マキロイ、4月マスターズ練習相手を、決めている

 昨年のライダーカップで、大御所ニクラスに激励されるマキロイ。4月のマスターズで頂点に立てば、そのニクラスに、一歩近づくことになる (photo courtesy by Nicklaus Companies)

昨年のライダーカップで、大御所ニクラスに激励されるマキロイ。4月のマスターズで頂点に立てば、そのニクラスに、一歩近づくことになる
(photo courtesy by Nicklaus Companies)

25歳の賢さは、頼もしいばかりだ。昨夏ロリ・マキロイが、次のような話をしている。

「来年(2015年)マスターズ。練習ラウンドの相手を、確保しました」.

その練習相手が、何とアマチュアなのだ。

他の多くのトーナメントは、奇数の競技者が出た時、一人でラウンドする。それに対しマスターズは、マーカーを用意する。マーカーの役は競技者のスコアを記録。ラウンドの、ペース維持をサポートする。オーガスタ・ナショナルGCにとって、それが招待した競技者への礼儀なのだ。

昨年のマスターズ。第二ラウンド77を打ったマキロイは、ギリギリでの36ホール通過。51人目だった。3日目、他のトーナメントなら、朝一番にスタート。一人で18ホールを回るケース。そのマキロイをエスコートしたのが、アマチュアのジェフ・ノックス。そして、あろう事か、マーカーのノックス。彼のスコアが、71で回ったマキロイを、一打上回ったのだ。その時点で、2つのメジャー・タイトルを取っていた、プロフェッショナルを相手に。こんなことがあるのがゴルフ。

ただしここで、補足説明が必要になる。マーカーは自分のスコアを付けない。従ってノックスに「一打負けた話」は、マキロイから出たモノ。

だがそれは偶然でも何でもなかった。ノックスは、それ程の(遣い手)だったのだ。

使用したのは白マーク(メンバーがプレーする時の)とは言え2002年、オーガスタ・ナショナルGCで、何と61のスコアを記録している。他方2008、2009年にはジョージア・アマチュア選手権で連覇も果たした。加えてオーガスタ・ナショナルGCのディレクター。コースのことなら隅々まで知り尽くしている。

普通アマチュアに負ければ「顔も見たくない」。そう言う心境になって不思議はない。だがマキロイは違った。

一、二打のスコアの差は、ショット力以上に、コースマネジメントで、出る場合が少なくない。マスターズに招待される競技者は、年に一度一週間だけ。それに比べ、メンバーはコースの状態が可能な限り、ラウンド出来る。然もノックスは、オーガスタの町に在住している。

賢いマキロイは、そんなノックスの、エッセンスを貰う。それを今年のマスターズに活かそう。そう発想したのだ。

昨年四大競技の、後半の2つを連取。既に全米オープンのタイトルは掌中に収めている。4月のマスターズで、グリーンジャケットの袖に、手を通せれば四大タイトル総てに、手が届くことになる。25歳迄での四冠到達は、ニクラス、タイガーに続く、歴史的な快挙になる。

2011年のマスターズ。第一ラウンドから好発信。54ホール終了時で、優勝はほぼ掌中。そこまでのプレーをしていた。処が4打のリードを持ってスタートした、最終ラウンド80を叩く。トップ10さえ逃した。

マスターズに関しては、その時の悔しさがある。そして昨年マキロイがモタモタしている間に、年下のスピースが、2位タイに入っている。メジャータイトルへの、ドアを叩き始めた。マキロイとしても、うかうかしていられない。

何故ならメジャータイトルと言うパイは、年に四つしか用意されない、小さなモノからだ。

昨年のうちから決めていた、マキロイのこの作戦。4月12日の最終日が待たれる。

(Jan.26,2015)

愛すべきジョン・デーリー。カジノの負け55億円

 ペブルビーチの8番ティグラウンド。フェアウエイが空くのを待つ間、ジョーと雑談するデーリー。AT&Tの1週間。ケビン・コスナー達と共に、観客はデーリーに、大きな声援を送る。人気は衰えていない

ペブルビーチの8番ティグラウンド。フェアウエイが空くのを待つ間、ジョーと雑談するデーリー。AT&Tの1週間。ケビン・コスナー達と共に、観客はデーリーに、大きな声援を送る。人気は衰えていない

