碧い悪魔、ブルーモンスターへの、畏敬の念

12718243_10153204720346330_4252828770296255844_n

マイアミは世界の避寒地。フロリダ半島のほぼ南端。亜熱帯の気候は、時折とんでもない、突風をもたらす。

共和党の大統領候補ドナルド・トランプが所有するドラル。ここには広大な2400エーカーの土地に、4つの18ホールがある。それぞれに魅力的な名前。トーナメントの舞台、ブルーモンスターの他は、Golden Palm、Silver Fox、Red Tiger。

この写真の通り、ブルーモンスターは、静かな時は美しい。其処へひとたび強風が吹くと、とんでもない牙を剥き出す。その時かつてのニクラス、ノーマンから、ここ十年のタイガー、ミケルソン迄が、碧い悪魔と化したコース中の、無数の池と格闘して来た。それが観客を。更にTV桟敷を熱狂させた。それ故の名称ブルーモンスターなのだ。

筆者がゴルフ取材を始めた1974年。ここが舞台のツアー競技は、ドラル・イースタン・オープンだった。当時アメリカン、UA、デルタと並ぶ四大航空会社の一つ、イースタン航空。名称に地域性と個性があった。

マイアミから、珊瑚礁の島key伝い南西へ、蒼い海を見渡しての道路が走る。最先端はKey West。そこはヘミングウエイの世界だ 

マイアミから、珊瑚礁の島key伝い南西へ、蒼い海を見渡しての道路が走る。最先端はKey West。そこはヘミングウエイの世界だ

私たちメディア、大きな割引料金で宿泊。月曜日は無料のラウンドを提供された。

米国人は、国籍に関係なく、入って行く人間に好意的。私は多くに指導を戴いた。その中でも報道記者として、強い影響を受けたのは2人。ケイ・ケスラーとゴードン・ホワイト。ケイは10歳だったニクラスが、その後生涯の師となる、グラウトとの出会い。それを記事にした伝説の物書き。

ゴードンは、ニューヨーク・タイムズの看板ゴルフ記者。同じ便で移動すると、気づいた乗客が「ミスター・ホワイト。サインを戴いて宜しいですか」と話し掛けたほど。有名コースでのラウンドに、日本からの駆け出し記者を、積極的に誘ってくれ、記者の心得を教えてくれた。

その一つは「コースを知らなければ記事は書けない。だから無料の好意を受けていい。だが其処まで。もし飲食する時は、必ず自腹で」。

ドラル初取材の時。月曜日ゴードンとラウンドすることになった。その前日迄も強風はなく、蒼い悪魔は本性を見せていなかった。

フロリダ州の付け根。軍港として栄えてきた、ジャックソンビル。TPCソウグラスは、その南Ponte Vedra Beachの大西洋岸。同じ場所に米ツアーのHQ。更に南下すると、そこには世界ゴルフの殿堂も。ほぼシーズンを通し、多くの来場者で賑わっている

フロリダ州の付け根。軍港として栄えてきた、ジャックソンビル。TPCソウグラスは、その南Ponte Vedra Beachの大西洋岸。同じ場所に米ツアーのHQ。更に南下すると、そこには世界ゴルフの殿堂も。ほぼシーズンを通し、多くの来場者で賑わっている

若く知識も少ない私は「当然のことながらブルーで」。朝食をしながらその話をしたら、ゴードンは無言で首を横に振った。彼は既に池の少ないGolden Palmの、ティタイムを押さえていたのだ。

「デュークな、ブルーの18ホールは、彼らツアープロ達の舞台なのだ。私たちには到底手が出ないコース。その現実を素直に受け止める。言わば畏敬の念を抱く。それが大切では」。

半島全体が湿地帯のフロリダ。この辺りコースの多くは、池を掘るのでなく、土量を動かして造ったホールの間は湿地を残す。ピート・ダイ設計のTPCソウグラス。半島の根本ジャクソンビルの近くだが、立地は似たようなモノ。ここも月曜日は私たちに開放してくれる。その時1ダース以上ロストする記者カメラも。出る冗談は何時も同じ。「池の水位が上がるぞ」。

ソウグラスは、酷く曲げなければ芝がある。オーガスタ・ナショナルにしても、何とか前進出来る。その点ブルーは、池越えのショットが続く。数年前、池に打ち込んだマキロイが、そのままアイアンも、放り入れた。時に世界ランク一位でさえも、苦戦する舞台。だから蒼い悪魔なのだ。ゴードンの教訓の正しさ。キャデラック選手権の度に、実感させられる。

(Mar.14.2016)

ライダーカップ候補25人。帝王宅での夕食に招待

ゴルフ界の歴史、人脈そして知性までが、見事に詰め込まれたニクラスの頭脳。この夜の話の中味と、出た質問。興味は尽きない(courtesy of pgatour.com)

