いが自分のカネを出す。それを上位の数人が獲得する」。「プロだけでなくアマチュア競技。そしてプロアマのオープン競技。これが各州多くの地域で、コンスタントに実施されていた。競技があれば腕は磨けるし、強い相手とも出会える」。「私が15歳でプロ競技に初出場できたのも、そのお陰」(何れもニクラス談)
トレビノの場合はギャンブル。テキサスは昔からカネ持ちが多い。「そこでオレは常に、有りガネ全部を賭けていた」。1968年秋、トレビノは優勝したハワイアンオープンの優勝賞金を、その儘そっくりハワイに残して帰途に就いた。亡くなったプロ仲間、テッド・マカレナの子供の学資として。ハワイの人達は、今でも其れを忘れない。
彼らのきめ細やかな、これらの動き。それに比べ日本のプロは、与えられたものに、胡座をかいているだけ。その結果試合が減少。60歳前後の連中が、何人もレギュラーツアーにしがみつく。だからツアー全体に、メリハリがない。中嶋や芹沢とかは、何故自分のトーナメントを立ち上げないのか。例えば一日だけの、プロアマ競技でもいい。サイン会や写真撮影を、タップリ加えて。
話は米シニア。来週のレジェンド・オブ・ゴルフ。これには80歳プレーヤーから、76歳コンビ、ニクラス、トレビノ達まで。PGA of Americaが、百年の歴史で誕生させたスター達。彼らが勢揃いする。そこではプロと共に、観客も堂々の主役を楽しむ。ショービジネスを、成功させる鍵だ。
それに比べ例えば尾﨑直道。国内開幕戦も76、79。36ホールカットに、掠りもしない。永久シードシードも、節度を欠くと、本人は尊敬を失う。観客は白ける。その典型だ。
デーリーのシニア入り。それは日米の、プロゴルフ環境を比較する絶好機。皆さんも是非、本気で考えてみたら、如何ですか。
(April.18th.2016)
29歳、180センチの英国人。取り立てて大柄ではないが、プロ入り前のハンディは、プラス5の高い実力レベル。
それより前「最近の25年で、そのうちの21年は、最終組から優勝者が、出ている」データ。ツアー僅か1勝スマイリー・カウフマンは兎も角、スピースにとっては、連覇への後押しになる好材料。
一方のウイレットは、最終組の3組前、2時15分。同国の先輩、ウエストウッドとのティタイム。当然狙う好位置。そこでボギー無し、5個のバーディを、綺麗に積み重ねての逆転優勝。英国人としては、1996ファルド年以来の優勝だった。
トーナメントは、毎日筋書きが変わる。さらにそれは一日の、前半と後半で、どんでん返しさえある。
第一ラウンドから、首位を快走したジョーダン・スピース。日曜日も一時2位に5打差を付けている。多くが「優勝は決まりか?」と諦めかけた矢先、予期せぬことがが起こる。
英語ではquadruple parと言うが、「世界一美しいが、世界で最も難度が高いパー3」12番で、ティショットを連続して、クリークに落とし信じ難い「7」を叩いたことだ。 大きく順位を落とす。だが15番パー5でバーディ。これで歯止めが利くか、と思われた。だが16番で8フィートが入らず。さらに17番でボギーを打ち、3組前ウイレットの逃げ切りを許した。
処で英国の国旗は、ロイヤル・セントジョージズ。白地に赤の十字。最終日の前半。ウイレットを筆頭にウエストウッド、ケーシー、フィッツパトリック、ローズ、そしてマキロイ迄。そればかりかデンマークの十字までもが、上位に並んだ。
かつてマスターズは、欧州勢の席巻が、長く続いた。先鞭を付けたのはセベ。その後88年ライルを皮切りに、89、90年ファルド。続いてウーズナム。ランガーとオラザバルが各々2度優勝。そんな時代があった。マスターズの舞台、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブは、基本的にリンクスタイプなのだ。
ウイレットの3日目迄のスコアは、70、74、72。イーブンでいれば、最終日何処からでも狙える。それに比べ土曜日のラウンドで、バーディが出ず77だったマキロイ。それでも「最終日の予測は、誰にも困難。僕の場合も好調に飛び出せれば」。
