46歳グーセンの、豊かな経験と、遼の4連続落ち

 数年前のフィーバーから、36ホール落ち連続のギャップ。グーセンの年齢になった時、遼はどんなゴルフを、しているのか〔日本シリーズで撮影)

数年前のフィーバーから、36ホール落ち連続のギャップ。グーセンの年齢になった時、遼はどんなゴルフを、しているのか〔日本シリーズで撮影)

南アフリカの46歳、リティーフ・グーセン。2011年迄、マスターズに12回連続出場。2位の成績も残した。全米オープンで、2勝〔2001、2004年)したほどの実力。グリーンジャケットに、手を届かせて、不思議はなかった。

米ツアーの最年長優勝は、52歳8ヶ月8日〔1965年サム・スニード)。終わったばかりのリビエラCC。第一ラウンド66首位発進。そのまま3日目まで先頭をキープ。スニードの領域に近づくことを、予感させたほどだ。

ここ3年、世界ランクを落としていた。先週の時点で220位。遼の126位は愚か、他の日本勢だと、竹谷や武藤より、下に落ちていた。第3ラウンド終了後「やっとケガを克服できた。欲を言えば、あと10歳若ければ」と笑って見せた。

先週のリビエラ。映像で確認する限り、グリーンの硬さが目立った。第二打が止まり難い。この様な情況では「亀の甲より年の功」。経験が生きることになる。グーセンの3日目迄の好走は、それに基づくものだった。

「若者には筋肉があるが、経験は足りない」。それをモロにさらけ出したのが、一方の遼だった。23歳は第一ラウンドで、Quadruple(パーの二倍)を、打つなどして77。その時点で4試合連続の、36ホール落ちが、ほぼ決定した。

いま米ツアーは、通年開催。とは言え秋の数ヶ月は、モロに二軍線。遼のレベルでも、何とかなる。ところが正月を過ぎると、顔触れがガラリ一変する。これほど際だった違いが出る。それは当然のこと。それが秋の3試合36ホール通過。それに比べ、パームスプリングスから4連続36ホール落ち。そのカラクリを解くカギになる。

勿論経験だけではない。実力が不足している。その点にも注目する必要がある。遼に救いがあるとしたら、未だ23歳という年齢。時間的には、未だ伸び代を期待できる。ただし生まれ持った才能は、如何ともしがたい。それも視野に入れる必要がある。

46歳のグーセンと、23歳の遼。年齢は離れているが、二人にはある時期、絡みがあった。

遼がマスターズに出場したのは、2009年から5年連続。この間の数回は「TBSと電通のごり押しで、裏口招待」だったことが、天下に暴露されている。私自身も2012年10月15日の時点で「遼の五度目のマスターズは、消えた」と断言している。それでも招待状が届いた。

二年前、グーセンは、一度復調を見せた。ペブルビーチで上位に入るなどし、世界ランクも急上昇。多くが「これでオーガスタへの、2年ぶりの復帰は確実」と期待した。だが希望は叶わなかった。最後のスポット争いに、勝てなかったためだ。そのライバルが(TBSと電通の後押し)を受けた遼だった。

それ以前にも「日本人に、贔屓が過ぎる」。欧州の記者たちは、水曜日の記者会見で、繰り返しマスター委員長に、噛み付いた経緯がある。

終わったばかりのリビエラ。最後の息切れで、一気にマスターズ招待を、手許に引き寄せることは出来なかった。とは言えケガを克服した46歳の、経験豊かなゴルフは、大きく光った。

(Feb.23.2015)

一年半前に始動。ライダーカップ、熱気の何故?

 北アイルランド人同士。マキロイとは、彼がプロになった頃から、練習ラウンドでの、ベットを楽しむ仲。尤も最近は、クラークが負けることが多い(Coutesy of EuropianPGA)

北アイルランド人同士。マキロイとは、彼がプロになった頃から、練習ラウンドでの、ベットを楽しむ仲。尤も最近は、クラークが負けることが多い(Coutesy of EuropianPGA)

万余の消費者が、スポーツに、大きなカネを遣う。その目的は、熱狂に加わり、興奮を分かち合うこと。ゴルフで、それを最も楽しめるイベント。それが男女の、プロ欧米対抗戦。特に男子のライダーカップ。国旗を背にした名誉の戦い。勿論賞金は無し。このスケールの大きさ。それは日本に居ては、到底信じられないものだ。マキロイの欧州チームが、強さを見せ付けた昨秋も、テレビ桟敷は、釘付けになった。