ゴルフ界の歴史、人脈そして知性までが、見事に詰め込まれたニクラスの頭脳。この夜の話の中味と、出た質問。興味は尽きない(courtesy of pgatour.com)

この写真で、総ての説明が付く。中央の女性が、この夜の招待主バーバラ。右がご主人ジャック。左は秋のライダーカップで、2度目のキャプテンを務めるデービス・ラブ三世。一列目左側から、長身のダスティン・ジョンソン。中央にミケルソン。後列右には、遠慮気味タイガーの姿も。
選手ではないが、副キャプテン候補の一人、トム・レーマンは、このディナーのために、片道4、5時間飛行。アリゾナのフェニックスから、駆け付けている。総勢25人。彼ら声が掛かれば、何処からでも馳せ参じる。

これが現在の、帝王ニクラスの吸引力。いま世界のゴルフ界は、紛れもなく75歳ニクラスを中心に回り、これはこの先少なくとも、10年は続くはずだ。

ニクラスで特筆されること。それはメジャー18勝の、競技生活だけに留まらない。彼の功績に関し、同世代のライバル、リー・トレビノが、次の様な話をしている。トレビノはかつてキャデイも遣らせて貰った人。私にとってはニクラスと同様大切な先輩だ。

1984年。トレビノが2度目の全米プロで優勝した、2ヶ月後にバッグを任された。体験キャデイは、物書きの私にとって、とてつもない勉強になった

1984年。トレビノが2度目の全米プロで優勝した、2ヶ月後にバッグを任された。体験キャデイは、物書きの私にとって、とてつもない勉強になった

「俺たちが若かった70年代まで。ライダーカップは、金曜午前のマッチ。その最初の組が1番ホールのティショットを終えた時、勝敗が決まった。勿論米国の勝ちさ」。トレビノは話が面白い。一言で総てをズバリ表現する。当時のライダーカップ(米vs.英アイルランド連合)は、それほどの差があった。

それが79年、米欧の対抗戦に発展した。時恰もセベを筆頭に、ファロド、ライル、ウーズナム達が台頭。それを見越し、米欧の対抗戦に拡大を提唱したのが、他ならぬニクラスだった。この写真が示す現在のライダーカップの隆盛。ニクラスの一言が、あったればこそだった。

米ツアーに於ける、ニクラスのトーナメントは、5月末のメモリアル。これは米国の行事、戦没将兵慰霊に重ねたもの。それはケンタッキーダービー。インディ500に続く、早春の全米規模のイベントとして定着した。ニクラスと言う男。競技者として「過去百年の最強」であるばかりか、プレー以外でも、巨泉の如くアイディアが湧き出る、類い希な才能の持ち主なのだ。

話はメモリアルに戻る。この週は水曜午後の、セレモニーが賑わう。メモリアルは、もう一つの意味を持つ。ゴルフ界に貢献した、歴史上の功労者を毎年表彰すること。そしてコース内ハウス近くの一角に、功労者一人一人のコーナーを設ける。1976年の第一回は、当然のことながら、マスターズの創始者であり、1930年のグランドスラマー、ボビー・ジョーンズだった。

ホンダクラシックの会場、PGAナショナルは、ニクラスの自宅から至近。其処で「ステーキ&ロブスターのメイン。デザートはニクラスブランドのアイスクリーム」(バーバラの説明)。25人のライダーカップ候補者は、舌鼓をうちながら、ニクラスの話を貪欲に吸収したそうである。

また遠慮気味だったタイガーに、声を掛けるのも、忘れてはいなかった。40歳になったタイガーが、ニクラスの一言で、子供のように喜んだことは、言う迄もないことだった。

そのライダーカップ。今年は9月最終週。ヘイゼルチン・ナショナル。リベンジを狙う米チーム。ニクラスがどんな秘策を、授けたのだろうか。

(Mar.7th.2016)

マスターズ迄、あと6週。タイガーの準備加速

どうやら今季はノンビリ遣り、本格活動は2017年シーズンになりそうなタイガー。その間のキャデイ、ジョーの処遇は、どうなるのか。気がかりはその部分だ(courtesy of Global Golf Post)

どうやら今季はノンビリ遣り、本格活動は2017年シーズンになりそうなタイガー。その間のキャデイ、ジョーの処遇は、どうなるのか。気がかりはその部分だ(courtesy of Global Golf Post)

26歳マキロイが、生涯グランドスラム達成に必要な、グリーンジャケット。マスターズの開幕は4月7日。舞台のオーガスタ・ナショナル。1997年から主役を張って来たのが、他ならぬタイガー。熊ならぬ虎が冬眠から、いま覚めつつある。

ご存じの通り、タイガーは昨年後半、二度続けて腰にメスを入れた。その前2014年3月30日。この時も医師は「競技ゴルフ迄に、百日の安静が必要」だった。二度処置した事は、昨年9月の一回目も、成功しなかったと言うこと。