2011年のマスターズ。3日目まで圧倒的な独走を続けながら、勝ちを逃したマキロイ。生涯グランドスラムへの道は、まだ遠そうだ。
そんな中、日本のマスコミは、松山の2年連続トップ10を、さぞや絶賛したことだろう。だが一方で複数のアマチュアが、今回も36ホールのカットをクリアしている。それは松山ばかりか、日本のマスコミが、気付かない範囲で、新陳代謝が否応なしに、進んでいる証拠なのだ。新しい勢力は、何時何処からでも飛び出してくる。
松山にしても、2017年トップ10に三たび手が届く保証は、何処にもない。
(April.11.2016)
数年前パー5の13番。フェアウエイ右松の根本からの第2打。殆ど振れない状態で、3番をチョークダウン。ボールが飛び出した瞬間、パトロンの悲鳴が響く。十分でない高さで、向かう先には、横たわるクリーク。ミケルソンのセカンドは、彼としては、読み通りにキャリー。辛くもハザードを越え、グリーンを捉えた。
そこから絶妙のパットを沈め、3度目へ大きく前進した。
日本のテレビ解説者。彼らが異口同音にする。オーガスタの経験。具体的には、ナニなのか。私の説明。それは足裏の経験差なのだ。
確かに、昨年優勝のスピース。彼との経験の差は甚大。パトロンとの会話。アーメンコーーナー上空の風の読み。それ以上の差異、それはグリーンのアンデュレーション。それを、どれだけ把握しているか。
マキロイ、デイたちは兎も角、スピース辺りになると、回数、実績が違い過ぎる。その差はズバリ。足の裏の蓄積。足の裏は、第二の心臓と言われる。それほど重要な部分は、ゴルフにとっては、もう一つの頭脳なのだ。
約25年出場しているミケルソン。彼にはその蓄えが、他の大多数と、決定的に異なるほどある。その象徴的なホールが、パー5の13番。
それだけではない。その後の14、15、そして16番。ここでもグリーンの状態が、分かっている。だからミケルソンは、打つ前から、幾つもの選択肢を用意できる。これは実に大きな強みになる。
そのマスターズに向け、ミケルソンが、ヒューストンをプレーしている最中。タイガーの代理人シュタインバーグが、タイガーの欠場を発表した。4月1日。時あたかもエープリルフール。だが冗談でも何でもなかった。
「昨年末2度、腰にメスを入れた。この状態で十分なプレーを、見せることは困難。パトロンの皆さん以上に、タイガーは残念です」。
2年前の2014年。例の女性スキャンダルの影響で、欠場したばかり。マスターズでは、ミケルソンより多い、4度の優勝。それはニクラスの6度を、年齢的に抜く可能性を、期待させてきた。
正月明けの頃、私は別の出版物で、次のような話を書いている。
「どうやらタイガーが、本格的に動き出すのは、2016~2017年(要するにこの秋)になってから」。ゴルフばかりか、スポーツ全体にとって、最重要な身体部分が腰。そこへ都合3度(最初は数年前)、メスを入れたのだから、仕方ないことなのだ。
米ツアーだけで79回の優勝。世界ランク一位を合計683週記録した、稀代の大プレーヤー、タイガー・ウッズ。僅か40歳の若さで、引退のシナリオが見えてきた。決して過酷な読みとは、言えまい。
更に一方の一方のミケルソン、彼は目下平均ストローク首位。それも前週まで69.008。この時間ツアーの集計は出ていない。だが間違いなく68台に突入しているはず。この安定さは、強みだ。
アゼリアが咲き乱れる、深南部ジョージアの、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ。世界中のファンが、心躍らす一週間は、米国時間7日開幕する。
(April.4th.2016)
2週前のベイヒル終了時。イアン・ポルターは、2つの航空予約を持っていた。補欠の儘テキサスへ飛び、マッチプレーの繰り上げを待つか。2010年の歴代優勝者。だが確率は高くない。ポルターが選んだのは、格下初めてのプエルトリコだった。
「何はともあれ、錆を落とす必要。その為にはトーナメントに出場すること」