何ともスケールがデッカイ話。ギャンブルでの、負けの累計が55億円。それが与太話でないところが、また素晴らしい。

「宵越しのカネは、持たねえ」。むかし江戸っ子は、啖呵を切った。

数十億円の収入を誇る、大リーガーや、ツアーの看板達。そんな彼らが、もし稼ぎを、チマチマ財テクしていたら、興ざめする。

このオフ招待されて出場した、トルコでのトーナメント。そこで、あの”Bigジョン”デーリーが手にした賞金が、高々8千ドルだった。これもデーリーには、似つかわしくない。勿論デーリーほどの人気者。それ相当のギャラが、当然払われている。

そんな折り、面白い数字が出てきた。デーリーがギャンブルで擦ったカネは、何と55億円に達するというモノ。その殆どはカジノ。これなら如何にも、デーリーらしいスケールだ。何しろこの男、ハチャメチャを絵に描いた人生。それでいて49歳まで残っている。ファンから愛されている証拠。

デーリーとカジノ。この話をする上で、最適なのは、WGCアメリカンエクスプレス。2006年だったはずだ。場所は加州サンフランシスコ。ハーディングパーク。タイガーとデーリーの一騎打ち。これは熱狂した。最後サドンデスのプレーオフを、デーリーはボギーで落とした。1打差の2位。それでも手にした賞金は、一億円近い額。

デーリーの飛行機嫌いは有名。或る種の閉所恐怖症。だから彼は多少の遠距離でも、ドライブを選ぶ。競技終了後、デーリーが向かった先は空港でなく、フリーウエイ80号。その先は隣州ネバダ。そこには不夜城ラスベガスが、デーリー様を待っている。そこでデーリーは、幾つかのテーブルで遊ぶ。それぞれに、デッカイ賭けをしていることだけは確か。

カジノのディーラーには、元ツアープロだった人間も、何人も居る。彼らの助言。それは「賭け事中には飲むな」。理由は2つ。判断が鈍るから勝てない。気持ちが大きくなり過ぎる。その注意、デーリーの耳には届かない。

この夜デーリーは、大負けした。これは米の記者の報告があった。負けの額は、ハーディングパークの4日間で稼いだ、約1億円を軽く越えていた。

デーリーの破れかぶれ人生。これは繰り返されていて、私たち物書きには、実に興味あること。

彼はメジャータイトルを、2つ掌中に収めている。最初は91年全米プロ選手権。この時は、トップでヘッドが背中にくっ付きそうなほどの、オーバースイングで、まず度肝を抜く。妻の出産で急きょ欠場したニック・プライスの代打。更にプライスのキャディをそのまま拝借しての優勝。

処がこれらを上回る、大きなハプニングがあった。優勝直後妻と称する女性と、18番グリーン上で感激のハグ。処が彼女が、10歳以上も上。然も戸籍上他人の女房だった。

これで懲りないのがデーリーの個性。2つ目のメジャーは95年の全英オープン。会場はオールドコース。この18番グリーン上で抱擁した女房は、前回とは違う女性。だがこれらを誰も咎めない。

そして今回出てきた逸話。カジノを中心にギャンブルでの負けが、合計55億円。「いや90億円はある」との説も。それでも花柄模様の、派手派手ズボンで活動を継続。来年には50歳。チャンピオンズツアーの出場も可能になる。

それより何より、この数週後には、ペブルビーチでのAT&Aがある。これはツアープロに加え、セレブが揃うことで、多くの観客を呼ぶ。此処でのデーリーの、アマチュアパートナーは、長いことハリウッドの名脇役ジョー・ペシーだった。

今年のエントリーは、未だ確認していない。だが主催側として「客を呼べるビッグジョン」を、放っておくはずがない。

来年4月。50歳の誕生日を迎えるデーリー。その後60歳、70歳で、彼がどんな行動をし、姿を見せるか。想像するだけで、ワクワクする。タイガーの老後予測は簡単。それに比べデーリーは、全く読み切れないからだ。

その歳になっても、もしかしてビールを水代わりに流し込み、カジノのテーブルで、楽しんで居るかも知れない。

(Jan.19th.2015)