その2度目から日数を数えると、ほぼ百日が過ぎた。代理人マーク・スタインバーグが「2月に入り、パッティングそしてチッピングを開始。ここ数日ウエッジ、そして9番アイアンも打ち始めた」と説明する。

2月24日。半ズボンのタイガーが、まず目の前の、デジタルスクリーンに向かって打つ。パー3ホール。ボールはホールに4.5メートルの、バーディチャンスに付いた。

前出スタインバーグンは「タイガーのファンには、期待が持てる状態」と付け加える。ただし問題はその先。具体的な復帰プログラムは、一切決まっていないことだ。それはそうだ。未だ短いアイアンを、手にし始めただけ。この先ドライバー迄。そしてコースでの実戦の勘を取り戻す。その道程は、決して短くない。

歴代勝者だから、タイガー、マスターズは何時でも出場できる。ただしタイガーとして、パトロンを魅了出来る。それだけのゴルフが出来るか否か。結論としては悲観的だ。

復帰への長い登り坂を歩く。彼を支えている男がいる。キャデイのジョー・ラカバだ。かつてジョーは、フレッド・カプルスのバッグを、任されていた。そのカプルスが50歳になった時、ジョーに声を掛けたのが、ダスティン・ジョンソンだった。

ルールの解釈違いで罰打。2010年全米プロの優勝は逃した。それでもツアー通算9勝の実力。190センチ超の派手な長距離砲。キャデイとしては、最高のプロ。それがダスティン。稼ぎにしても、年間数千万円は固い。

安定した数シーズン。そんなジョーに、新たな要請が来る。それがタイガーだった。

かつてタイガーのキャデイは、問題発言の多いスティーブ・ウイリアムズ。彼を切ったタイガーが、声を掛けて来たのだ。年齢的にはタイガーより9歳若いダスティン。この先安定した収入は、より長く続けられる可能性。それでもジョーは、即座にダスティンに相談している。
「タイガーと仕事が出来る。素晴らしいこと。僕にとってジョーは不可欠。でも諸手を挙げて送り出すよ」。

これがこの時の、2人の遣り取り。程なくして、タイガーとジョーのコンビは、始動する。然し優勝どころか、その後タイガーは、禄にトーナメント活動さえ出来ていない。その揚げ句昨秋の、二度の処置。

タイガーは数少ない、自家用ジェット機所有者のカネ持ち。成績が上がらなくとも、或る一定額の保証はあるはず。それは並みのキャデイよりは上。とは言え、まともな神経なら、腐って当然かも知れない。だがジョーは、そんな焦りを、微塵も見せず。タイガーの復帰プログラムに付き合い、4月第一週開幕のマスターズを、遠謀している。

(Feb.29th.2016)

45歳2位6度。全米オープンの夢、依然追うレフティ

courtesy of PGATour.com

courtesy of PGATour.com

松山やスピースが生まれた時、この人は既に大学生。アマチュアで、ツアー優勝も飾っていた。そしていま前述2人の若手が主役を張る2016年シーズンも、この時期既にターゲットを、4月のオーガスタ。そして6月のオークモントに置いている。オークモントは、言わずもがな全米オープン。ミケルソンにとっては、見果てぬ夢を追う舞台だ。

最大164人が出場する、ゴルフ競技。それでも優勝と言うパイは一つ。ミケルソンがこの世界にデビューした頃は、ノーマン、ファルド、アーウイン達の世代。それがスチュアート、カプルス、タイガー達を経て、今いわゆるビッグ4。マキロイ、スピース、デイそしてファウラーの時代。

私、ジャンボ尾崎の時も、時折り引用する。これだけの成績。一般企業なら代表取締役社長の業績。それが息子ほど、歳の離れた若者と五分で接する。年齢を意識したら、到底できる事ではない。それでも直向きにバーディを追う。それを45歳ミケルソンは今季、既に2週演じている。

一度は彼にとっての、今季の緒戦パームスプリングス。この時は3位。それ以上に迫力を誇示したのが、2週前のペブルビーチだった。

3コースで開催される、Nationalプロアマ。スパイグラスヒルでの、第一ラウンドを丁寧に乗り切ると、金曜以降の2コース(モントレーペニンシュラとペブル)もバーディを積み重ね通算16アンダー。単独首位で最終日。5度目の優勝は目前の状態だった。

だが日曜日延びない。それでも海に打ち出す強いホール17番で、乾坤一擲のバーディ。最終日だけで7アンダーの大まくりで終了していた、テイラーの17アンダーに並ぶ機会。だが18番で、短いバーディパットが沈まず、万事休した。これがこの時の写真だ。

