本物の19番ホール。ゴルフの幅と、楽しさを広げる

 ワイングラス片手に、ベランダから声援を送る、他のゴルファー達。緯度の高い、北米大陸やスコットランドは、夏の日没が遅い。そのため19番ホールでの、遊びばかりか、1日36ホールとか、54ホールを、楽しむゴルファーも多い

ワイングラス片手に、ベランダから声援を送る、他のゴルファー達。緯度の高い、北米大陸やスコットランドは、夏の日没が遅い。そのため19番ホールでの、遊びばかりか、1日36ホールとか、54ホールを、楽しむゴルファーも多い

ニューヨークは、実に変化に富んだ州。最南端のマンハッタンは、商業とショービジネス等で、世界をリードする。そこから、ホワイトプレーンズ方向へ、北上する。其処にはウイングドフット、ウエストチェスター等、名の知れたゴルフコース。ノルウッドCCは、その中の一つ。ここを私が訪れた理由。それは「本物の19番ホールがある。是非取材しておいたら」と、記者仲間に勧められた結果。

マイアミから、最北のメイン迄。大西洋岸を走る、米国最大の大動脈が、95号線。途中にはワシントンDCはじめ、ニューヨーク、ボストン等、主要都市が並ぶ。一方で沿線には、有名ゴルフ場も多い。オーガスタ・ナショナル、パインハーストNo.2、ザ・カントリークラブなど。

 マンハッタンから、ブロンクスを更に北上すると、古く伝統的なゴルフ場と、多く出会える。ノルウッドCCは、その中の一つ(State Farm Road Atlasから)

マンハッタンから、ブロンクスを更に北上すると、古く伝統的なゴルフ場と、多く出会える。ノルウッドCCは、その中の一つ(State Farm Road Atlasから)

西の太平洋岸を、南北に走る101号とともに、私が最も多く、ドライブして来たのが、この幹線道路。渡米して暫くは、飛行機とレンタカーの組み合わせ。それを愛車で50州走破に切り換えた。唯一無二の理由。飛行機では、上空から眺めるだけ。それに比べ、ドライブなら、より多くの(興味あるゴルフ場)を、訪れることが可能になる。そのためだった。

渡米して直ぐの頃、多く訪れた町の一つがボストン。米国を代表する新聞、ボストングローブ紙のゴルフ担当、ジョー・コンキャノン。彼は陸上記者でもあり、当然ボストンマラソンの顔。そのため何度も来日。東京での世界陸上や、青梅マラソンを取材した。大の親日家は、私に対しても協力的。多くの情報を、提供してくれた。それらはゴルフだけではない。レッドソックスの取材から、95号線沿いの、酒と食い物の旨い店まで。

ノルウッドCCを紹介してくれたのも、そんなことでジョーだった。

当時の私は、世界トップ百コースの、選考国際評議委員を拝命する前。米ツアー取材の駆け出しに対しても、米のゴルフ場は、無料でコースを、体験させてくれる。ただしジョーばかりか、ニューヨークタイムズの記者たちは、飲食にはちゃんと、カネを払う。日本の一部ゴルフ関係マスコミ。彼らのタカリ根性とは、決定的に違う。

彼の紹介で出掛けたノルウッドCC。ハウス二階のバーから、見下ろす、打ち下ろしのパー3。それが、このゴルフ場の、19番目のホールだったのだ。

19番ホールとは、普通ハウスのバー、またはラウンジのこと。一日の勝負を終え、其処でベットの精算をする。言わば(追加の大一番)。そんな洒落もあり、彼らはこう呼ぶ。ところが此処ニューヨークの、ノルウッドCCには、本物の19番目の、ホールがあった。

「ベットは概ね、どちらかが負ける。その時精算をした後、負けた方が、もう一勝負を願い出る。その時通常の18ホールは、埋まっている」。

その要望に対応出来るのが、19番目のホール。ハウスの目の前。パー3だから、直ぐに決着がつく。加えてハウスで飲食している、他のメンバー達の、声援が届く。日本のカントリークラブと違い、彼らのクラブは、メンバーとそのゲストが主体。お互いが顔見知り。僅か十数分のショーに、当事者以外にも、多くが熱狂する。ゴルフの幅と、楽しさを広げる。

この豊かな遊び心。そしてスポーツ文化の違い。米ツアー取材の駆け出しには、目から鱗が落ちたことを、記憶している。更に彼らの発想の豊かさ。それは19番目のホールがなくても、19番ホールのゴルフを、楽しむことだ。

私たちは、結構多く無料招待の、ゴルフ旅がある。その一つは感謝祭後の秋の、ゴルフメディア・クラシック。これはスコッツデールやベガスで、ゴルフ三昧の一週間。一方でカナダ・オンタリオ州からの招待も多い。此処での一週間。宿泊はトロント。ゴルフ場は郊外の新設中心。そんなことで、往復はバスになる。北極圏に近い緯度の高さ。そのため夏の太陽は、なかなか西に沈まない。

或るコース(この写真の)でラウンドが終了。名物のバッファロー・ステーキと、カナダビールで満腹になっても、まだバスが来ない。そんなタイミングで、誰かが大声を上げた。

「どうだい。19番ホールを、遣ろうじゃないか?」。

20人の参加者。勿論反対するモノなどいない。ハウスの直ぐ近くの12番ホール。これが幸運にもパー3。

ルールは、クラブ一本でボールは2個。競技はニアピン。我々がスタンバイすると、他のゴルファー達も、騒ぎを聞きつけ、ベランダに集まる。そして一打ごとに、ヤジ声援を送る。夏のぎらぎらした太陽の下。これは、まさに子供心に帰る、楽しさだった。

同じ19番ホールだが、これは技術的に、私たちとはレベルの違う話。スコットランドのミュアフィールド。正式名称は、The Honorable Company of Edinburgh Golfers。私が初めて訪れたのは1979年秋。当時の責任者は、通称キャプテン・ハンマー。途中道を間違えたこともあり、到着時間が少し遅れた。ラウンドは許可された。だが、その前に「スタート時間に遅れたら、ゴルフは失格。そのことを肝に銘じなさい」と注意を受けた。いまでも忘れない教訓。

87年だったか。それとも92年だったか。全英オープン終了後の日曜日。トム・ワトソンやベン・クレンショウ。30代だった彼らが、ミュアフィールドの、ハウス前テラスで一杯。陽はまだ高い。誰かが「日没迄数ホール」と言い出した。首を横に振るモノはいなかった。ただし実現はしなかった。(厳しいオヤジ)キャプテン・ハンマーの耳に届いたことで、中止命令が出たためだった。

これは英国の記者仲間から、後日届いた話。私たち、アベレージゴルファーばかりか、四大タイトルを獲る、一級のプロでも、18ホールで満足しない幼心。更に陽があるうちは、ボールを打ち続けたい遊び心。それが19番目のホールの、発想の原点なのかも知れない。それにしても、ゴルフとは、興味深いゲームだ。

(July.15.2014)