隔年開催だから、次回は2016年〔会場は米ミネソタ州ヘイゼルチン・ナショナル)。来年秋とは、一年半先のこと。それにも拘わらず、その準備は、今週にも始まる。

ライダーカップの別名は、キャプテンのゲーム。両チーム出場は各々十二名。双方とも世界的な、トッププロが揃う。

 ニクラス、トレビノ、ミラーたちの全盛期。全英、全米両オープンのタイトルを連取。その後ライダーカップのキャプテンとしても、歴史を創ったしたジャクリン。この写真は宝物だ

ニクラス、トレビノ、ミラーたちの全盛期。全英、全米両オープンのタイトルを連取。その後ライダーカップのキャプテンとしても、歴史を創ったしたジャクリン。この写真は宝物だ

ゴルフの競技は、昨今ストロークプレーの個人戦。そんな中、ライダーカップ(ソルハイムカップも同様)はチーム戦。ことに金土曜日の16マッチは、フォアサム、フォアボール。2人の個性あるプロを、組み合わせるわけだから、ここで力を発揮するのが、キャプテンの観察力と采配。それ故〔キャプテンのゲーム)と、尊称されることになる。

いまフェイスブックのトモダチのトニー・ジャクリン。彼は69年の全英オープン。そして翌70年の全米オープンを獲った。英国人として、後世に名を残している。それを更に不動のものにした実績。それがライダーカップの、キャプテンだった。

1980年代、彼は四大会連続して、欧州のキャプテンを務めた。相手はニクラス、トレビノ、フロイドたち蒼々たる顔触れ。その間の戦いを、2勝1分け1敗としたジャクリン。これで彼の評価は、不動のものになった。ライダーカップとは、それ程キャプテンの度量と読みが、問われるゲームなのだ。

そのキャプテンを、欧州は今週中にも選考。発表する準備をしている。理由は言わずもがな。これから先、一年半の歳月を要し、前景気を煽ること。その時キャプテンは、より大きな看板になる。

 昨年はマスターズに出場。その翌週チャンピオンズ・ツアーにデビューし、優勝したヒメネス。ポニーテールも、売りの一つだ(coutesy of PING)

昨年はマスターズに出場。その翌週チャンピオンズ・ツアーにデビューし、優勝したヒメネス。ポニーテールも、売りの一つだ(coutesy of PING)

今回の候補者は2人。昨年50歳に到達。チャンピオンズツアーで、荒稼ぎしている、スペインのアンヘル・ヒメネス。もう一人は2011年の全英オープン覇者、46歳ダレン・クラーク。共通点は2人とも葉巻好き。選手としての、ライダーカップ出場も、ともに多く、甲乙付けがたい。

一つ差異があるとしたら、欧州チームのエース、マキロイとの距離。これに関しては、クラークが、圧倒的に近い。

どちらが選ばれるにしろ、キャプテンになれば、欧州チームの顔として、この先一年半、各種の催しで、引っ張りだこになる。そこでのキャプテンの一言半句が、2016年ライダーカップの、成功のカギを握ることになる。男冥利に尽きる役割だ。

私はことある事に強調している。観客の減少が続く日本のゴルフ。だからこそ、一年半前から動き出す、ライダーカップの、巧みなビジネスを、参考にすべきだと。

私もここ暫く、ライダーカップの取材をサボって来た。ヘイゼルチン・ナショナルの同じ街には、インターラッケンがある。1930年、ジョーンズのグランドスラム。その時の全米オープン開催コース。ここはヘッドプロ、ジョーク・オルソンからメンバーまで旧知が多く、何時でも歓迎してくれる。

折角ミネソタまで出掛けるのだから、周辺の一級コースをラウンドする。その上でライダーカップだけでなく、、秋の米北部のゴルフも楽しむ。その日程を組む。一年半を要し、私もそれを、準備することにする。

(Feb.16.2015)

続いてミケルソンも。米二強時代の終幕

 先週金曜夕刻。サンデイゴでの36ホール終了後、自家用機でフロリダへ向かったミケルソン。かつてトレビノも話していたが「歳を取るとパッティングの距離感が合わなくなる」。気がついたら、ミケルソンも44歳。ことは深刻かも知れない(Global Golf Postから)