続くリビエラ(ノーザントラスト)は、過去複数優勝している、相性のいいコース。「三度目の正直」を狙って、不思議でない状況。だがミケルソンは、一顧だにすることもなく、自家用機の方向を、東に向けている。彼にとっては目の前の、並みのトーナメントの一勝でなく、四大競技での勲章。ことに全米オープンのタイトルの必要。それがひしひしと伝わる決断だった。

ペブルでの最終日。スイングはほぼプレーンに添って振られていた。パッティングも筆者の目には、安定して見えた。それでもマスターズも全米オープンも、取りこぼしは許されない。それを承知しているのが、当のミケルソンなのだ。

不思議なこと。ツアー全体で42度の優勝を重ねた、これほどのプロが、全米オープンだけに手が届かず。2位に終わった回数が、何と6度もあることだ。

それだけに、数ヶ月先に待ち受ける、連続の大一番。そこで息子ほど年齢の違う、スピース達とたった一つのパイを奪い合う。ミケルソンが目下高めている集中力。常人には考えが及ばない、高さであることは、間違いない。

(Feb.22.2016 )

百ヤード迄。余分な処は、芝を張らない合理性と節約。日本でも是非…

フェニックス・オープン(英語の名称はWaste Management Phoenix Open)の会場でも、この様に、各種のサボテンが目立った。因みにここはwaste bunkerだから、ソールしても構わない(Gary Cruzの写真)

フェニックス・オープン(英語の名称はWaste Management Phoenix Open)の会場でも、この様に、各種のサボテンが目立った。因みにここはwaste bunkerだから、ソールしても構わない(Gary Cruzの写真)

日本のテレビ桟敷で、何人が気が付いたか。松山が優勝したフェニックス。2つの意味で英語のWasteが付いていた。一つは冠スポンサーが廃棄物処理企業。もう一つ。フェアウエイを外れたボールは、自然の荒れ地に転がる。そこは元来砂漠だった未開地。それを現地ではwaste bunkerと呼ぶ。遊休地である。

アリゾナのゴルフは、競技でない時、15本のクラブが許される。それは通称ロックアイアン。ジャンクショップで1、2ドルの代物。芝地を外れたらこのクラブで脱出する。傷つくことを、心配しないで済むし、バンカーではないから、ここではソールしても構わない。ところ変われば、ゴルフも変わるモノ。

アリゾナのゴルフが注目されたのは、80年代に入ってから。ニクラス設計のデザートハイランドなど。多種サボテン生い茂るコース。そこでパーマー、ニクラス、プレーヤーそしてワトソンのテレビマッチ。寒さが本格化する感謝祭の週。避寒地から北米全域にゴルフを、映像で送る。それで受けた。ただし驚きは,他にもあった。それはコースそのものだった。

「水の使用量を、極力抑える」「元来あった樹木草を、可能な限り元の状態で残す」。

その為、まずティグラウンドから百ヤード以上、芝を植えない。ニクラス曰く。「百ヤード飛ばないゴルファーはいまい」。そこからグリーン迄は、普通のコースと同じ状態。私も何度もラウンドしたが、不便さも違和感もない。そこで直感したこと。それが日本オープン開催コースのラフだった。

何十年になるか、日本オープンのコースと言えば、ラフを目一杯延ばす。開催は秋10月。それ迄一夏要して延ばす。

従ってその半年、一般ゴルファーは、深いラフと格闘。球探しに苦労する。JGAはそれを自慢げに眺めていた。何と言う時代遅れ。コースの難度を上げる、その為にはグリーン周辺の斜面をつるつるにする。これは豪州のスタイル。深いラフの最悪は、2011年の日本女子オープンだった。名古屋の和合。決して長くないコース。ここで優勝スコアが二桁のオーバーパーになった。女子とは言え、日本オープンに駒を進める程の腕が、時に3度打っても、ラフに留まっていた。

「これはゴルフに非ず。単なる虐め」と、多くがテレビのチャンネルを替えた程。ここでニクラスの発想が、生きることになる。百五十ヤード前後までは、ラフを延ばそうがプロには無関係、一方でその間のラフが並みなら、日本オープンまでの半年、アマチュアゴルファーは、通常のゴルフを楽しめる。

2009年の日本オープン(武蔵)。メディアデイ、この時うちのスタッフの独身女性。毎ホール球探し、時には二桁。処がパー3はワンオンがあり、パーも取れた。この時私は「日本オープン即長いラフ」の時代遅れを実感した。そして長いこと体験してきた、アリゾナのウエストバンカーを、ここでも脳裏に重い浮かべた。これがその絵。アリゾナのアナウンサー、ゲイリー・クルツが撮影したモノ。

今年の日本オープンは10月埼玉。延ばすにしても、未だ先のこと。延ばせば延ばすだけ、管理費も嵩む。.JGAはこの際、頭をしっかり切り換えるべきだ。それ越前の三方得に、なるのだから。

(Feb.15.2016)

