昨日終わった日本オープン(会場は千葉CC梅郷)。これらの会場選定を巡る利益誘導疑惑。それを私は、週刊新潮で、素っ破ぬいた。07年連休のことだった。
日本ゴルフ界の、薄汚いスキャンダル。それはそのまま、世界に知らせる必要。全4頁の記事の英訳は、結構長いものになった。それをニューヨークタイムズなど、英米のマスコミや記者仲間。ニクラスやジョニー・ミラーたち、影響力を持つベテラン。そして当然ながら、USGAとR&Aにも送った。当時USGAの専務理事は、デビッド・フェイ。彼らの中で、いの一番に返事のメールを、送って寄越したのは、R&Aの専務理事、ピーター・ドウソンだった。
彼は基本的に、他人を直接批判することはしない。彼は次のように、自説を書いてきた。
「ゴルフの世界は、その様な誘惑が強い環境。一人々々が注意する必要がある」と。
そのドウソンが、来夏の終わりに、代表権を持つ16年の専務理事職から、引退する。来年の全英オープンは、オールドコース。そこはトム・ワトソンの、最後の舞台になることも、決まっている。ドウソンもその時、同じように表舞台から降りる。
全英オープンの顔として、責任を負って来た、彼の16年が終わる。その間の数々の業績。その中でも特筆されるのは、数百年のゴルフ史の流れ。それを大きく近代化させたことだった。
ゴルフを五輪種目に、復帰させたこと。さらには260年続いた、男だけのクラブR&Aに、女性を加えるなど、ゴルフを、時代に合わせて、改革改良させた。これらは彼にとって幸運だったが、一方でドウソンだったからこそ、達成できた、高い目標でもあった。
08年のIOC総会は、夏の終わり。デンマークのコペンハーゲンで、行われている。1904年のセントルイス以来、112年ぶりで、ゴルフの五輪復帰が決まった時だ。この時競技者として、プレゼンターは、当時メジャーの主役だった、アイルランドのハリントンと、冬季五輪王国、ノルウエイが生んだ、女子メジャー勝者、スサン・ペッテルソン。そして未だ十代。ゴルフの未来の夢を語れる年齢の、ミッシェル・ウイ。4人目はその年16歳で、全英アマチュア選手権で優勝した、イタリアのマッテオ・マナッセロ。その同じ壇上で、全体を締めたのが、米ツアーのNo.2タイ・ボウトウと共に、ドウソン。彼らは国際ゴルフ連盟(IGF)の、会長と副会長でもあった。
この作業。当然のことながら、IOC総会の、何年も前から計画され、根回しされて来た。その時点から、フロリダ州ポンテべドラ(米ツアーのHQ)のボウトウと、綿密な具体策を練ってきたのが、ドウソンだった。
2016年のリオ。ゴルフの舞台は、コース造成の段階で、早くも複数のトラブルに直面している。とは言え、次の五輪2大会で、ゴルフが正式種目になる。この事実は大きなインパクトだ。
そのドウソン。最近では2010年秋。来日している。この年うぶ声を上げた、アジアアマチュア選手権。それを指揮するためだった。その秋ジャンボ尾崎の、世界ゴルフ殿堂入り発表があった。忙しい時間を縫い、ドウソンはその席にも、姿を現している。全英オープンの責任者は、世界のゴルフの、顔でもあるのだ。
そのドウソンの、後継者に決まったのは、54歳の英国人。マーチン・スランバース。バーミンガム大等、複数の大学で、機械工学と経済学の学士号を取得。卒業後はサロモン兄弟社の、ロンドン、香港に勤務。アジアと欧州の、財務責任者。その後ドイツ銀行にヘッドハントされた、国際派ビジネスマン。
来年3月、R&Aに加入。それからドウソンが引退する迄の、約半年オーバーラップさせて仕事をする。そして2015年10月1日、R&Aの次の専務理事として、本格的活動を開始することになる。
言う迄もなく、日本のゴルフ協会JGAは、R&Aの傘下。来年以降は、そんなことで新専務理事の、影響を受けることになる。
(Oct.20.2014)