重み在る米記者会のMVPは、マキロイとルイス

 疲労困憊していても、ニクラスは私たちの質問に、トコトン答えてきた。その日のゴルフ、そして歴史の逸話まで。それはジョーンズ、更にスコットランドに遡っての、歴史に学んだことに違いない。それを世界中の報道者と分かち合い、そして米ゴルフ記者協会のMVPも、授賞してきた。マキロイもルイスも、その伝統を受け継いでいる。だから、このMVPには、世界をリードする、重みがあるのだ。 これは35年の米取材で、私が最も気に入っている一枚だ

疲労困憊していても、ニクラスは私たちの質問に、トコトン答えてきた。その日のゴルフ、そして歴史の逸話まで。それはジョーンズ、更にスコットランドに遡っての、歴史に学んだことに違いない。それを世界中の報道者と分かち合い、そして米ゴルフ記者協会のMVPも、授賞してきた。マキロイもルイスも、その伝統を受け継いでいる。だから、このMVPには、世界をリードする、重みがあるのだ。 これは35年の米取材で、私が最も気に入っている一枚だ

2015年は、カパルアで松山が、好調に飛び出して開幕した。

四月のマスターズ。そして6月の全米オープンなど。それぞれに週の前半は、晩餐会のラッシュになる。特に水曜夕刻。全米オープンの週は,主催USGAのディナー。それに対し4月のマスターズ。この週の水曜夕刻は、私たちのGWAA(米ゴルフ記者協会)主催の公式な晩餐会。同じ時間オーガスタのクラブ内では、海外からの招待選手。彼らを主賓とした、歓迎夕食会が催される。

人の集まりには,当然ながら然るべき目的がある。GWAAの夕食会。その目的は、前年の最優秀選手表彰。

マスターズも全米オープンも、ゴルフに関連する関係者。その大多数が集結する。社交の場。従って祝福する側の、世界の顔触れは,殆ど勢揃いする。その時の主賓が男女、そしてチャンピオンズツアーの、最優秀選手になる。

彼らの競技を,私たちは丸一シーズン、直接間接取材する。そして種々意見を交換する。それはゴルフ界に、多少でも役立つ。そう言った構図。だからディナー会場で会う、一人一人に思い入れがある。

その様な、過ぎ去った一年の動き。それを踏まえ昨年クリスマス時。私たちが選んだ、2014年最優秀選手。それがマキロイ、ルイス。そしてチャンピオンズツアーのランがーだった。

マキロイに関しては,文句の付けようがない。多分振られたのだろう。キャロライン・ウオズニアッキを失った衝撃にもめげず、後半2つのメジャータイトルを連取した。日本人の母を持つ、ファウラーも良く遣った。だが2度の2位と、メジャー2勝では、比較のしようがない。

この選考で、もう一つ重要視されるもの。これは投票率の高さ。より全員に近い投票が、会員としての義務。そのためヒューストンに在る事務局。そこでは「締め切り迄、あと何日」を,全会員に連日知らせる。

男子の25歳マキロイと共に、私が選んだ女子の最優秀選手は、ステイシー・ルイス。年間4勝。そのうちの一つに、全英女子オープンも含まれている。抜きん出るに、充分な成績だった。

GWAA主催の、マスターズ晩餐会は、4月8日水曜夜。そこでは、これまで示唆に富む,多くの微笑ましいスピーチが、会場を湧かせてきた。

長いこと表彰ディナーの主役が、当たり前だったタイガー。その前のトム・ワトソンと、LPGAの金看板だった、ナンシー・ロペス。更に遡ればニクラスからパーマーまで。

私たち千名近い会員(米国人だけでなく英、スペイン、そして日本国籍の私も加え)は、この様な機会に接することで、ゴルフを通した、ジャーナリストとして、多くの訓練を受ける機会を得られる。それは歴史の積み重ねだ。それも世界最強が、揃う中で。

未来の話。この先三十年が過ぎた時。マキロイは白髪交じりの、チャンピオンズツアープロに,なっている可能性。

その時パーマー、ニクラスや私たちは、既にこの世にいない。それでも今年の、表彰ディナーは、何処かで語り継がれる。

一度や二度の優勝では、到底対象にならない年間MVP。選考を終え、いま私たちは、その重みを実感している。

(Jan.12.2015)

