音を立てて崩壊。決して誇大な表現ではない。
タイガーとミケルソン。彼らの米ツアーでの優勝回数は、79勝と42勝。現役では抜きん出ている。それだけに2人とも荒稼ぎした、得意とするコースがある。
タイガーの場合。一トーナメントでの最多優勝は、パーマー招待の八回。ここでの優勝賞金だけで、自家用ジェット機を、購入出来そうな稼ぎ。ニクラスがホストを務める、6月のメモリアル〔舞台はミュアフィールドビレッジ〕でも強く、合計5勝している。
西海岸に移っての、トーリーパインズ。ここでも一会場だけで7勝。同じコースで開催された、2008年の全米オープンの優勝を加えると、ここでも8回の優勝を残している。
それより何より特筆されること。それは、世界最強の米ツアーの舞台。それが加州サンデイゴの市営コースであること。ミケルソンは生まれた地元。一方のタイガーも、ロングビーチに近い、サイプレス育ち。共にジュニア時代から、この公営コースで、繰り返しラウンドして来た。
開場は1957年。土地は殆ど廃物を、利用したモノだった。米の西海岸。特に加州には軍の基地が多い。太平洋戦争のための、備えだったのだ。トーリーパインズ周辺は不毛の地。そこを補給基地として使用した。そして1945年終戦。平時に於ける跡地の転用。そんな時、米国はゴルフ場を造る。それも市民が5ドル、10ドルで遊べる廉価なモノを。郵便配達夫から、大統領までが楽しむのが米のゴルフ。打って付けの再開発なのだ。
コースは南と北36ホール。サンディエゴ・オープンそのものは1952年に産声。途中からここトーリーパインズに移る。そして1968年から88年迄、歌手アンデイ・ウイリアムズがホストに就任。これでメキシコ国境でのトーナメントは、一躍注目された。
ここではまた、ワールドジュニアも開催されている。一部日本のマスコミは、これをジュニア世界選手権と表記しているが、これは間違い。単なるジュニアの、一競技に過ぎない。
冠スポンサーは、何度も代わる。ビューイック招待の名称もその一つ。そんな流れの中、タイガーの7勝に匹敵する、脚光を浴びたのがミケルソン。彼はタイガーより5歳上。そんなこともあり、彼のトーリーパインズでの3勝は、1993、2000,2001年に遡る。
余談が長くなったが、タイガーがツアープロとして〔終わりの始め〕を強烈に印象付けたこの2週間。。タイガーほど目立たなかったが、ミケルソンも36ホールで、連続落ちした。最大の原因は2日間(サンディエゴ)で3パットが5度あったこと。これでは勝負にならない。
今週、来週はペブルビーチ(AT&T)とリビエラ(ノーザントラスト)、優勝回数も多く双方とも、レフティには得意のコース。それでも6日。そのまま自家用機でフロリダへ向かっている。ここ数年パッティングの相談相手。デーブ・ストックトンと、解決策を見いだすことが目的。
それも一週間でなく、二週間を要すると言う。いまミケルソンが、直面する深刻さを、ハッキリ物語っている。
タイガーとミケルソン2人が、このまま終わるのか。過ぎ去った四半世紀、世界のツアーを、支えてきた二枚看板が、時を同じくして、急降下を描いている。偶然の一致とは言え、歴史の流れとは、意外なところで符合するものだ。
(Feb.9th.2015)