帝王74歳日本滞在22時間。自家用ジェット機。世界を飛び回る

バギーは自分で運転する。そして必要な場所で頻繁に停止。担当スタッフに次々指示を出す。この時のニクラスは、かつて競技をしていた時と、同様の厳しい表情になる

バギーは自分で運転する。そして必要な場所で頻繁に停止。担当スタッフに次々指示を出す。この時のニクラスは、かつて競技をしていた時と、同様の厳しい表情になる

Flying Golden Bear(空駆ける黄金熊)。メジャー18勝の、帝王ジャック・ニクラス。彼は74歳の今も、世界を飛び回っている。いま彼のビジネスは、ゴルフのプレーではない。ゴルフ場の設計。その数、既に世界38カ国で391。地球上の総ゴルフ場は約3万2千。その中に占める、これだけの数。それをニクラスが手掛けたことになる。その受注は、世界中からどんどん続く。それをこなす。そのためには地球を、飛び回らなければならない。

その強行日程を可能にするのが、自家用ジェット機。70億円はするガルフストリーム「Air Bear」。ニクラスのニックネームは、黄金熊Golden Bear。そこから名付けたモノ。

ちなみに、9月末からの約2週間。この間に動いた旅程。まず自宅のある米フロリダを出発。最初の目的地は、ライダーカップの舞台、スコットランド。そこでは昼も夜も引っ張りだこ。公式の午餐や晩餐。それらの席での写真撮影。その中には、007のショーン・コネリー。元F1世界王者ジャッキー・スチュアート達、代表的なスコットランド人。終了を待って、次トルクメニスタン。ここも原油のお陰で、ゴルフ場が必要になった。

続いてアフリカのモロッコ。そこから米のフロリダ。この時は同州内の事務所にも立ち寄らず。そのまま中国の北京。そして最後が日本。成田へ降り立った8日夜。ニクラスからの、短いメールが届いたのは、午後8時16分だった。

「いま、東京に着いた」。
「ナニ、予告もナシに?」。
「明日朝から、造成地をチェック。午後2時過ぎ迄は、千葉に居る」。
「判った。あす間違いなく行く」。

いま彼が日本で、手掛けている新設は、千葉市郊外の東京クラシック。

その連絡は、早くから届いていた。だが当初の登記は別の名称。そのため住所がハッキリしない。確認できたのは、翌朝8時。それを待って出駆けたことで、到着は丁度昼時。

ティグラウンド上。青写真に、自ら要点を書き込むニクラス。ゴルフ場は手作り、であることを教えられる。

ティグラウンド上。青写真に、自ら要点を書き込むニクラス。ゴルフ場は手作り、であることを教えられる。

事務所で30分ほど、取材も含めた雑談。22人の孫を中心に、家族の話。彼がホストを務め、今年は松山英樹が優勝した、米ツアー、メモリアル・トーナメントのこと。さらにはニクラスの設計したコースでの、日本オープン開催の可能性。そして2020年東京五輪に迄、話が延びる盛り上がりだった。

その後2台のバギー車に分乗。造成中の18ホールの、再度のチェックを、次々こなして行く。昔と変わらない。また地球を一周半し、十数時間前、成田に着いたばかり、とは思えない、精力的な動き。各ホール、ティグラウンド、そしてフェアウエイのIPから、次々指示を出す。

私は2台目のバギーで、広報担当筆頭副社長の、スコット・トーリイと、写真を撮りメモを続ける。スタッフに指示を与える、帝王ニクラス。彼の一言半句が、物書きの私には、宝物になる。

ニクラスにとっては、大好きな日本。心を許せる国。午後の約2時間も、充分満足行く表情で、この日の仕事を終えている。

ハワイのホクリア(ハワイ島)や、アリゾナのスコッツデール等。世界のあちこちで、造成現場での、ニクラスを取材して来た。そこで見えるモノ。それは「ゴルフ場は、一度完成させれば、それは半永久的なモノ」。だから設計のセオリーは変化(進歩)しても「自然に溶け込ませた、丁寧な造り」は、終始一貫している。そこで彼は絶対に妥協しない。

さらに際立つのは恵まれた用地。これだけのモノ、日本では滅多に見られるモノではない。その素材にグリーンばかりか、フェアウエイ全体の、おおらかで絶妙なうねり(アンデュレーション)を加えた。日本の場合フェアウエイは平坦。左右のラフに、小さいマウンドを造る。そんな勘違いが多かった。ニクラスの基本は、スコットランドの、ミュアフィールドGCに通じる、ゴルフ本来のフェアウエイのうねり、なのだ。極言すればゴルフは、アンデュレーションのゲームなのだから。

これがニクラスの、地球駆け巡りを可能にする、自家用ジェット機Air Bear

これがニクラスの、地球駆け巡りを可能にする、自家用ジェット機Air Bear

ニクラスの全英オープン優勝は3度。そのうちの2度がオールドコース(セントアンドルーズ)でのモノ。その前初めて、クラレットジャグ(優勝トロフィー)を抱いたのは1966年。ミュアフィールドGCだった。ここの正式名称はHonourable Company of Edinburgh Golfers。その歴史はゴルフの総本山R&Aより古く長い。

JackPlanePlans06_JM19「若い頃から、私の弾道は高かった。風の強いスコットランド。あれでは勝てない。英国の新聞は批判的だった。それだけに、私にとって、生涯最も嬉しい優勝になった」。

1976年から続く、米ツアー、メモリアル・トーナメント。その舞台はニクラスの郷里オハイオ州の、ミュアフィールド・ビレッジGC。それはニクラスが、全英オープン初優勝を飾ったコースから、借用した尊い名称なのだ。

ニクラスとの仕事で、感心させられる、もう一つのこと。それは造成地で一緒に過ごしたスタッフ。彼ら一人々々への仕事後の労い。それを忘れないこと。今回も工事担当者から、若い女性カメラマンまで。全員に声を掛け握手している。それが彼の場合、ごく自然に出て来る。

ゴルフ界の帝王として、常に王道を歩んで来た、男ならではの所作。これでは、世界中から、設計の注文が殺到して、当然なのだ。

なおニクラス設計のコース。日本ではこれ迄26。この東京クラシック(千葉市若葉区)は来春には竣工。そして2015年秋。ニクラスが再来日して、開場式が行われる、と言う。

(Oct.13.2014)