先週金曜夕刻。サンデイゴでの36ホール終了後、自家用機でフロリダへ向かったミケルソン。かつてトレビノも話していたが「歳を取るとパッティングの距離感が合わなくなる」。気がついたら、ミケルソンも44歳。ことは深刻かも知れない(Global Golf Postから)

音を立てて崩壊。決して誇大な表現ではない。

タイガーとミケルソン。彼らの米ツアーでの優勝回数は、79勝と42勝。現役では抜きん出ている。それだけに2人とも荒稼ぎした、得意とするコースがある。

タイガーの場合。一トーナメントでの最多優勝は、パーマー招待の八回。ここでの優勝賞金だけで、自家用ジェット機を、購入出来そうな稼ぎ。ニクラスがホストを務める、6月のメモリアル〔舞台はミュアフィールドビレッジ〕でも強く、合計5勝している。

西海岸に移っての、トーリーパインズ。ここでも一会場だけで7勝。同じコースで開催された、2008年の全米オープンの優勝を加えると、ここでも8回の優勝を残している。

それより何より特筆されること。それは、世界最強の米ツアーの舞台。それが加州サンデイゴの市営コースであること。ミケルソンは生まれた地元。一方のタイガーも、ロングビーチに近い、サイプレス育ち。共にジュニア時代から、この公営コースで、繰り返しラウンドして来た。

開場は1957年。土地は殆ど廃物を、利用したモノだった。米の西海岸。特に加州には軍の基地が多い。太平洋戦争のための、備えだったのだ。トーリーパインズ周辺は不毛の地。そこを補給基地として使用した。そして1945年終戦。平時に於ける跡地の転用。そんな時、米国はゴルフ場を造る。それも市民が5ドル、10ドルで遊べる廉価なモノを。郵便配達夫から、大統領までが楽しむのが米のゴルフ。打って付けの再開発なのだ。

 68年から88年迄、トーナメントホストとして活躍した、アンデイ・ウイリアムズ。彼の美声と誰にでも優しい態度が、今日を築いた

68年から88年迄、トーナメントホストとして活躍した、アンデイ・ウイリアムズ。彼の美声と誰にでも優しい態度が、今日を築いた

コースは南と北36ホール。サンディエゴ・オープンそのものは1952年に産声。途中からここトーリーパインズに移る。そして1968年から88年迄、歌手アンデイ・ウイリアムズがホストに就任。これでメキシコ国境でのトーナメントは、一躍注目された。

ここではまた、ワールドジュニアも開催されている。一部日本のマスコミは、これをジュニア世界選手権と表記しているが、これは間違い。単なるジュニアの、一競技に過ぎない。

冠スポンサーは、何度も代わる。ビューイック招待の名称もその一つ。そんな流れの中、タイガーの7勝に匹敵する、脚光を浴びたのがミケルソン。彼はタイガーより5歳上。そんなこともあり、彼のトーリーパインズでの3勝は、1993、2000,2001年に遡る。

余談が長くなったが、タイガーがツアープロとして〔終わりの始め〕を強烈に印象付けたこの2週間。。タイガーほど目立たなかったが、ミケルソンも36ホールで、連続落ちした。最大の原因は2日間(サンディエゴ)で3パットが5度あったこと。これでは勝負にならない。

今週、来週はペブルビーチ(AT&T)とリビエラ(ノーザントラスト)、優勝回数も多く双方とも、レフティには得意のコース。それでも6日。そのまま自家用機でフロリダへ向かっている。ここ数年パッティングの相談相手。デーブ・ストックトンと、解決策を見いだすことが目的。

それも一週間でなく、二週間を要すると言う。いまミケルソンが、直面する深刻さを、ハッキリ物語っている。

タイガーとミケルソン2人が、このまま終わるのか。過ぎ去った四半世紀、世界のツアーを、支えてきた二枚看板が、時を同じくして、急降下を描いている。偶然の一致とは言え、歴史の流れとは、意外なところで符合するものだ。

(Feb.9th.2015)

自己最悪82。タイガーでも、こんなに下手になる

 中学生の時のタイガー(左右は両親)。この頃から、70を切るのが、当たり前だったが、先週遂に自己最悪の82を打った(ロサンゼルス市ジュニア選手権で)

