米でのタイガーのキャデイ論争。不肖私に軍配

かつては、こんな協力時代もあった、タイガーとスティーブ。人生ズッと、口が滑り続けるスティーブ。口は災いの門、の諺は生きていた(Global Golf Post)

かつては、こんな協力時代もあった、タイガーとスティーブ。人生ズッと、口が滑り続けるスティーブ。口は災いの門、の諺は生きていた(Global Golf Post)

「私は、時に奴隷だった」。

かつてタイガーのキャデイとして、多くの優勝に貢献した、NZ人スティーブ・ウイリアムズ。彼が近著で、こんな世迷い言を並べた。それに対し、私はGlobal Golf Post誌上で、強く反論した。

「そう思えば、その様に受け止められる事実を、多く知っている。具体的な光景も、目撃してきた。だがタイガーは集中力が高く特別の存在。彼のバッグを任されたことで、スティーブは並のプロを凌ぐ、高収入を得、カネ持ち(Rich & Famous)になった。だからスティーブは、昔のことを暴露する愚を、侵すべきではない」。

読者の多くは米人。基本的な考えが、私と異なる者も少なくない。民主主義でも、数十%は反対意見があるのだから。彼らの反論。それは「だからどうした?」的な難癖。私は長期の取材で目撃した事実を、一つ各々説明し論破した。

西暦二千年。タイガー絶頂の頃。ペブルビーチで全米オープン、初優勝を果たす。この時米の記者仲間と計算したら、スティーブはキャデイながら、年間の稼ぎが百万ドルを超えていた。この額、並みのツアープロを凌ぐ。円安の現在だと1億2千万円。

キャデイは裏方。高い技術は必要だが、それは必ずしも、タイガーたち競技者ほどのモノではない。それでも人生夢の百万ドルを、この後もズッと稼ぎ続けた。それで居ながら、解雇された際、タイガーを批判した。身勝手な男。

普通キャデイは、ティタイム1時間前にスタンバイする。それに対し、スティーブは2時間前。タイガーの用具を準備。その後は一人黙々と、新聞などを読む。雑談はしない。と言うより、顔見知りの私でさえ、声を掛け難い程の雰囲気。

金看板タイガーのキャデイだ。その程度は当たり前。私はそう受け止めていた。

これが奴隷に対する、態度だろうか(Global Golf Post)

これが奴隷に対する、態度だろうか(Global Golf Post)

スティーブとの出会いは、彼が二十歳を過ぎて程ない頃。グラハム・マーシュのキャデイで来日。次いでノーマン。その頃「シャークと私」などの記事も書いている。90年代になり私が、ゲイリー・プレーヤーのキャデイをする。この時、後半2ラウンドの同組はフロイド。キャデイはスティーブ。パートの私など、逆立ちしても敵わない、キャデイとしての、経験を見せていた。

それでも昔から、口が災いをもたらしていた。1989年ノーマンは、クラウンズで優勝する。跳ね発ちで成田に向かう新幹線。その車中でノーマンに、解雇されている。同行した代理人の話に因ると、スティーブがノーマンに食って掛かった。誰のお陰でグリーン車に乗れ、キャデイとして高額の優勝ボーナスを得られたのか。双方を長く知るだけに、私はスティーブに軍配を、上げることは出来なかった。

ニュージーランドでのトークショー。ここでのミケルソン批判もあった。そして遂に今回の奴隷発言。ツアーの有名キャデイ、ミケルソンのボーンズ。プロ転向後暫く、タイガーのバッグを任されたフラッフ。それよりタイガーの現在のキャデイ、ラカバ。彼は声を掛けられた時、稼げるダスティン・ジョンソンの仕事をしていた。それでも「天下のタイガー。機会は滅多にない」と判断。ダスティンも同意し、送り出している。スティーブの様な、もめ事は一人として起こしていない。タイガーが特別の存在であることへの理解。それがあるからだ。

スティーブへの私の友好関係は、今後も不変。とは言え「大馬鹿を演じた」。それが私の率直な判断。この先ツアープロ達の、スティーブへの警戒が厳しくなる。それは否定できない。

(Nov.09.2015)