2番アイアンで、歴史を作った名手、67歳逝く

ミスター2アイアン。この一枚の写真で、生涯恵まれた生活が送れた、アイルランドの英雄(Global Golf Post)

ミスター2アイアン。この一枚の写真で、生涯恵まれた生活が送れた、アイルランドの英雄(Global Golf Post)

2番アイアンが、ブンブン丸カプルスのPWを破った。信じ難い光景を目撃したのはライダーカップ。1989年のことだった。場所は英バーミンガム郊外のベルフリイ。初めて取材した時。2番アイアンで、一躍ヒーローに躍り出たのは、アイルランド人、クリスティ・オコーナー・ジュニアだった。

カーティス・ストレンジが、ホーガン以来36年振りで、全米オープン連覇を達成した年。それでも当時ライダーカップは、セベ、ファルドが牽引する、欧州の優位が続いていた。

日本では売れない取材。その状況でチョイス誌から、話が入る。「航空運賃を持ちますが」との相談だった。宿泊レンタカー等を計算すると、運賃より大きくなる。だが未だ見ぬ巨大野外劇を、記事に出来る魅力は避け難い。英国の新聞も「全英オープンではワンサと押し寄せる。その日本メディアが、日本人のいない、ライダーカップの取材に来た」と、からかい半分の記事を載せた程。

それにしても賞金なし。国旗を背にした、名誉を賭けた戦い。週初めから無我夢中で、カメラのシャッターを押した。いまほど巨大化していなかった。それも理由で、日曜のシングルス、私は米のエース、ストレンジと会話しながらコースを歩いた。マッチの相手はウーズナム。14番で遠くに歓声が上がる。ストレンジが「決まったのか」との問いに「我々の勝敗次第で、米は負けない」とウージー。引き分けの意味。

私は急ぎ最終18番に戻る。そのフェアウエイにいたのが、カプルスとオコーナー。驚くことに2人が残した、第二打の距離は、百ヤードの差が在った。ライダーカップ代表に、選ばれる程のプロ同士で。然しその先が違った。オコーナーが手にしたのは、2番アイアン。それが見事な放物線を描き、あわやカップインの距離に寄る。1メートル20センチ。3万余の観客は総立ちする。

18番は、フェアウエイが軽く左ドッグレッグ。当時でも平均290以上だったカプルスはPW。処がここから右に外す。オコーナーが1.2メートルを沈め、勝ち(1ホール)が決まった。

それから27年。オコーナーは、全英シニアオープンで2度優勝。またコース設計も手掛けてきた。それでもこのプロに取って、最大の金看板は、常にライダーカップのこの一打だった。

そのオコーナーが急死したのは、1月6日。場所はスペイン。この時期、米ならハワイ、アリゾナ。同じように欧州勢は寒い英国アイルランドを避けて、南下する。人気の目的地は、コースも多いスペイン。其処での急死だった。ちなみに有名歌手ビング・クロスビー。1977年のことだが、彼がゴルフ中に急死したのもスペイン(アルコペンダス)だった。

振り返って89年ライダーカップ。私もこのカット、カプルス共々抑えている。だが当時のフィルムを、すべてデジタルに移し替える作業が終了していない、それが理由で、今回はGlobal Golf Postの写真を使用します。

(Jan.11th.2016)