熱狂16番の変遷。収益40億円超、経済効果百億円

Gary Cruz,Thanks for your good imformation.Our readers love them all

Gary Cruz,Thanks for your good imformation.Our readers love them all

Super Bowlは、いわゆるオバケイベント。MLBのワールドシリーズは全7戦。それに対しスーパーボウルは、泣いても笑っても一試合。全米はおろか、世界中にテレビ中継。それが強さで、CBSの広告は、30秒スポットで5百万ドルと言うから、約6億円。

ただしこの巨大イベントに、立ち向かうとなると、並大抵ではない。だが人間の知恵に、限界はない。それが終わったばかりの、フェニックスOpen。今でこそ日本のファンにも馴染みになった。そしてPar3の一ホールで、早朝から数万が押し掛ける。それは優勝争いに匹敵する、巨大な熱狂を産む。

フェニックスは、米でも古い歴史を持つ。マスターズより、早く産声を上げている。当初は市内のフェニックスCC。私が取材を始めた80年代序盤。既にスーパーボウルの裏番組。表彰式後広大なテントのラウンジ。そこでプロ、キャデイ、クラブの会員達が、飲みながら声援を送った。現在のTPCスコッツデールへ移ったのは1987年。

当時ダイのTPCソウグラスが注目を浴びる。同じスタジアム型でも、砂漠のそれは桁が違った。バックナインの見晴らしのよい場所に、飲食のできる簡易レストランを、可能な限り建てる。そこを丸ごと企業に売る。観戦を楽しみながら、客を接待する。午前10時には熱狂が始まる。そのための簡易トイレが、驚くなかれ千百個。

多くの観客は、池を挟んだ簡易レストランで、終盤の熱戦を楽しめる

多くの観客は、池を挟んだ簡易レストランで、終盤の熱戦を楽しめる

終わっても直ぐには帰宅しない。コースと広大な駐車場。その一角に巨大なテント張りが六、七つ。ステージのナマ演奏を聞きながら、ここでも飲み熱狂する。閉店は一応10時。不思議なこと。それでいて交通事故の話を聞かない。

そんなことだから、会場は月曜日でさえ数万人。その結果土曜日一日で20万1003人。土曜日までの合計が55万3035人。いま最終発表を待つ時点で「史上初の、60万人が実現するはず」。その結果としての収益。それは少なく見積もっても40億円超。それらは高額賞金やテレビ中継料を含めた資金に回され、残りは近隣の中高校に寄付される。

何故そんなにカネが産まれるのか。それは全体が住民の奉仕で、成り立っているためだ。核になるのはサンダーバード。いわゆる青年商工会議所。会員は40人。40歳になると後輩に道を譲る。このフェニックスオープンだけではない。ミケルソンの出身校ASU(アリゾナ州立大)がホストする大学のゴルフ招待競技、サンダーバード・クラシックも、スコア集計など裏方は、すべてサンダーバードの奉仕で行われる。

競技者への、距離の近さと足場の良さ。これが観客を,より熱狂させる。日本のツアーは,明日にも参考にすべきだ(courtesy of pgatour.com)

競技者への、距離の近さと足場の良さ。これが観客を,より熱狂させる。日本のツアーは,明日にも参考にすべきだ(courtesy of pgatour.com)

昔ミケルソンが4年の時、私は監督として丸山茂樹たち、日大を率いて出場している。至れり尽くせりの持て成し。3ラウンドのゴルフからバッフェまで無料。それでいて要望されたことは一つ。「日本に戻ったら、サンダーバード宛てに、簡単な礼状を」。それだけだった。

話は前後するが、北米大陸には、サンダーバードでなく、スノーバードと言う言葉がある。米北部やカナダは雪が深く寒さも厳しい。主にリタイアードは、トレーラーハウスを牽引。アリゾナ、パームスプリングスなどで数ヶ月過ごす。自分たちのゴルフや食事だけでなく、男女プロのトーナメントも楽しむ。それらが何れも廉価なのだ。

そんなことでフェニックスオープンの前後はスノーバードが集まる。彼らが落とすカネは、一週間で百億円を超す。その象徴がスコッツデールの16番。オバケイベントの裏番組は、気が付いた時スーパーボウルに負けない巨大さに化けていた。

昨季日本男子の観客数は約56万。勿論一年の合計。フェニックスの7日間にも及ばない。日本のファンは、16番の熱狂に感心するだけでなく、フェニックスの過ぎ去った数十年を、追跡すべきだと思う。

(Feb.8.2016)

PING cross over、アイアンで280ヤード飛ばす

この絵の通り、外観はアイアン。それでバッバは「280.1ヤード」先へボールを落とした。メーカーの開発能力は、大変なモノだ

この絵の通り、外観はアイアン。それでバッバは「280.1ヤード」先へボールを落とした。メーカーの開発能力は、大変なモノだ

世界を制した、あのPING Eye 2の、ドライビングアイアンが、思い起こされる。

私が渡米したのは、遠く79年9月。これから世界への、人脈を開拓する時。平日は何でもいいから取材。週末は米ツアーの中継をテレビ観戦。その後アパートに近い公営コースへ。地元民に混じり、日没まで薄暮の割引ゴルフ。