午後の第1ラウンド。1アンダー。だがこのクラスへ来れば、過去ライダーカップ5度出場の実力は、抜きん出ている。土曜日定位置、トップに躍り出ている。
ライダーカップは、この秋9月最終週。ミネソタ州ヘイゼルティン・ナショナル。ポルターがいま3月末の時点で、狙いを定めているのは、半年先のその大一番なのだ。
遠く1927年に始まった、大西洋を挟んだ、2年に一度。ホーム&アウエイのイベント。賞金はナシ。個人の名誉と、背後にはためく国旗への誇りだけ。多数のプロ。その中でここに選ばれるのは、欧米とも各12人。とんでもない狭き門。とてつもないエリートの戦い。
まさに世界最高のゴルフショー。「錆を落とす目的」で、ポルターをプエルトリコへ飛ばせた理由が、ここにあった。
過去世界マッチプレーで優勝。日本ではダンロップフェニックスでも、勝利している40歳が、依然として情熱を燃やし続ける。それはライダーカップが、特に欧州人プロに取って、心の差さえであり、誇りだからだ。
比較になるが、日本の男子プロゴルフには、この様な歴史的背景が見られない。いわゆるモチベーションだ。その部分が、実は残念なことなのだ。
繰り返すが、マッチプレーの、繰り上げを待っていたら、チャンスはほぼゼロだった。乾坤一擲。プエルトリコへ飛んで来たからこそ切れた、半年先への再スタートだった。
それにしても12人の代表枠への、これほどの拘り。欧州勢の、ライダーカップとの一体感は、素晴らしい。
思い起こせば、東日本大震災から5年。あの時は、まだ アマチュアだった松山英樹。学校が仙台。それが理由で彼に、予想外の脚光が当たった。そればかりかマスターズを前後し、世界中から膨大な義援金と、メッセージが日本に送られた。”世界が一つ”を、強く実感させられた時だった。
マスターズは、四大競技の一つ。これに世界の強豪が、漏れなく出場する。一つ獲ることの希少価値と重み。これに個々のピークが重なる。旧知のプロ、クリス・ディマルコ。彼は2005年、ほぼ完璧な筋書きで、最終日アーメンコーナーを通過。それでも16番、タイガーの奧からのチップイン。当時のタイガーに、大詰めで並ばれたら逃げられない。このバーデイで、グリーンジャケットを逃した。
会員5人のクラブ。これは恐らく世界で最も、会員になるのが困難な、少人数のクラブだ。会員はサラゼン、ホーガン、プレーヤー、ニクラスそしてタイガー。ここにはパーマー、ワトソンの名がない。時間的に可能性を残している。とは言えミケルソンも、未だ加われていない。
この5人とは、生涯グランドスラムの達成者なのだ。一度は簡単に、手の届く処まで行きながら、マキロイがこれを逃したのが2011年のことだった。
3日目まで、ただ独走を続けた、その時21歳のマキロイ。昨2015年マスターズと全米オープンを、連取したスピース。この時もそうだったが、若い彼らは(勢いで流れを、引き寄せられる)。然しフィールドでは、百人から百数十人が、逆転を虎視眈々狙っている。マキロイの時は、南アのシュワルッェル。
日曜バックナインで大まくり。だがそれより前マキロイ自身が、80以上を叩く自滅。急降下していた。
そのシュワルッェルが、数週前それ以来の、勝ち星を挙げた。あの時のマキロイの悪夢を、思い起こさせる一つの要因だ。
とは言え、若い彼らには、強いMomentumが働く。2ヶ月後の全米オープン。ここではオーガスタでは、何事もなかったかのように、再び快進撃。獲得が世界一困難と言われるタイトルを、あっさり射止めている。
その後は、ここで説明する迄もない。全米プロに続き、母国での全英でも、クラレットジャッグを、抱きしめることに成功している。
若く勢いのある、マキロイには、苦もないことだった。処が最後4つ目ののハードル。それが急に高くなった。終わったばかりのベイヒル。2日間は65。ことに最終日は2イーグルの圧倒。だが気が付くと、左に曲がるボールが、傷口を広げての27位タイ。これでは3週後のマスターズが、思い遣られる。
このまま、マスターズの壁と戦い続けるのか。
それにしても、世界で5人だけのクラブ。その重みを、マキロイは、いままさに実感しているはずだ。
(Mar.21.2016)