いま日本が学ぶもの。それはライダーカップの熱狂と、話題作りだ

 欧米両チームのキャプテン。左が米ワトソン。右が欧州マッギンレイ。今月28日の終了まで、彼ら2人の一挙手一投足が、欧米の新聞テレビを賑わす。それはライダーカップが、次々話題を繰り出すからだ(photo courtesy of Global Golf Post)

欧米両チームのキャプテン。左が米ワトソン。右が欧州マッギンレイ。今月28日の終了まで、彼ら2人の一挙手一投足が、欧米の新聞テレビを賑わす。それはライダーカップが、次々話題を繰り出すからだ(photo courtesy of Global Golf Post)

このところ日本でも、人気が高まっている、ライダーカップ。1927年から続く、欧米(初期は英米対抗。1973年からは、英アイルランド連合vs米国。更に1979年欧州vs米国に拡大した)対抗試合。二年に一度の大舞台は、今回今月最終週、スコットランドの有名なグレンイーグルスで、行われる。ブレア政権時代の2005年。ここはG8サミットの会場にもなった施設。スコットランドを代表する、高級リゾートだ。

両チーム12人。両軍合わせ、僅か24人。超エリートの、まさにゴルフ界最大のスポーツショー。両サイドとも、9人はライダーカップ得点で、自動的に選ばれる。ちなみに米のトップは、マスターズ優勝のバッバ・ワトソン。欧州の一位は、今年2つのメジャータイトルを、掌中に収めた、25歳マキロイ。

キャプテン推薦は、得点こそ上位でなかったが、現時点で勝つために、キャプテンが「絶対に必要とする戦力」を選べるシステム。米のキャプテン、トム・ワトソンは、その3人にハンター・メイハン、キーガン・ブラッドリー。そしてウエブ・シンプソンを選考。一方欧州のキャプテン、ポール・マッギンリーは、ガラハー、ポールター。そして42歳の英国人、リー・ウエストウッドを選んだ。

勝つために両キャプテンが、重視するのは各プロの経験。ウエストウッドは、これ迄何度も、四大タイトルにニアミスして来た。それとは別に、世界ランク1位にも登り詰めた。その時はタイガーを、蹴落としてのものだった。またライダーカップは、1997年以来、これ迄8連続出場。そのうち六度、欧州の勝利に貢献している。これは大きな切り札になるはず。

そのライダーカップ、商売が実に巧みだ。競技そのものは、僅か3日。金土曜は午前と午後合わせても、僅か8マッチ。フォーマットは、フォアボールとフォアサム。これ日本では馴染みが薄い。だがこの双方とも、キャプテンの采配の妙が、随所に発揮される。まさにライダーカップの華と言える。

ライダーカップの主役は数万の観客。彼らは最初のマッチ開始の、1時間以上も前から会場を埋め尽くす。今年の場合だと、緯度の高いスコットランドで9月最終週。そこで競技開始の1時間前は、まだ薄暗い。それにも拘わらず巨大な国旗を振り、足を踏み鳴らして応援歌を続ける。そして日曜日のシングルス12マッチで決着。3日間僅か28マッチのドラマに、観客の熱狂は頂点に達する。

もちろん週前半、木曜日までは連日セレモニーが続く。そこでも万余の観客に、大きな満足を与える。

更にその前、例えば9月2日に行われた、両軍のキャプテン推薦選手の発表。これだけでも欧米の、マスコミは巨大な報道をする。それに備えるため、主催者は1年以上も前から、入場券を販売する。またデザインの優秀さもあり、記念品が飛ぶように売れる。まさに商売上手。それより前、2年前の冬。ワトソンのキャプテン就任は、米三大ネットの一つ、NBCの朝のニュース番組。そこにワトソンが、生出演して行われている。

実は日本でも、これを真似たイベントが、実施されている。それらは欧州との対抗、ロイヤルトロフィーとか日韓戦。だがこれら、実際はテレビマッチ程度のもの。それでもツアー機構は「アジアと欧州の、ライダーカップ」と騒ぐ。彼らライダーカップの実体を、何処まで理解把握しているのか。ろくに見たこともないモノを、とやかく言うのはプラスにならない。

マーク・マコーマック氏は、1960年に初のマネジメント会社、IMGを立ち上げた、スポーツビジネス史の功労者。彼が次のようなことを言っていた。

「毎週同じような、ストロークプレーの、ゴルフでは飽きられる。時々マッチプレー。そして男女のミックスチーム戦。これなども観客に喜ばれるはず」。

1960年代、彼はパーマー、ニクラス、ゲイリー・プレーヤーのビッグ3を形成。世界をツアー。日本にも立ち寄った。ロンドンのウエントワースで、長いこと実施されていた、世界マッチプレー選手権。これもマコーマック氏の仕掛けだった。

翻って日本のプロツアー。最近の情報に拠ると「来年消えるトーナメントがある。それも複数の可能性」と言う。プロ達に人気がない。更にアジアのプロ達が、日本人プロを凌駕する毎週。もしかして男子ツアーは、20試合を切ることへの危惧。その危機を乗り切るカギは、観客やテレビ桟敷に、熱狂を伝えること。そのお手本が、今月最終週のライダーカップなのだ。

私が初めて取材したライダーカップは1989年。英国ベルフリー。その後も1991年のキーワー島オーシャンコース。1997年のスペイン。更に1999年のボストン等、日本では原稿も写真も、売れない競技の取材に、繰り返し出掛けた。然し振り返ると、ライダーカップほど、カメラのシャッターを、多く押したイベントはない。プロのフォトジャーナリストが、熱狂させられる被写体。これは一般のファンをも、間違いなく虜にするはずだ。

(Sep.08.2014)