プロ競技で半ズボン着用。欧州ツアー、2つの試み

 半ズボンは、日本こそ、必要な議論。特に子供達にとって。何故なら、アジアモンスーン地帯の蒸し暑さが、夏の数ヶ月続くからだ。何れにしろ普通のズボンを、膝の上で裁断しただけ。従ってベルトがあり、加えて踝までのソックスの着用。これがワールドスタンダードになる(courtesy of Global Golf Post)

半ズボンは、日本こそ、必要な議論。特に子供達にとって。何故なら、アジアモンスーン地帯の蒸し暑さが、夏の数ヶ月続くからだ。何れにしろ普通のズボンを、膝の上で裁断しただけ。従ってベルトがあり、加えて踝までのソックスの着用。これがワールドスタンダードになる(courtesy of Global Golf Post)

米に続き、2016年が開幕した欧州ツアー。早速新しい試みを2つ、スタートさせた。

一つは「プレー時間の短縮」。別な表現をすれば「スロープレーの撲滅」。具体的には「1ラウンドで15分の短縮。「これで観客ばかりか、テレビ桟敷にも、より大きな満足を」とルール責任者。ただしこれは、歴史的に永遠のテーマ。目新しいものではない。

「さすが欧州ツアーのセンス」と感心させられたこと。それはショートパンツの、ツアーへの導入だ。本戦は兎も角、練習日とプロアマの日の、着用がOKになった。ここ暫くは暑い湾岸地区。だが欧州に戻った後は、夏でもショートパンツは不向き。全英でさえカシミアを、重ね着することがあるからだ。

何れにしろ先週のアブダビ。プロが暑さを漫喫。その姿が映像で送られる。それを寒さの中の欧州の人々が、テレビ観戦する。それで成り立つビジネス。半ズボンの要望は当然強く、それが今回実現したもの。

ただしゴルフと半ズボンの組み合わせ。各国の文化水準で、要因が微妙に絡む。特に日本で。

この写真のプロは、人気のイアン・ポルター。ビシッと決めたポイントは、踝までの短いソックス。遠く1996五輪は、深南部ジョージア州アトランタだった。夏の蒸し暑さは日本と互角。参加各国共、選手の服装に工夫を凝らした。

そんな中、伝統を重んじる英国が、半ズボンで開会式に登場した。それがピタリ様になった。それは今回のポルター同様、踝までのソックスだった。一事が万事センスの良さ。

翻って日本。半ズボンには、ハイソックス(Kneehigh sox)が定番。安倍首相も夏のゴルフはこのスタイル。海外の長い私は、それを嫌う。その為一部顰蹙を買い続けてきた。

日本の問題点は、この程度に留まらない。真夏8月のジュニア競技。日本で最も高温になる地域霞ヶ関CC。ここでの3日間、男子はダーク系の長ズボンの着用を、義務付けられることだ。サッカーを例をに引く迄もなく、スポーツ着はファッション。そんな時代にも、目が開かないゴルフ界の大人達。

他との比較。私が好んで取材する、NCAAを頂点とする学生ゴルフ。ここでも基本的には半ズボン。色は紺、カーキ、白など。ミケルソン、デュバル、タイガーの頃。1組で数百人が観戦。彼らに違和感はなかった。

私が長いこと本拠地にして来たアリゾナ。米国を代表する避寒地だけに、夏の4、5ヶ月は時に華氏で50度を超す。日中を避け、早朝または夕暮れ時のゴルフ。その時の定番も、当然ながら半ズボンに、踝までのソックスになる。

90年代のこと。真夏の豪州でテレビマッチ。出演者はニクラス、ストレンジ、ノーマン、そして青木。それぞれに米、日本、豪州を中心に、世界のマーケットに売り込むための顔触れ。テレビマッチの気軽さもあり、ニクラス達3人は半ズボン。そんな中、青木一人が暑苦しいダーク系の長ズボン。モロ場違い。その時の周囲の会話。それは「青木の育った貧しい環境では、半ズボンは無理なのだろう」だった。

私は時折り、ニクラスと彼が設計中の現場で、一緒に過ごす。ハワイ、アリゾナ等では、その時ニクラスも、半ズボンで仕事をする。一方米でも、特に東部などで「上手いゴルファーは長ズボン」の不文律が、いまでも残っている。

今回の欧州ツアーの、半ズボンに対する部分解除。少なくとも日本の、子供達に対する好影響に、私は拍手を送りたい。
(Jan.25.2016)

79勝タイガーとの、比較が始まった、22歳スピース

いま40歳のタイガーと、22歳スピース。2年前のこの時、2人はどんな会話を、交わしていたのか。結果的にタイガーの20年間は、ニクラスを追い掛け、それが歴史になった。果たしてスピースは、新しい一頁を、塗り替えられるのだろうか(courtesy of Global Golf Post)

いま40歳のタイガーと、22歳スピース。2年前のこの時、2人はどんな会話を、交わしていたのか。結果的にタイガーの20年間は、ニクラスを追い掛け、それが歴史になった。果たしてスピースは、新しい一頁を、塗り替えられるのだろうか(courtesy of Global Golf Post)

