NZ人プロ、スメイルが、校長先生になる

 195センチは、流石に大きい。だがゆったりした、ニュージーランドで育っただけに、人当たりは頗るソフト。日本にもファンは多い

195センチは、流石に大きい。だがゆったりした、ニュージーランドで育っただけに、人当たりは頗るソフト。日本にもファンは多い

年末はプロ野球選手の、契約更改の話が賑やかだ。40歳を過ぎた例外もある。だが多くは30代。中には20歳を、僅かに過ぎて解雇を、言い渡される若者も少なくない。才能の勝負だけに、スポーツで身を立てる。端で見るほど、簡単でないことが判る。

ニュージーランド(NZ)人、デビッド・スメイル。195センチの長身プロは、02年の日本オープン(下関GC)覇者でもある。そのスメイルが校長先生になることを、本気で考えている。

野球、サッカーなどに比べ、ゴルフの選手寿命は長い。とは言えスメイルも44歳になった。そして今季76位。来日以来初めて、賞金シードを失った。かつて賞金ランクの最高位は、2度の5位。そして日本ツアー5勝のベテランも、一歩立ち止まる時が来た。

「来季も日本でプレー。さらに50歳を過ぎたら、日本のシニアも、視野に入れている」。

それとは別に、スメイルが考え始めたこと。それは18年に及ぶ彼の人生。

「97年に初来日以来、18年を過ごした。その間に日本オープンのタイトルも獲れた。米から来ていた、ハミルトンやジョーブ。彼らも多くの勝利を収めた。でも日本のナショナル・オープン選手権には、手が届かなかった。

それを考慮した時、僕には遣るべき、もう一つの役割がある。それは現役を続ける一方で、日本の若者にゴルフの指導をする。その中から、将来日本オープンで優勝。さらに海外に飛躍できる素材を育てる。そのこと」。

シーズンを終えて帰国したスメイルの、アイディアの一つ。それは日本と比較にならない、NZのゴルフ環境。最大の違い。それはゴルフに要する料金。日本が高すぎるのか。それともNZが正常なのか。

日本を主戦場にするスメイル。彼は12月からの3ヶ月以上、トーナメント活動はない。その間に、日本からの若者を、ニュージーランドで引き受ける。年齢層は2つ。プロを目指す18歳以上の年齢。もう一つは中学高校生のグループ。

「日本人は2つのことを、一度に学ぶことが憧れ。ゴルフを上達させながら、英語も喋れるようになること」。

スメイルは、そこにも着目している。これは彼が、日本で18シーズン過ごして、得た感触。

これだけではない。シーズン中もトーナメントのない週がある。その時今度は、日本国内で老若を集め、全国各地でゴルフの巡回指導を行う。必要に応じアシスタントを付ける。とは言え、校長先生として、リーダーシップを執るのは、スメイル自身。日本ツアーで18年の44歳が、辿り着いた考えの一つ。それがゴルフ学校の校長先生だった。そんな中でも、彼が特に意識したこと。「それは日本オープンの重み」だったと言う。

「日本オープンのタイトル。これを獲れるのは、年に一人しか居ない。日本人の多くが、それを生涯の目標にしている、僕は外国人で、その名誉を得た。これは本当に有り難いこと。日本を主戦場にする、他の外国人プロ以上に、この名誉に対し、だから僕は恩返しをしたい」。

妻シェリーとの間に、2人の子供にも恵まれたスメイル。ニュージーランドでの日常は、貸しビル等の副業まで順調。その余裕ある環境が「日本で後進を育成する」発想に繋がったことは当然だった。

「NZの人口は450万人。少子化と言われ、人口減少が始まった日本、だが依然1億2千万人の国。そればかりか野球を楽しむ子供達は、大変な数、恐らく三、四十万人は、と僕なりに推測する。不思議なこと。高校卒業後、彼らが野球を継続しいる。その話を殆ど聞かないこと。だったらゴルフを遣りなさい。

僕も大きいが、テレビで観る高校球児は、多くが体格的に恵まれている。ゴルフプロの眼に映る彼らは、ゴルファーとして、育て甲斐のある素材。それが日本には沢山いる。食指が動きます」。

日本とニュージーランド。夏冬は逆。だが時差は僅か3時間。飛行時間は9時間余。いまや何処もLCC時代。校長先生スメイルの実力発揮。そして日本ゴルフ界への貢献が、期待される。

(Dec.08.2014)