ゴルフ目的地。今年2015年は、バハ・カリフォルニア

皆さま、新年おめでとうございます。Cabo_15a_JM_mini

雄大な日没を、ゴルフ場に穫り入れる。ニクラスの好みの手法。ここBaja Californiaでも、それが楽しめるはずだ(photos by Jim Mandeville)

雄大な日没を、ゴルフ場に穫り入れる。ニクラスの好みの手法。ここBaja Californiaでも、それが楽しめるはずだ(photos by Jim Mandeville)

今年、私が推薦する、新しいゴルフの目的地。それはメキシコの、Baja Californiaです。その最南端に、ここ数年新しいゴルフ施設が、複数オープンしています。

メキシコは国境の南。従ってそれだけ赤道に近い。その気候を利用。シーズン序盤の3月。カリブ海に面したリゾート、マヤコバで男子ツアーが行われている。この辺りは、東部など、米の中心部から、視野に入る。

一方のメキシコ太平洋岸。そこは開発が遅れた。一つの理由は、突き出た大きな半島だったこと。処がいま、その半島が売りになっている。それがバハ・カルフォル二ア。

この半島は基本的に乾燥気候。そこでいまゴルフ場造成が活発。米東部からは遠い。だがカリフォルニアの、LAやサンディエゴからは、空路2時間前後。と言うことは、日本から一度の乗り継ぎで行ける。それゆえに、私はバハ・カリフォルニアを、読者諸兄に、紹介したいわけである。

ことにバハ・カリフォルニアでも、いま注目されているのは、半島最南端の、Puerto Los Cabos周辺。ラウンド時間が、遅くなれば、遠く太平洋に沈む、ゴージャスな夕日を満喫できる、絶景のポイント。 また季節によっては、ホエールウオッチングが、楽しめる可能性もある。新設のうちの2つは、ジャック・ニクラスの作品。

 この地図が示す通り、リオグランディの南がメキシコ。その本土は全体に山国。そのためメキシコシティやグワダラハラなど、大都市は海抜1マイルの、高所に造られてきた。  左側に長く突き出た半島が、バハ・カリフォルニア。今年のお勧めは、この最南端への旅だ(State Farm Road Atlasから)

この地図が示す通り、リオグランディの南がメキシコ。その本土は全体に山国。そのためメキシコシティやグワダラハラなど、大都市は海抜1マイルの、高所に造られてきた。
 左側に長く突き出た半島が、バハ・カリフォルニア。今年のお勧めは、この最南端への旅だ(State Farm Road Atlasから)

米のリゾートの草分けは、ノースカロライナ州のパインハースト。深い雪に覆われる、東部ニューヨーク、ボストン首都ワシントンなど。そこから列車で南下。そのエスタリッシュメントを対象に、開場は1895年。全米オープンが、産声を上げたのと同じ年。

その後1907年。有名なNo.2コースが完成した。設計者はドナルド・ロス。スコットランドの、ドーノックでゴルフと、コース設計を学び、一時代を築いた功労者。

そのパインハーストが、Golf destinationの草分け。その後航空機が発達。交通の便がよくなると、更に南下してフロリダ。太平洋のハワイ。さらにメキシコ国境に近い南加州、スコッツデールや、カジノの都ベガスへ分散拡大した。

それら一世紀超の歴史を踏まえ、今年、私が皆さんに紹介したい、新しい目的地がバハ・カリフォルニア。その最南端にオープンした、Cabo del Solの2つのコース、オーシャンとQuiviraだ。

百聞は一見に如かず。この2枚は、ニクラスの専属コース写真家、Jim Mandevill が、撮影したモノ。日本では到底、お目に掛かれない光景。こんな場所で、ゴルフのバカンスを過ごす。生命の洗濯に、これ以上の贅沢はない。

かつて、バブル景気華やかし頃。日本のゴルフ好きは、その多くが、強い円を懐に、ハワイ、そして南加州のゴルフ場に、殺到した。当時この辺りのゴルフ場で、石を投げれば、当たるのは日本人だった。

そして今、スローライフ。そしてより豊かな個性的選択が、可能な時代。

私自身、未だ此処は体験していない。だが、何れもニクラスの自信作。それは日本の大衆ゴルファーにとって、遠い存在。それだけに、今年2015年「プレーし、満足したコース」に付け加える」。楽しいことに、違いない。

(New Year’ Day.2015)