タイガーを育てた男、Rudy Duran、待望の日本登場

タイガーを育てた実績が評価され、西暦二千年ルディは米ツアーから、カードウオーカー賞を贈られた

タイガーを育てた実績が評価され、西暦二千年ルディは米ツアーから、カードウオーカー賞を贈られた

タイガー・ウッズ。この秋短期間で二度腰に、メスを入れて迎えた40歳の誕生日(12月30日)。時を同じくして、そのタイガーを育てた有名コーチ、ルデイ・デュランが、初来日した。タイガーと言えば、とかくブッチ。ただしそれは高校生になった後のこと。タイガーの父アールに懇願され、4歳から10歳迄指導。ボビー・ジョーンズ、ジャック・ニクラスに並ぶ、過去百年の三強の一人。その基礎を創ったのが、他ならぬルディ。

目的は日本テレビでの、番組制作。急に話がまとまっての来日。年の瀬一週間滞在した。番組のタイトルは、まだ聞いていない。だが単純なレッスンではなく、スタッフにコメディアン、日本人プロ和足哲也(読みはわたり・てつや)たちを加えた、バリュエーションある番組。

ことにわたりは、188センチの長身。ルディの携帯に写っている写真を見る限り、悪くないルックス。年齢は32だが、ルディはこのわたりに、伸び代の大きさを実感。「私の理論を身に付ければ、短期間での成長が可能」と期待して居る。

日本人プロが、国際レベルで低迷している理由の一つ。それは最先端の理論を持つ、コーチがいないこと。言葉が通じないことで、その部分の情報が、海外から入らないため。その点ルディは、先頭を走る米の一級コーチ。プロだけでなく子供たちを育てる、ザ・ファーストティの指導者でもある。それより何よりツアー79勝タイガー。彼の基礎を創った名伯楽なのだ。

年末東京でテレビ番組制作。その合間に歌舞伎も楽しんだルディ

年末東京でテレビ番組制作。その合間に歌舞伎も楽しんだルディ

日本テレビの番組だけに留まらず、JGAや日本プロゴルフ協会が、三顧の礼を持って迎えても不思議でない指導者。何しろ5年後2020年には東京五輪。其処で日本は、メダルが欲しいのだから。

理論家ルディ。彼がタイガー育成で、成功した拘りは多数。その中でも特に「バーデイが狙える醍醐味」を、幼児の時から指導したこと。これ、他のスポーツに置き換えると、野球少年に、ホームランの面白さ。それを教えるのと同じこと。

ルディがタイガーと過ごしたのは、パー3の18ホール(パー54)。ロングビーチの街中。距離は136から85ヤード迄。中学生以上には各々パー3。だがルディの門下生に、なった時のタイガーは未だ4歳。目一杯ドライバーを叩いても百ヤード少々。これでは多くがパー4になる。その為ルディは18ホール中13ホールを、パー4にし、これを(Tigers’ Par)とした。

効果は覿面。タイガーは第二打で旗の根元を、そしてバーディパットを狙う。ゴルフのプレーで、最大の快感に、僅か4歳で目覚めさせることに成功した。その後全米アマ3連覇。米ツアー79勝。その都度派手なガッツポーズを演じたタイガー。その原点を辿ると、パー3コースでの、タイガーのパーに到達する。ルディの最高傑作だった。

他のスポーツ。サッカーは仏人トルシェで、2002年日韓開催好成績を残した。現在もナショナル・チーム監督は外国人。従ってゴルフでも、外国人コーチが、定期的に駐在し指導する。決して無理な発想ではない。ましてやルディはトッププロから、子供たちのザ・ファーストティまで。幅広く育成できる。それより何より、タイガーの師匠だ。

新しい2016年は、彼を見逃す手はない。

(Happy New Year.2016)

婦唱夫随、我が最良の友、75歳でゴルフ断つ

米では父息子とともに、夫婦のチームクラブ選手権も盛ん。この2人は、そのクラブ選手権で5度優勝している

米では父息子とともに、夫婦のチームクラブ選手権も盛ん。この2人は、そのクラブ選手権で5度優勝している

「べらぼうメ、ゴルフなんざなくても、人生は如何様にも、漫喫出来らぁ」、こんな啖呵が、米から聞こえて来そうだ。

海外取材を始めて36年以上。多くの知己を得てきた。その中でも、公私共々最も深く、そして長い付き合いをしている友がボブ・キャンティン。共に仕事がゴルフ。遊びもゴルフ。お互い「ノー」と言う部分がなかった。

大統領には届かなかったが、私、副大統領とはゴルフもしている。それをセットしてくれたのも、ボブだった。私は日本人物書き。その私に原稿のネタを、次々用意してくれる。従ってボブと私がゴルフを遣る。その相手は殆どが初顔。

