今にして思えば、日本のゴルフ場の、歴史的な失敗。それは何処も、カントリークラブ、と名付けたことだ。
カントリークラブには、通常プールもテニスも、そして乗馬の施設もある。日本に身近なところでは、ロスのリビエラCC。自分たちのモノではないが、ここは近くにサンタモニカの市営空港。州外に住むメンバーは、自家用機で飛来。そして一週間とか、名コースでのラウンド。そして地元に住むメンバーとの、交流を温める。
ちなみにリビエラのホテルでは、昔イチローが、結婚式を挙げている。規模は小さいが格式は高い。それだけに、会員になるには、財布の厚みが必要になる。
米国がよくした部分。それは稼ぎの少ない市民でも、小さな出費で楽しめる、ゴルフの施設があること。ロスの場合だと、LA North(いわゆるロサンゼルスCC)と目と鼻の先に、ランチョパークがある。北米大陸を代表する、大衆の憩いの場。ここではかつて、クリントン大統領がラウンド。その時の記念碑が、ハウス近くに建てられている。勿論リビエラで四大競技が開催される年。その時はロサンゼルスオープンは、ランチョパーク開催だった。
他にも有名コースの多いロス周辺。一方でこの辺り市営、郡営合わせた公営が数多。その一つは、穴場Rec Park。Recreation Parkの略。私の編集担当プロ、スティーブの家から、車で5分。ここは一ヶ所に18ホールのゴルフ場。ビリー・ジーン・キングが、幼少を過ごした、テニス施設。野球場。サッカーからバーベキュー迄を楽しめる、広大な芝地が一ヶ所に。
その中心が、骨格のしっかりした、クオリティの高い18ホールと、二階建て白亜のクラブハウス。その二階には、かつてプロフットボールNFLのチーム(ロサンゼルスRams)が、オフィスを構えていた。まさにRecreation Parkそのものだった。
古き佳き時代。フェアウエイの妖精、ローラ・ボーを覚えているのは、かなりの世代。七十年代の初め。ジャンボの登場で、歴史破りの急成長を始めた日本のゴルフ。金髪と笑顔。超ミニのスカート。それがローラ。カメラマンは外聞もなく、全員が超ローアングル。ティグラウンドが高い、東京よみうりなどは、打って付けの場所。それでいて優勝を争う腕がある。
この様な女子プロ、呼ぶ側としては、毎週でも欲しい。そこでエージェント、IMGが画策したのは、ローラ・ボーのカレンダー。カレンダーなら、世の男性の部屋で、毎日微笑んでくれる。これが当たり、長いこと超ビッグセラー。日本の窓口を、一手引き受けたゴルフダイジェストは、そのお陰で「ビルが一つ建った」と言われた。
そのローラー・ボーが育ったのがRec Park。「お母さんに連れられ、放課後毎日、練習グリーンで日没まで過ごした」(スティーブの話)と言う。
言わずもがな、ビリー・ジーン・キングは、テニス史を飾った、最も偉大な選手。そのビリー・ジーンからローラ迄が、同じレクリエーション公園で育った。それは偶然ではなく、施設の優秀さ。そして同時に、街中に位置していた。そのことなのだ。
私にしても、東へ行く時は、シカゴ辺たりで乗り換え。またアリゾナへ直に行く時はLAXで乗り継ぐ。それ以外の時は、レンタカーでスティーブの家へ直行。打ち合わせ終了を待って、Rec Parkへ直行。Coors片手に、薄暮の9ホールで球を打つ。一緒に回る連中。「10時間も飛行して、疲れていないのかい?」と問うが、これが問題なし。スティーブの家でシャワー。その後寿司(鯉と言う日本人経営の店)か、デッカイチーズバーガーを平らげてバタンキュー。それで時差は、ほぼ消える。事ほど然様に、街中のゴルフ場は役に立つ。
日本の約2400のゴルフ場は、その殆どがカントリークラブ。一方米の1万7千は、その6割以上がパブリック。その代表が(My Favorite)Rec Parkなのです。皆さんも、南加州へお出かけの折は、是非ローラ・ボーのコース、ラウンドを。
(Aug.3rd.2015)