TitleistプロV1ボール、デビュー15年で2374勝

アンドレイドは、プロ仲間のファクソンとともに、長いこと子供たちのための、チャリティを続けている。その総額は既に1500万ドル(約20億円)に達している(米ツアー提供)

アンドレイドは、プロ仲間のファクソンとともに、長いこと子供たちのための、チャリティを続けている。その総額は既に1500万ドル(約20億円)に達している(米ツアー提供)

2374勝を15で割ると、一シーズンの優勝回数は158勝。

日本の男子二十数試合。米欧とも約五十。と言うことは、世界主要ツアーの勝者。その殆どが、プロV1ボールの使用者と言うことになる。

革命的なボールとなった、タイトリストのプロV1。実を言うとこのボール、世界で最初に取材した物書きが私だった。これは大法螺でも何でもない。

二十世紀最後のライダーカップ。行われたのは1999年9月末。場所はボストン。終わった翌日、私はタイトリストの本社へ車を走らせている。ゴルフ界を代表する有名経営者、ウオリー・ユーライン社長の、アポが取れたためだ。

のっけから余談を二つ。この取材をセットしてくれたのは、タイトリスト・ジャパンの渡辺一美会長。さらにライダーカップ会場では、鈴木大地と会う。今を時めくスポーツ長官。ハーバードにコーチ留学中。彼をゴルフ界の重鎮多数に紹介。PINGの役員からは、Olympic Gold Medalist.Daichi Suzukiの名入りパターを贈っている。

ユーライン社長のインタビューは、75分に及んだ。終了間際「新しい工場が、稼働したばかり。是非取材したら」と勧められた。ただしツーピースボールだと言う。糸巻きの全盛時。ツーピースは中級者以下の、安いボール。それが世間一般の通り相場だった頃。

「新製品の名前も、決まっていない」との説明。処がこれが翌二千年から、ゴルフ界を席巻することになる。そんな大物とは知らずに、取材しカメラのシャッターを押していたことが、今こそばゆい。そして早速プロV1での初優勝者が、名乗りを上げる。それがビリー・アンドレイド。プロV1初年の秋。トーナメントはラスベガス。これがプロV1の初優勝だった。

それから15年で、何と単一ブランドのボールが、2374回も優勝した。これは途方もない数字。さらに続く。デビュー以来15年。この間世界主要ツアーでの使用プロは、30万4000人以上。タイトリスト本社の話だと「3人に2人がプロV1、またはプロV1xでプレー。その数は2位企業のボールの、5倍以上に達する」と言う。

まさに断然トップの状態。プロが選ぶ用具は、一般ゴルファーの市場でも、大きな影響を及ぼす。米のゴルフデータテックに拠ると「目下一般市場でも、175週連続一位」を保っている。

これらデータが公表されるのは、基本的にプロのモノだけ。私は1980年以来、可能な限りNCAA(全米学生選手権)を取材している。其処では全競技者の、恐らく90%は、プロV1でプレーしている。

全米オープンを、私が初めて取材したのも1980年。競技者の使用用具カウントが始まったのはこの頃。それ以来全米オープンに於ける、使用球の一位はズッとタイトリストのボール。

また当時、全米オープン会場の練習場のボールは、タイトリストの普通のボール。練習用でなく、プロたちが競技で使用するモノ。それぞれ一度しか打たない。従ってほぼ真っ新に近い状態。其れを綺麗に洗浄し、1ダース単位で、ビニール袋に入れ販売。飛ぶように売れていた。

話は今季を締め括る、チャンピオンズ・ツアーの最終戦。優勝したのは、アンドレイドだった。第一号勝者が、節目の15年目の最終戦も飾った。何やら因縁めいたモノを、感じさせる終幕だった。

(Dec.21.2015)