中学生の時のタイガー(左右は両親)。この頃から、70を切るのが、当たり前だったが、先週遂に自己最悪の82を打った(ロサンゼルス市ジュニア選手権で)

ルディ・デュランは、タイガーを4歳から10歳まで指導。その後の大成功に、結び付けた陰の功労者。

彼の話によると「タイガーが80を、初めて切ったのは8歳。その後の人生で、80に怯えることはなかった。それでも過去一度だけ、80を打ったことがある。

アーニー・エルスが、全英初優勝を飾った2002年。コースはエジンバラにほど近い、ミュアフィールド。その3日目、暴風が終日コースを吹き荒れた。まだ二十代。メジャータイトルを、積み重ねていた頃のタイガー。それでも80を打たされた。だが一ヶ月後の全米プロ。勝ちはリッチ・ビームに譲ったが、タイガーは2位。全英での80の屈辱を、払拭した。

先週のフェニックス・オープンは、タイガーにとって、米ツアー1109回目のラウンドだった。

その前に私は「今週のタイガーは、36ホールのカットを通過すれば、御の字」との記事を、他の出版物に載せている。読み通り、木曜日は2オーバー73。36ホールのカットラインを1アンダーとすると、金曜日3アンダーが必要。かつてのタイガーなら兎も角、昨年からのゴルフでは、容易なことではない。

それより前、米の記者仲間との雑談。そこで出た結論。それがMaking cut would be big for Tiger。その邦訳が「36ホールのカットを、クリアすれば、御の字」だった。余談だが、英でも米でも、予選落ちと言う表現は遣わない。何れにしろタイガーには、何とも失礼な予測。だがその読みが、ズバリ的中することになる。

 5歳の時の、タイガーのスコアカード。18ホールが全部パー3のホームコース、ハートウエルGPでのもの。この頃でも、結構多くのバーディを記録している(ルデイ・デュランのlibraryから)

5歳の時の、タイガーのスコアカード。18ホールが全部パー3のホームコース、ハートウエルGPでのもの。この頃でも、結構多くのバーディを記録している(ルデイ・デュランのlibraryから)

読者の大多数は、テレビ観戦しているはず。従ってラウンドの説明は割愛する。それにしても、8歳で80を切って以来、最悪のスコア82を打ったタイガー。それも池に打ち、グリーンエッジからの寄せを、ざっくり〔私たち素人とは異なるレベルだが)で、グリーンにも届かぬ無様。

トリプル一つ。ダブルが二個。小雨は降っていた。だが2002年のミュアフィールドの様に、暴風はなかった。今回の出場者は132人。マイケル・ホッパーは、地元のクラブプロ。日常はゴルフ場を運営するプロ。そんな彼と並び最下位タイで、今季の初戦を終えた。

メジャータイトル14は、ジャック・ニクラスに次ぐ史上2位。米ツアーの通算勝利数は79勝。サム・スニードの持つ、82勝更新まであと僅か。それより前、97年マスターズで初優勝した時。パーマーが次のような賛辞を送っている。

「この若者は、私とジャックが積み重ねた合計より多く、マスターズで優勝するだろう」。

マスターズの最多勝は、。ニクラスの6勝。2位がパーマーの4勝。彼の読み通りなら、二桁に届くはずだった。然し依然として4勝止まり。名馬に必要な無事。タイガーには、それが欠けていた。十代から繰り返し左膝を痛める。それが何時しか、腰から背中にまで拡散。

そのため一年前の3月末、遂に腰にメスを入れる。マスターズと全米オープンを欠場。「全治90日」のはずだったが、90日が過ぎても、痛みは残った。

昨年末のワールドチャレンジ。26アンダーのスピースが、2位ステンソンに10打差を付けた試合。コースは、言わば花相撲の設定。それにも拘わらず、タイガーのスコアは、スピースと26打差のイーブン。総勢18人の招待競技で、ホストは最下位だった。

その時から、私たちは、タイガーが完全に、峠を越したことを認識していた。フェニックスでの最下位での落ち迄は、よもや考えなかったが。

それにしても、39歳で過去の人になる。残念ながら、否定しようのない、現実なのだ。

(Feb.2nd.2015)