英語だと「Let the comparisons begin」と言うことになる。

2015年、マスターズと全米オープンを含め、年間5勝した、ジョーダン・スピース。彼が記録した獲得賞金は、5300万ドル。世界ランクも一位。更に広告塔としての評価も、このところ急上昇。年開けて16年の開幕戦。ここでも唯一人30アンダーに到達。2位に8打差を付けて、ぶっ千切った。それを受けて漏れ伝わった情報。それに拠るとコカコーラが、桁違いの契約を、複数年結んだと言う。

スピースのエージェントは、かつて老舗IMGで腕を磨いたジェイ・ダンツイ。「金額は言えないが、大きな額です」と話している。

過去20年。カネにまつわる話は、タイガーの専売特許だった。彼の場合ゴルフをしない大衆にも、アピールする付加価値があった。あらゆるスポーツで、史上最年少の、1ビリオンBillionドル到達を成し遂げたのも、他ならぬ彼だった。そのタイガーとの比較。それを始める機運が高まった。そう言うのだ。

タイガーと言えば、米ツアーだけでも79回の優勝。其処には14個の四大タイトルが含まれている。前者はサム・スニードに次ぐ2位。後者はニクラスに続く2位。更に付け加えるなら、タイガーは過去百年の三強の一人。他はボビー・ジョーンズとニクラス。

そのレジェンドと比較する。弱冠22歳が、そこ迄の評価を高めた。然し決して無理な、急ぎ過ぎとは思わない。

この若さで、スピースは大化けを、繰り返し演じている。最初は2014年11月。初出場の豪州オープン。この時私は「松山との差を開く、全豪優勝」との記事を書いている。ここで最終日ボギー無しの8バーディ。2位に6打差。「自己最高のプレーが、最終日に出せた」。完全にゾーンに入れたことを喜んでいた。

その足で帰米し、出場したのは、タイガーがホストのワールドチャレンジ。ここでは通算26アンダー。2位のステンソンに2桁の大差。その3週前は、日本の宮崎(ダンロップフェニックス)に出場。松山の後塵を拝し、1打差2位に終わったが、その後が大違いだった。広大な太平洋を一回りした3週間で、この若者は、脱皮を二度繰り返したことになる。それは松山の手が、遠く届かない処に迄、先行したと断言できる。

そして2015年のマスターズ、全米オープンでの連続優勝。この時のマスターズも、記録ずくめの優勝だった。

更に2016年初端のカパルアでも、ただ一人30アンダーに到達。2位に8打差の、強さを見せ付けた。現在のライバル達とは異次元の世界。ここ迄来れば、タイガーとの比較が、早過ぎることはない。

通算7勝は、まだタイガーの、足許にも及ばない。だが40歳の誕生日を前に、檜舞台から降りたタイガー。彼に比べ、スピースは身体を、痛めている話も聞いていない。プロのアスリートにとって、これは大きなアドバンテージになる。

米のマスコミが、タイガーとの比較を始めた。これはこの先、間違いなく見逃せないテーマだ。

(Jan.18.2016)

2番アイアンで、歴史を作った名手、67歳逝く

ミスター2アイアン。この一枚の写真で、生涯恵まれた生活が送れた、アイルランドの英雄(Global Golf Post)

ミスター2アイアン。この一枚の写真で、生涯恵まれた生活が送れた、アイルランドの英雄(Global Golf Post)

2番アイアンが、ブンブン丸カプルスのPWを破った。信じ難い光景を目撃したのはライダーカップ。1989年のことだった。場所は英バーミンガム郊外のベルフリイ。初めて取材した時。2番アイアンで、一躍ヒーローに躍り出たのは、アイルランド人、クリスティ・オコーナー・ジュニアだった。

カーティス・ストレンジが、ホーガン以来36年振りで、全米オープン連覇を達成した年。それでも当時ライダーカップは、セベ、ファルドが牽引する、欧州の優位が続いていた。

日本では売れない取材。その状況でチョイス誌から、話が入る。「航空運賃を持ちますが」との相談だった。宿泊レンタカー等を計算すると、運賃より大きくなる。だが未だ見ぬ巨大野外劇を、記事に出来る魅力は避け難い。英国の新聞も「全英オープンではワンサと押し寄せる。その日本メディアが、日本人のいない、ライダーカップの取材に来た」と、からかい半分の記事を載せた程。

それにしても賞金なし。国旗を背にした、名誉を賭けた戦い。週初めから無我夢中で、カメラのシャッターを押した。いまほど巨大化していなかった。それも理由で、日曜のシングルス、私は米のエース、ストレンジと会話しながらコースを歩いた。マッチの相手はウーズナム。14番で遠くに歓声が上がる。ストレンジが「決まったのか」との問いに「我々の勝敗次第で、米は負けない」とウージー。引き分けの意味。