或る時のこと。前夜夕食中、片目を瞑り「明日のゴルフは、フィルムをタップリ(デジタルになる直前の頃)持参しろよ」と、意味深長な話。その相手が元副大統領ダン・クエールだった。職業柄ビッグネームには慣れている。そんな私でも出足の数ホール、流石に浮き足立ち。ボブに見抜かれ苦笑している。

一時期、圧倒的な人気を誇ったPING ZING。このクラブで最初のホールインワンを記録したプロが、チップ・ベック。アマチュアでの最初の記録達成者はボブだった

一時期、圧倒的な人気を誇ったPING ZING。このクラブで最初のホールインワンを記録したプロが、チップ・ベック。アマチュアでの最初の記録達成者はボブだった

クエールは大学で、ゴルフ部キャプテンだった。4人の中で最少ハンディ。その関係でベットは、副大統領と私がチーム。ボブ、フィルの強敵と対戦。結果的には我々が、それぞれ7ドルの負け。日本の議員は、万札三桁の賭けをするそうだが、それはギャンブル。勿論米でもベガスとかでは、18ホールで50万ドル、そんな話を聞いたこともある。

ただし副大統領経験者でも、ベットの額はその程度。ラウンド後のラウンジ。一杯の飲み物で喉を潤しながらベットの精算。ゲーム、そしてビジネスの情報交換も。クエールはオンザロックのバーボン。私はウオッカトニック。その場の支払いは、勝利した2人が嬉しそうに払う。これがゴルフを、より楽しく洒落たモノにする。全員それぞれ自分の車を運転。自宅まで30分前後。米の場合この状況での、一杯には誰も目くじらを立てない。

マスターズ会場での、PINGの創業者カーステン・ソルハイムとボブ。欧米の女子対抗、ソルハイムカップ設立をはじめ、このコンビは世界のゴルフ界の、流れを変えた

マスターズ会場での、PINGの創業者カーステン・ソルハイムとボブ。欧米の女子対抗、ソルハイムカップ設立をはじめ、このコンビは世界のゴルフ界の、流れを変えた

ボブは「日本家屋で憶えた」とからかわれるほど、フラットなスイング。それでも距離も出て強い。生涯741回のトーナメントに出場。優勝は太平洋岸大学選手権。兵役中の海軍選抜チーム選手権。ムーンバレーCCでは、2度のクラブ選手権。さらには夫婦チーム選手権で、5度優勝している。

女房は50年連れ添っているマーシャ。金婚を祝いこの夏は、人気のカリビアンクルージングを満喫した。その愛妻が、腰痛でゴルフが出来ない状態になった。夫唱婦随ならぬ、婦唱夫随。届いたクリスマスカードに、次のように書かれていた。
「一人だけ残し、ゴルフはしたくない。私もゴルフに封をした」。何と言う潔さ。歳はニクラスと同じ75歳。まだまだ十年以上は楽しめる。それを愛妻のためにギブアップした。「ボブ、オレには出来ない決断」。

ミズーリに住む兄の家の牧場の池で、釣り糸を垂れるマーシャ。元気がない

ミズーリに住む兄の家の牧場の池で、釣り糸を垂れるマーシャ。元気がない

ボブがゴルフを止めたことの残念さ。それは握りの負けを、取り返せないこと。日米ではボビー・ジョーンズvs宮本留吉の、5ドル紙幣のペットが有名。それを真似、遠く1981年我々も、千円ベットを開始した。当時は3、4ドル。一時の円高で、10ドルを超えたこともある。ハンディは充分貰うが、それでもボブの財布に、千円札は7、8枚残っているはず。

マーシャがいま、ゴルフ代わりに楽しんでいるのは釣り。彼女の腰痛が回復すれば、負け奪回のチャンスが生まれる。その意味でも、彼女の腰痛治癒を、願うだけだ。
(Dec.28.2015)

TitleistプロV1ボール、デビュー15年で2374勝

アンドレイドは、プロ仲間のファクソンとともに、長いこと子供たちのための、チャリティを続けている。その総額は既に1500万ドル(約20億円)に達している(米ツアー提供)

アンドレイドは、プロ仲間のファクソンとともに、長いこと子供たちのための、チャリティを続けている。その総額は既に1500万ドル(約20億円)に達している(米ツアー提供)

2374勝を15で割ると、一シーズンの優勝回数は158勝。

日本の男子二十数試合。米欧とも約五十。と言うことは、世界主要ツアーの勝者。その殆どが、プロV1ボールの使用者と言うことになる。

革命的なボールとなった、タイトリストのプロV1。実を言うとこのボール、世界で最初に取材した物書きが私だった。これは大法螺でも何でもない。

二十世紀最後のライダーカップ。行われたのは1999年9月末。場所はボストン。終わった翌日、私はタイトリストの本社へ車を走らせている。ゴルフ界を代表する有名経営者、ウオリー・ユーライン社長の、アポが取れたためだ。