値段の安さ。潜りゴルファーの存在。それらと共に驚いたこと。それは何処も、4つのパー3の一つか二つが、230前後だったこと。私は自動的に3Wかドライバー。そのホールで向こうの連中、アイアンで打ち、時にグリーンをオーバーする。

「ナンだ、こいつら化け物」度肝を抜かれた。

デービス・ラブ三世は、プロデビューの頃から取材した仲。当時の彼は2アイアンで、280を正確に打っていた。

その当時プロばかりかトップアマ。彼らに目立ったのは、ドライビングアイアンの存在だった。彼らのバッグに、ウッドはドライバーだけ。その隣で1番アイアン。いわゆるドライビング・アイアンが、幅を利かせていた。

私には手の届かない存在。或る時こんな遣り取りがあった。オハイオ州立大のゴルフ場。ニクラスが学んだコース。当時監督支配人ヘッドプロ三役はジム・ブラウン。帝王のお膝元だけに、ジムのクラブはマグレガー。処がその中に一本だけ、別のメーカーが混じっていた。それがPING Eye2のドライビング・アイアンだった。

「デューク、これ写真、撮らないでくれ」。ジムの焦った顔付き。マグレガーと契約している、ニクラスの後輩でさえ、当時PING Eye2ドライビング・アイアンの魅力を、断ち切れなかったのだ。

日本人の私には、打ちこなせないドライビング・アイアン。その伝統が今年PINGの新製品として登場した。それが
cross over。この一月発表された、新アイディアのドライバーを押しのけ、私が着目した新製品。形はこの写真だからアイアン。説明は、こう書かれている。

「ヘッド速度と、ミスを救ってくれる(forTR1966_ANSER_FACEgivenness) はハイブリッドの能力。それに対しコントロールと、それに伴う能力はアイアン、との説明。早速テストしたバッバ・ワトソンが、初スイングで「280.1ヤード」とニンマリした。

更にバッバに、メイハンやリングマスが加わり、1月中フロリダで、繰り返しテストを実施。「僕たちプロが気に入るのだから、アマチュアのユーザー二も、役立つはず」とメイハン。

この辺り、ウッド以上にロングアイアンを好む、欧米の上級ゴルファー。彼らの伝統が、しっかり受け継がれていることが分かる。

もう一つは、創業者、カーステンの、ミスを救ってくれる着想。それはトゥーヒール・バランスのPINGパターから、キャビティのアイアン迄。その後世界の全メーカーが真似した。その基本は現在でも不変。それを証明する目的もあり、PINGはTR1966パター(写真)を、1月25日世界の市場に出した。50年前の用具が、21世紀の現在も注目される。

Cross overとTR1966パター。ゴルフ愛好者は、春が待ち遠しい。

(Feb.1st.2016)

プロ競技で半ズボン着用。欧州ツアー、2つの試み

 半ズボンは、日本こそ、必要な議論。特に子供達にとって。何故なら、アジアモンスーン地帯の蒸し暑さが、夏の数ヶ月続くからだ。何れにしろ普通のズボンを、膝の上で裁断しただけ。従ってベルトがあり、加えて踝までのソックスの着用。これがワールドスタンダードになる(courtesy of Global Golf Post)

半ズボンは、日本こそ、必要な議論。特に子供達にとって。何故なら、アジアモンスーン地帯の蒸し暑さが、夏の数ヶ月続くからだ。何れにしろ普通のズボンを、膝の上で裁断しただけ。従ってベルトがあり、加えて踝までのソックスの着用。これがワールドスタンダードになる(courtesy of Global Golf Post)

米に続き、2016年が開幕した欧州ツアー。早速新しい試みを2つ、スタートさせた。

一つは「プレー時間の短縮」。別な表現をすれば「スロープレーの撲滅」。具体的には「1ラウンドで15分の短縮。「これで観客ばかりか、テレビ桟敷にも、より大きな満足を」とルール責任者。ただしこれは、歴史的に永遠のテーマ。目新しいものではない。

「さすが欧州ツアーのセンス」と感心させられたこと。それはショートパンツの、ツアーへの導入だ。本戦は兎も角、練習日とプロアマの日の、着用がOKになった。ここ暫くは暑い湾岸地区。だが欧州に戻った後は、夏でもショートパンツは不向き。全英でさえカシミアを、重ね着することがあるからだ。

何れにしろ先週のアブダビ。プロが暑さを漫喫。その姿が映像で送られる。それを寒さの中の欧州の人々が、テレビ観戦する。それで成り立つビジネス。半ズボンの要望は当然強く、それが今回実現したもの。