私は急ぎ最終18番に戻る。そのフェアウエイにいたのが、カプルスとオコーナー。驚くことに2人が残した、第二打の距離は、百ヤードの差が在った。ライダーカップ代表に、選ばれる程のプロ同士で。然しその先が違った。オコーナーが手にしたのは、2番アイアン。それが見事な放物線を描き、あわやカップインの距離に寄る。1メートル20センチ。3万余の観客は総立ちする。

18番は、フェアウエイが軽く左ドッグレッグ。当時でも平均290以上だったカプルスはPW。処がここから右に外す。オコーナーが1.2メートルを沈め、勝ち(1ホール)が決まった。

それから27年。オコーナーは、全英シニアオープンで2度優勝。またコース設計も手掛けてきた。それでもこのプロに取って、最大の金看板は、常にライダーカップのこの一打だった。

そのオコーナーが急死したのは、1月6日。場所はスペイン。この時期、米ならハワイ、アリゾナ。同じように欧州勢は寒い英国アイルランドを避けて、南下する。人気の目的地は、コースも多いスペイン。其処での急死だった。ちなみに有名歌手ビング・クロスビー。1977年のことだが、彼がゴルフ中に急死したのもスペイン(アルコペンダス)だった。

振り返って89年ライダーカップ。私もこのカット、カプルス共々抑えている。だが当時のフィルムを、すべてデジタルに移し替える作業が終了していない、それが理由で、今回はGlobal Golf Postの写真を使用します。

(Jan.11th.2016)

タイガーを育てた男、Rudy Duran、待望の日本登場

タイガーを育てた実績が評価され、西暦二千年ルディは米ツアーから、カードウオーカー賞を贈られた

タイガーを育てた実績が評価され、西暦二千年ルディは米ツアーから、カードウオーカー賞を贈られた

タイガー・ウッズ。この秋短期間で二度腰に、メスを入れて迎えた40歳の誕生日(12月30日)。時を同じくして、そのタイガーを育てた有名コーチ、ルデイ・デュランが、初来日した。タイガーと言えば、とかくブッチ。ただしそれは高校生になった後のこと。タイガーの父アールに懇願され、4歳から10歳迄指導。ボビー・ジョーンズ、ジャック・ニクラスに並ぶ、過去百年の三強の一人。その基礎を創ったのが、他ならぬルディ。

目的は日本テレビでの、番組制作。急に話がまとまっての来日。年の瀬一週間滞在した。番組のタイトルは、まだ聞いていない。だが単純なレッスンではなく、スタッフにコメディアン、日本人プロ和足哲也(読みはわたり・てつや)たちを加えた、バリュエーションある番組。

ことにわたりは、188センチの長身。ルディの携帯に写っている写真を見る限り、悪くないルックス。年齢は32だが、ルディはこのわたりに、伸び代の大きさを実感。「私の理論を身に付ければ、短期間での成長が可能」と期待して居る。

日本人プロが、国際レベルで低迷している理由の一つ。それは最先端の理論を持つ、コーチがいないこと。言葉が通じないことで、その部分の情報が、海外から入らないため。その点ルディは、先頭を走る米の一級コーチ。プロだけでなく子供たちを育てる、ザ・ファーストティの指導者でもある。それより何よりツアー79勝タイガー。彼の基礎を創った名伯楽なのだ。

年末東京でテレビ番組制作。その合間に歌舞伎も楽しんだルディ

年末東京でテレビ番組制作。その合間に歌舞伎も楽しんだルディ

日本テレビの番組だけに留まらず、JGAや日本プロゴルフ協会が、三顧の礼を持って迎えても不思議でない指導者。何しろ5年後2020年には東京五輪。其処で日本は、メダルが欲しいのだから。

理論家ルディ。彼がタイガー育成で、成功した拘りは多数。その中でも特に「バーデイが狙える醍醐味」を、幼児の時から指導したこと。これ、他のスポーツに置き換えると、野球少年に、ホームランの面白さ。それを教えるのと同じこと。

ルディがタイガーと過ごしたのは、パー3の18ホール(パー54)。ロングビーチの街中。距離は136から85ヤード迄。中学生以上には各々パー3。だがルディの門下生に、なった時のタイガーは未だ4歳。目一杯ドライバーを叩いても百ヤード少々。これでは多くがパー4になる。その為ルディは18ホール中13ホールを、パー4にし、これを(Tigers’ Par)とした。

効果は覿面。タイガーは第二打で旗の根元を、そしてバーディパットを狙う。ゴルフのプレーで、最大の快感に、僅か4歳で目覚めさせることに成功した。その後全米アマ3連覇。米ツアー79勝。その都度派手なガッツポーズを演じたタイガー。その原点を辿ると、パー3コースでの、タイガーのパーに到達する。ルディの最高傑作だった。

他のスポーツ。サッカーは仏人トルシェで、2002年日韓開催好成績を残した。現在もナショナル・チーム監督は外国人。従ってゴルフでも、外国人コーチが、定期的に駐在し指導する。決して無理な発想ではない。ましてやルディはトッププロから、子供たちのザ・ファーストティまで。幅広く育成できる。それより何より、タイガーの師匠だ。

新しい2016年は、彼を見逃す手はない。

(Happy New Year.2016)