ルディ・デュランは、タイガーを4歳から10歳まで指導。その後の大成功に、結び付けた陰の功労者。
彼の話によると「タイガーが80を、初めて切ったのは8歳。その後の人生で、80に怯えることはなかった。それでも過去一度だけ、80を打ったことがある。
アーニー・エルスが、全英初優勝を飾った2002年。コースはエジンバラにほど近い、ミュアフィールド。その3日目、暴風が終日コースを吹き荒れた。まだ二十代。メジャータイトルを、積み重ねていた頃のタイガー。それでも80を打たされた。だが一ヶ月後の全米プロ。勝ちはリッチ・ビームに譲ったが、タイガーは2位。全英での80の屈辱を、払拭した。
先週のフェニックス・オープンは、タイガーにとって、米ツアー1109回目のラウンドだった。
その前に私は「今週のタイガーは、36ホールのカットを通過すれば、御の字」との記事を、他の出版物に載せている。読み通り、木曜日は2オーバー73。36ホールのカットラインを1アンダーとすると、金曜日3アンダーが必要。かつてのタイガーなら兎も角、昨年からのゴルフでは、容易なことではない。
それより前、米の記者仲間との雑談。そこで出た結論。それがMaking cut would be big for Tiger。その邦訳が「36ホールのカットを、クリアすれば、御の字」だった。余談だが、英でも米でも、予選落ちと言う表現は遣わない。何れにしろタイガーには、何とも失礼な予測。だがその読みが、ズバリ的中することになる。
読者の大多数は、テレビ観戦しているはず。従ってラウンドの説明は割愛する。それにしても、8歳で80を切って以来、最悪のスコア82を打ったタイガー。それも池に打ち、グリーンエッジからの寄せを、ざっくり〔私たち素人とは異なるレベルだが)で、グリーンにも届かぬ無様。
トリプル一つ。ダブルが二個。小雨は降っていた。だが2002年のミュアフィールドの様に、暴風はなかった。今回の出場者は132人。マイケル・ホッパーは、地元のクラブプロ。日常はゴルフ場を運営するプロ。そんな彼と並び最下位タイで、今季の初戦を終えた。
メジャータイトル14は、ジャック・ニクラスに次ぐ史上2位。米ツアーの通算勝利数は79勝。サム・スニードの持つ、82勝更新まであと僅か。それより前、97年マスターズで初優勝した時。パーマーが次のような賛辞を送っている。
「この若者は、私とジャックが積み重ねた合計より多く、マスターズで優勝するだろう」。
マスターズの最多勝は、。ニクラスの6勝。2位がパーマーの4勝。彼の読み通りなら、二桁に届くはずだった。然し依然として4勝止まり。名馬に必要な無事。タイガーには、それが欠けていた。十代から繰り返し左膝を痛める。それが何時しか、腰から背中にまで拡散。
そのため一年前の3月末、遂に腰にメスを入れる。マスターズと全米オープンを欠場。「全治90日」のはずだったが、90日が過ぎても、痛みは残った。
昨年末のワールドチャレンジ。26アンダーのスピースが、2位ステンソンに10打差を付けた試合。コースは、言わば花相撲の設定。それにも拘わらず、タイガーのスコアは、スピースと26打差のイーブン。総勢18人の招待競技で、ホストは最下位だった。
その時から、私たちは、タイガーが完全に、峠を越したことを認識していた。フェニックスでの最下位での落ち迄は、よもや考えなかったが。
それにしても、39歳で過去の人になる。残念ながら、否定しようのない、現実なのだ。
(Feb.2nd.2015)