ただしゴルフと半ズボンの組み合わせ。各国の文化水準で、要因が微妙に絡む。特に日本で。

この写真のプロは、人気のイアン・ポルター。ビシッと決めたポイントは、踝までの短いソックス。遠く1996五輪は、深南部ジョージア州アトランタだった。夏の蒸し暑さは日本と互角。参加各国共、選手の服装に工夫を凝らした。

そんな中、伝統を重んじる英国が、半ズボンで開会式に登場した。それがピタリ様になった。それは今回のポルター同様、踝までのソックスだった。一事が万事センスの良さ。

翻って日本。半ズボンには、ハイソックス(Kneehigh sox)が定番。安倍首相も夏のゴルフはこのスタイル。海外の長い私は、それを嫌う。その為一部顰蹙を買い続けてきた。

日本の問題点は、この程度に留まらない。真夏8月のジュニア競技。日本で最も高温になる地域霞ヶ関CC。ここでの3日間、男子はダーク系の長ズボンの着用を、義務付けられることだ。サッカーを例をに引く迄もなく、スポーツ着はファッション。そんな時代にも、目が開かないゴルフ界の大人達。

他との比較。私が好んで取材する、NCAAを頂点とする学生ゴルフ。ここでも基本的には半ズボン。色は紺、カーキ、白など。ミケルソン、デュバル、タイガーの頃。1組で数百人が観戦。彼らに違和感はなかった。

私が長いこと本拠地にして来たアリゾナ。米国を代表する避寒地だけに、夏の4、5ヶ月は時に華氏で50度を超す。日中を避け、早朝または夕暮れ時のゴルフ。その時の定番も、当然ながら半ズボンに、踝までのソックスになる。

90年代のこと。真夏の豪州でテレビマッチ。出演者はニクラス、ストレンジ、ノーマン、そして青木。それぞれに米、日本、豪州を中心に、世界のマーケットに売り込むための顔触れ。テレビマッチの気軽さもあり、ニクラス達3人は半ズボン。そんな中、青木一人が暑苦しいダーク系の長ズボン。モロ場違い。その時の周囲の会話。それは「青木の育った貧しい環境では、半ズボンは無理なのだろう」だった。

私は時折り、ニクラスと彼が設計中の現場で、一緒に過ごす。ハワイ、アリゾナ等では、その時ニクラスも、半ズボンで仕事をする。一方米でも、特に東部などで「上手いゴルファーは長ズボン」の不文律が、いまでも残っている。

今回の欧州ツアーの、半ズボンに対する部分解除。少なくとも日本の、子供達に対する好影響に、私は拍手を送りたい。
(Jan.25.2016)

79勝タイガーとの、比較が始まった、22歳スピース

いま40歳のタイガーと、22歳スピース。2年前のこの時、2人はどんな会話を、交わしていたのか。結果的にタイガーの20年間は、ニクラスを追い掛け、それが歴史になった。果たしてスピースは、新しい一頁を、塗り替えられるのだろうか(courtesy of Global Golf Post)

いま40歳のタイガーと、22歳スピース。2年前のこの時、2人はどんな会話を、交わしていたのか。結果的にタイガーの20年間は、ニクラスを追い掛け、それが歴史になった。果たしてスピースは、新しい一頁を、塗り替えられるのだろうか(courtesy of Global Golf Post)

英語だと「Let the comparisons begin」と言うことになる。

2015年、マスターズと全米オープンを含め、年間5勝した、ジョーダン・スピース。彼が記録した獲得賞金は、5300万ドル。世界ランクも一位。更に広告塔としての評価も、このところ急上昇。年開けて16年の開幕戦。ここでも唯一人30アンダーに到達。2位に8打差を付けて、ぶっ千切った。それを受けて漏れ伝わった情報。それに拠るとコカコーラが、桁違いの契約を、複数年結んだと言う。

スピースのエージェントは、かつて老舗IMGで腕を磨いたジェイ・ダンツイ。「金額は言えないが、大きな額です」と話している。

過去20年。カネにまつわる話は、タイガーの専売特許だった。彼の場合ゴルフをしない大衆にも、アピールする付加価値があった。あらゆるスポーツで、史上最年少の、1ビリオンBillionドル到達を成し遂げたのも、他ならぬ彼だった。そのタイガーとの比較。それを始める機運が高まった。そう言うのだ。

タイガーと言えば、米ツアーだけでも79回の優勝。其処には14個の四大タイトルが含まれている。前者はサム・スニードに次ぐ2位。後者はニクラスに続く2位。更に付け加えるなら、タイガーは過去百年の三強の一人。他はボビー・ジョーンズとニクラス。

