人間国宝の吉右衞門。彼は二年前の春、雑誌のインタビューで、次のように話している。
「八十歳で、勧進帳の弁慶を舞う。それが役者としての最終目標」。歌舞伎座が新築された。そのタイミングでの記事だった。
吉右衞門と歌舞伎座。これに匹敵するゴルフの名舞台。数多ある中でも、特筆されるのはペブルビーチ。もう一つはゴルフの聖地、と言われるオールドコース(セントアンドルーズ)だ。
今年の全英オープンは来週。ホイレークのロイヤル・リバプール。それを前に、主催のR&A(ロイヤル&エンシェント・ゴルフクラブ・セントアンドルーズ)は、2015年の予定を発表した。それも米国で。
その時65歳になっているトム・ワトソン。「彼が全英オープンに出場する」。その話だった。
四大タイトル8箇のワトソン。そのうち5つが全英オープンでのモノ。これはハリー・バードンの6勝に続く史上2位タイ。記憶に新しいことだが2009年。ワトソンは59歳で、全英オープンのプレーオフに残っている。息の長さは、驚くばかりだ。
そのワトソンが、早々と出場を決めた、来年の全英オープンは、舞台がオールドコース。それが一つの理由だった。
ワトソンが初出場した全英オープンは、遠く1975年。場所はカヌースティ。その後事故で、片腕と片目を失った、豪州のジャック・ニュートン。彼とのプレーオフを制した末の勝利だった。その全英オープン初出場から数え、来年は40年になる。
ワトソンにとって、全英オープンを代表する勝利。それは1977年のターンベリー。この時は西部劇映画の題名を真似(真昼の決闘)との表題が、米英の新聞紙上に躍った。後半の36ホール。ワトソンとニクラスが最終組で直接対決。史上希に見る激闘を展開。最終的には268のワトソンが、269のニクラスを、最少打数差で破っての優勝だった。ただしワトソンの5勝に、オールドコースでのモノはない。
それでも初出場での初優勝から40年目。その舞台がオールドコース。これ以上の設定はない。其処で早々と、一年後の日程が、発表された訳だ。
ワトソンは1949年9月4日生まれ。ニクラスは1940年1月21日生まれ。2人の年齢差は9歳。(ちなみにニクラスとパーマーは11歳違い)。その年長ニクラスが、かつて最後の舞台に選んだコースが、2つあった。それはオールドコースであり、ペブルビーチだった。
2005年の全英オープンも、オールドコースだった。この時65歳に達していたニクラス。5年振りの全英オープン。勿論36ホールで終わっている。それでも帝王ニクラス最後の姿。ゴルフを理解する、スコットランドの人々は熱狂。第二ラウンドが行われた金曜午後。18番に架かるスイルカン橋上で、繰り返し手を振るニクラス。この時同組で、プレーをする栄誉に浴したのが、ワトソンだった。
それより前、西暦二千年は、ゴルフ界にとって、王冠の引き継ぎが、行われた年だった。
それ迄、長いことNicklaus throne(帝位)を保ってきた彼に代わり、若い25歳のタイガーが、全米オープンの、初タイトルを獲得。その同じチャンピオンシップで、ニクラスが引退した。その舞台が、モントレー半島17マイルドライブ内の、ペブルビーチだった。
ラウンド後、18番グリーン奥で、多くの記者に囲まれる夫ジャック。その姿を、目を真っ赤にして見守る賢夫人バーバラ。メモを取りながら、カメラのシャッターを押す我々の多くが、目を潤ませていた。
鮮烈なデビューは、華やかで美しい。だがそれ以上に重要なモノ。それは集大成となる、引退の舞台だ。海外にはそれが多い。前述2コースだけではない。全米オープンでは、今年の舞台になったパインハーストNo.2。そしてオークモントやメリオン。全英オープンでも、灯台の見えるターンベリー。サンドイッチの愛称で親しまれる、イアン・フレミングの、ロイヤル・セントジョージズ。そしてミュアフィールド。それらの中でも、特別な存在が、オールドコース。そしてペブルビーチ。世界中のゴルファーが、憧れる永遠の名舞台。
前述した通り、ニクラスに比べ、ワトソンは競技者としての息が長い。そんなことで、2015年が、彼にとって最後の全英オープンになる。そのことは断言できない。とは言え、65歳を迎えるワトソンが、2005年のニクラスに続き、オールドコースに登場する。それは「80歳で弁慶を舞う」吉右衞門に匹敵する心意気。ファンにとっては、またとない贈り物になる。
比較しても詮ないこと。とは言え、それに比べ、日本には、これらと肩を並べる、舞台も役者もが、余りにも少ない。
2年前の日本オープンは、沖縄だった。本土復帰40周年の記念行事の一環。このとき特別推薦された一人は、70歳の青木功。彼は36ホールを160(79,81)のスコアだった。それ以上に青木では、歴史を語る知性が不足していた。まさに役者として劣った。これでは観客は、熱狂も感謝もしない。歴史も積み重ねられない。
ペブルビーチに並ぶオールドコース。その名舞台でニクラスに続き、ワトソンも最後の花道を飾る。一年先のこと。だが日本では、絶対に得られない、心の高ぶり。読者は、今から楽しみにしているといい。
余談を一つ。1975年の初夏。私は初めてスコットランドを旅した。F1グランプリ取材の合間に。5月1日オールドコースでラウンド中に、雹が降ってきた。(一日に四季がある)と言われるスコットランド。早速の洗礼だった。翌日乗り合いバスで、カヌースティへ移動。B&Bに一泊。翌日地元の人達とラウンドした。ワトソンの優勝まで、2ヶ月半。北国だったこともあり、フェアウエイの芝は、薄かった。そのため地元のゴルファーは、フェアウエイからの第2打以降も、その都度ティアップ。芝を保護するため。それに従い、戸惑いながら私も、毎打ティアップして打ったことを、記憶している。
(Happy Tanabata Evening)