68年ぶり。全英オープンが、北アイルランドに戻る背景

 優勝杯クラレット・ジャグを前に、喜びの発表をする、ポートラッシの代表者たち。右から2人目は、R&Aの責任者、ピーター・ドウソン専務理事

優勝杯クラレット・ジャグを前に、喜びの発表をする、ポートラッシの代表者たち。右から2人目は、R&Aの責任者、ピーター・ドウソン専務理事

ゴルフと言えば、スコットランドのゲーム。その印象が強い。とは言え、アイルランドも、ほぼ同じような、地形と気象条件を持つ。それ故に一級のコースは多い。

首都ダブリンに近い、バレーバ二オン。そして南のラヒンチ。これがアイルランドの一、二位ランク。一方の北アイルランド。ここを代表するのは、何と言っても、ポートラッシだ。過去アイルランドで、一度だけ開催された全英オープン。遠く1951年。その舞台がポートラッシ。そこに全英オープンが戻る。2019年と言うから5年後。68年ぶりになる。

理由は言わずもがな、ここ数年の、北アイルランド勢の活躍だ。

2010年の全米オープンを制した、グレアム・マクドウエル。2011年クラークが全英オープン。その後若いマキロイが、2011年全米オープンを皮切りに、2012年の全米プロ。そして今年は全英オープンと全米プロで、メジャー2冠。年明け4月のマスターズを獲れば、ニクラス、タイガーに続く若さで、生涯グランドスラムに届くことになる。

今まさに北アイルランド勢は、日の出の勢い。地元ファンは、全英オープンで、自分たちのヒーローの姿を見たい。当然大量の切符も捌ける。主催R&Aにしても、それを見逃す手はない。それら諸々の要望が重複。その結果2019年、ポートラッシでの開催が決まったモノ。

ここで小さな2つの島と、その間に横たわる、アイルランド海の説明が必要になる。ご存じの通り、これらの島は民族的に、入り組んでいる。そのためサッカーW杯には5つのチームが、欧州予選に駒を進める。それらはイングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランド。そして別の独立国アイルランド。その英本島とアイルランドの間に横たわるのが、アイルランド海。

全英オープンが、そのアイルランド海を渡ったのは、過去一度だけ。それが1951年であり、その時のコースがポートラッシだった。

設計者はオールド・トム・モリス(父)とヘンリー・コルト。2人の作風は、グリーンを複雑微妙にしたことで、コースとしての奥深さを、より大きくした。例えばパー3の14番は別名災難Calamity。それだけに、ここポートラッシへの、68年ぶりの全英オープン復帰は、大きな期待が持たれる。

そのポートラッシに戻る背景。そこに在るのは、このところ続く、北アイルランド勢の活躍に他ならない。

古い話になるが、クラークの父親は、ここポートラッシの、グリーンキーパーだった。その環境が、彼にゴルフと馴染む環境を与えた。全米オープン優勝の後、フロリダ州レイクノナに、本拠地を移したマクドウエル。それでも彼は、ポートラッシの自宅を、残している。

それに加え、遠くないハリウッド育ちのマキロイ。これだけの看板が、地元に揃えばR&Aも、アイルランド海を渡らない理由がなくなる。

ましてや2019年。マキロイは30歳になる。競技者として、最も脂が乗る頃。68年ぶりのポートラッシで、地元プロが優勝する可能性は、頗る大きいと言える。それこそ、スポーツビジネスにとって最も大切な要因。大入り満員が期待できる。

ところで、その68年前(現在からでなく、勿論2019年から逆算して)は、第二次大戦の爪痕が、強烈に残っていた頃。何しろ1945年迄、全英オープンも、6年間開催することさえ、出来なかったのだから。

オールドコースで行われた、1946年復興全英オープンは、サム・スニードが優勝。ただしその時2位だった、南アフリカのボビー。ロック。そして追い掛けた豪州のトムソンの時代が続いた。

ポートラッシでの1951年は、その間隙を縫い、マックス・ファルクナー、そして南米のアントニオ・セルダが争い。2打差でファルクナーが優勝した時だった。そしてパーマーの連続優勝(61、62年)を切っ掛けに、ビッグ3(他にニクラスとゲイリー・プレーヤー)が支配する、黄金の60年代が開幕することになる。

全英オープンを中継する、日本のテレビが関心を示すのは、日本人プロの成績だけ。そのため多数の私の知人は、日本の地上波を視ない。そんな国だが、これらの歴史を知ることで、テレビ観戦の楽しみは、間違いなく増す。そうなったら、素晴らしいことである。

その時までに私も、久々にアイルランドを行脚。ポートラッシのリポートも是非、読者に届けたいモノだ。

(Nov.17.2014)