そのレジェンドと比較する。弱冠22歳が、そこ迄の評価を高めた。然し決して無理な、急ぎ過ぎとは思わない。

この若さで、スピースは大化けを、繰り返し演じている。最初は2014年11月。初出場の豪州オープン。この時私は「松山との差を開く、全豪優勝」との記事を書いている。ここで最終日ボギー無しの8バーディ。2位に6打差。「自己最高のプレーが、最終日に出せた」。完全にゾーンに入れたことを喜んでいた。

その足で帰米し、出場したのは、タイガーがホストのワールドチャレンジ。ここでは通算26アンダー。2位のステンソンに2桁の大差。その3週前は、日本の宮崎(ダンロップフェニックス)に出場。松山の後塵を拝し、1打差2位に終わったが、その後が大違いだった。広大な太平洋を一回りした3週間で、この若者は、脱皮を二度繰り返したことになる。それは松山の手が、遠く届かない処に迄、先行したと断言できる。

そして2015年のマスターズ、全米オープンでの連続優勝。この時のマスターズも、記録ずくめの優勝だった。

更に2016年初端のカパルアでも、ただ一人30アンダーに到達。2位に8打差の、強さを見せ付けた。現在のライバル達とは異次元の世界。ここ迄来れば、タイガーとの比較が、早過ぎることはない。

通算7勝は、まだタイガーの、足許にも及ばない。だが40歳の誕生日を前に、檜舞台から降りたタイガー。彼に比べ、スピースは身体を、痛めている話も聞いていない。プロのアスリートにとって、これは大きなアドバンテージになる。

米のマスコミが、タイガーとの比較を始めた。これはこの先、間違いなく見逃せないテーマだ。

(Jan.18.2016)

2番アイアンで、歴史を作った名手、67歳逝く

ミスター2アイアン。この一枚の写真で、生涯恵まれた生活が送れた、アイルランドの英雄(Global Golf Post)

ミスター2アイアン。この一枚の写真で、生涯恵まれた生活が送れた、アイルランドの英雄(Global Golf Post)

2番アイアンが、ブンブン丸カプルスのPWを破った。信じ難い光景を目撃したのはライダーカップ。1989年のことだった。場所は英バーミンガム郊外のベルフリイ。初めて取材した時。2番アイアンで、一躍ヒーローに躍り出たのは、アイルランド人、クリスティ・オコーナー・ジュニアだった。

カーティス・ストレンジが、ホーガン以来36年振りで、全米オープン連覇を達成した年。それでも当時ライダーカップは、セベ、ファルドが牽引する、欧州の優位が続いていた。

日本では売れない取材。その状況でチョイス誌から、話が入る。「航空運賃を持ちますが」との相談だった。宿泊レンタカー等を計算すると、運賃より大きくなる。だが未だ見ぬ巨大野外劇を、記事に出来る魅力は避け難い。英国の新聞も「全英オープンではワンサと押し寄せる。その日本メディアが、日本人のいない、ライダーカップの取材に来た」と、からかい半分の記事を載せた程。

それにしても賞金なし。国旗を背にした、名誉を賭けた戦い。週初めから無我夢中で、カメラのシャッターを押した。いまほど巨大化していなかった。それも理由で、日曜のシングルス、私は米のエース、ストレンジと会話しながらコースを歩いた。マッチの相手はウーズナム。14番で遠くに歓声が上がる。ストレンジが「決まったのか」との問いに「我々の勝敗次第で、米は負けない」とウージー。引き分けの意味。

私は急ぎ最終18番に戻る。そのフェアウエイにいたのが、カプルスとオコーナー。驚くことに2人が残した、第二打の距離は、百ヤードの差が在った。ライダーカップ代表に、選ばれる程のプロ同士で。然しその先が違った。オコーナーが手にしたのは、2番アイアン。それが見事な放物線を描き、あわやカップインの距離に寄る。1メートル20センチ。3万余の観客は総立ちする。

18番は、フェアウエイが軽く左ドッグレッグ。当時でも平均290以上だったカプルスはPW。処がここから右に外す。オコーナーが1.2メートルを沈め、勝ち(1ホール)が決まった。

それから27年。オコーナーは、全英シニアオープンで2度優勝。またコース設計も手掛けてきた。それでもこのプロに取って、最大の金看板は、常にライダーカップのこの一打だった。

そのオコーナーが急死したのは、1月6日。場所はスペイン。この時期、米ならハワイ、アリゾナ。同じように欧州勢は寒い英国アイルランドを避けて、南下する。人気の目的地は、コースも多いスペイン。其処での急死だった。ちなみに有名歌手ビング・クロスビー。1977年のことだが、彼がゴルフ中に急死したのもスペイン(アルコペンダス)だった。

振り返って89年ライダーカップ。私もこのカット、カプルス共々抑えている。だが当時のフィルムを、すべてデジタルに移し替える作業が終了していない、それが理由で、今回はGlobal Golf Postの写真を使用します。

(Jan.11th.2016)