PING三代目の陣頭指揮と、ちびっ子相撲への関心

育ちの良さ。さらに大きな成果を、上げ続けることによる自信。それらが表情に溢れていた

育ちの良さ。さらに大きな成果を、上げ続けることによる自信。それらが表情に溢れていた

メーカー別に見た時。今年最も活躍した一社。それは紛れもなく、PINGだった。

4月バッバ・ワトソンが、オーガスタで再び吹かせた、ピンク旋風。それだけではなかった。シーズン掉尾のFedExプレーオフ。この時はハンター・メイハンに続き、若いビリー・ホーシェルも、ビッグタイトルを掌中に収めた。そんなことで、米ツアーの2014年評論。ここでもG30シリーズを筆頭にした、PINGの強さ。それが特筆されていた。

プロ契約の先読みの強さ。アリゾナ州フェニックスの本社。広報担当ピート・サミュエルスが、次のように説明する。

「カレッジからツアーの現場まで。プロ担当の能力の高さと、データの確実さ。それに基づく、経営トップの適切な判断」

PINGで目立ったこと。それは日本国内でも、素晴らし躍進があったことだ。何しろ女子だけで、年間6勝している。3、4年前に比べると、圧倒的に異なる勢い。それを牽引したのが三代目。いわゆる創業者カーステンの孫、ジョンK.ソルハイムの、日本での3年間だった。

PING Japanの正面に、飾られている、約三十年前の写真。レーガン政権を救った、企業としての功績と名誉は、歴史に残る

PING Japanの正面に、飾られている、約三十年前の写真。レーガン政権を救った、企業としての功績と名誉は、歴史に残る

かつて80年代。双子の赤字に直面した米連邦政府。その逆境に立ち向かった、企業の一つがPING。時の大統領レーガンは、カーステンと妻ルイーズを、ホワイトハウスに招待。E Awardを授与している。Eとはエコノミーを意味する。それ程の企業が、気が付いた時、日本の市場占有率で、大きく後退していた。

PINGばかりか、世界の主要メーカーにとって、日本のマーケットは大きく重要。そこを立て直す急務。その切り札に、本社会長ジョン・ソルハイムは、自分の長男ジョンK.を送り込んできた。それから三年有余。PINGは盛り返し、今季の素晴らしい数字に結び付けた。その結果が、国内での今季6勝でもあった。

その話を聞く必要がある。初夏の5月30日。帰国の準備に忙しいジョンK.に無理を言い、1時間のアポを取った。話は大いに弾んだ。

ジョンK.の強みは、経営者自らが、用具開発のスペシャリストでもあること。97歳になった祖母、ルイーズが昔から、目を細めて話していたこと。

「中学の頃から、ジョンK.の遊び場はPINGの、組み立て工場。放課後カーステンの後を追っ掛けるようにして、毎日歩いていた」

ジョンK.は2つの大学(オクラホマ州立大とアリゾナ州立大)で、経営学を学んだ。とは言えコンピュータ世代。彼の若い頭脳は、カーステンの天才的なひらめきに、コンピュータ設計を、自然のうちに加えていった。

人気のドライバーを、手にするジョンK.

人気のドライバーを、手にするジョンK.

例えば各メーカーの新機種発表。通常は開発に拘わった。担当者が壇上に立つ。処がPING Japanでは、ここ数年社長自らが説明した。開発の陣頭指揮も執る経営者の説明。これは強みだ。

一方ジョンK.の祖父で、PINGの創業者、カーステン。彼は日本と日本人をこよなく愛した。70年代から数十年。夫婦揃って毎年一度は来日した。宿泊は帝国。そこで当時5社あった、日本の代理店をはじめ、旧知を招いての夕食。東京で育った我が家の息子2人、彼らがカーステン、ルイーズ夫妻に、初めて会ったのも、そんなことで帝国ホテルでの、夕食の時だっや。

日本が好きな、DNAがさせたのだろう。ジョンK.の長男は、滞在中ちびっ子相撲にも参加している。白人の子供が回し(褌)一つになる。日本文化に溶け込む、積極的な光景。それだけではなかった。

PING Japanの所在は、北区の浮間。目の前荒川の河川敷には、浮間ゴルフリンクスがある。そこでジョンK.を筆頭に、時折り全員参加の、社員ゴルフも行ってきた。河川敷と言えば、日本では安っぽく見られるモノ。そこをジョンK.は「昨日は、浮間ナショナルで」と、笑顔を作った。日本ゴルフの底辺を支える河川敷に、オーガスタ・ナショナルGCを重ね合わせる。センスの良さと日本への愛着。それもPING Japanを、短期間で復活させた、大きな要因だった。

その後アリゾナの本社へ戻ったジョンK.は、そこで引き続き、日本社長としての、務めも果たしている。

「グローバル時代のいま。仕事をする場所は、何処でも同じ。特に日本のスタッフは、責任感が強く能力が高い。アリゾナに帰ったいま。有利な点があるとしたら、それは自分の言葉での日常会話。それが通じる範囲が、少し広がることかな」と、40歳を過ぎたばかりの、若い経営者は、はにかむ。

21世紀のいま。企業、そして経営者に求められるモノ。それが着実に、変化している。ジョンK.の日本での3年間は、それを如実に語っていた。

(Dec.22.2014)