のっけから余談を二つ。この取材をセットしてくれたのは、タイトリスト・ジャパンの渡辺一美会長。さらにライダーカップ会場では、鈴木大地と会う。今を時めくスポーツ長官。ハーバードにコーチ留学中。彼をゴルフ界の重鎮多数に紹介。PINGの役員からは、Olympic Gold Medalist.Daichi Suzukiの名入りパターを贈っている。

ユーライン社長のインタビューは、75分に及んだ。終了間際「新しい工場が、稼働したばかり。是非取材したら」と勧められた。ただしツーピースボールだと言う。糸巻きの全盛時。ツーピースは中級者以下の、安いボール。それが世間一般の通り相場だった頃。

「新製品の名前も、決まっていない」との説明。処がこれが翌二千年から、ゴルフ界を席巻することになる。そんな大物とは知らずに、取材しカメラのシャッターを押していたことが、今こそばゆい。そして早速プロV1での初優勝者が、名乗りを上げる。それがビリー・アンドレイド。プロV1初年の秋。トーナメントはラスベガス。これがプロV1の初優勝だった。

それから15年で、何と単一ブランドのボールが、2374回も優勝した。これは途方もない数字。さらに続く。デビュー以来15年。この間世界主要ツアーでの使用プロは、30万4000人以上。タイトリスト本社の話だと「3人に2人がプロV1、またはプロV1xでプレー。その数は2位企業のボールの、5倍以上に達する」と言う。

まさに断然トップの状態。プロが選ぶ用具は、一般ゴルファーの市場でも、大きな影響を及ぼす。米のゴルフデータテックに拠ると「目下一般市場でも、175週連続一位」を保っている。

これらデータが公表されるのは、基本的にプロのモノだけ。私は1980年以来、可能な限りNCAA(全米学生選手権)を取材している。其処では全競技者の、恐らく90%は、プロV1でプレーしている。

全米オープンを、私が初めて取材したのも1980年。競技者の使用用具カウントが始まったのはこの頃。それ以来全米オープンに於ける、使用球の一位はズッとタイトリストのボール。

また当時、全米オープン会場の練習場のボールは、タイトリストの普通のボール。練習用でなく、プロたちが競技で使用するモノ。それぞれ一度しか打たない。従ってほぼ真っ新に近い状態。其れを綺麗に洗浄し、1ダース単位で、ビニール袋に入れ販売。飛ぶように売れていた。

話は今季を締め括る、チャンピオンズ・ツアーの最終戦。優勝したのは、アンドレイドだった。第一号勝者が、節目の15年目の最終戦も飾った。何やら因縁めいたモノを、感じさせる終幕だった。

(Dec.21.2015)

人生二度目の金脈、日本育ちJobe首位合格

人生二度目の金脈を、一番で掘り当てた、日本ツアー育ちの米人プロ、ブラント・ジョーブ。ボギーを叩かないウイリー・ウッドとともに、活躍が期待される(courtesy of PGA TOUR.com)

人生二度目の金脈を、一番で掘り当てた、日本ツアー育ちの米人プロ、ブラント・ジョーブ。ボギーを叩かないウイリー・ウッドとともに、活躍が期待される(courtesy of PGA TOUR.com)

他人のことでも、成功物語は素晴らしい。日本ツアー育ちの米人が2人。さらに個人的な旧知が、狭き門を突破。年明け早々、チャンピオンズ・ツアーに、Full Exemptionで登場する。

同ツアーは、人生二度目の金鉱。かつては「一丁上がり」だった50歳と言う年齢で、もう一度大きな稼ぎと、名誉を得る機会がぶら下がっている。

ツアープロには、二つのタイプがある。若い時強く、さらに50歳後も多数の優勝を残す。リー・トレビノやへール・アーウインのケース。一方レギュラーツアーでは、芽が出なかった男が、新しい金脈を見事掘り当てる。これも一つの醍醐味、と言える。

チャンピオンズツアーのQTは、毎年クリスマス前。何故なら新しいシーズン。それが暦が変わると同時に、始まるからだ。今年は日本から、尾﨑直道たちもトライした。そんな中、第一位合格メダリストの栄誉に浴したのがブラント・ジョーブ。

80年代、トッド・ハミルトンとともに、約10年日本ツアーに滞在。その間に日本プロ選手権など、二桁に届く優勝を成し遂げた成功者。帰米後優勝はなかったが、メモリアルの2位などで、実力を示した。そして50歳に到達して今回のQT。周囲はツアー優勝経験者ばかりか、メジャーの勝者も居た。
そんな強豪との競り合い。最終日の最終4 ホールで2つのバーディ。2016年シーズン、全戦出場できる資格。それに副賞の3万ドルも掌中に収めた。

WillieWood-847-ChrisCondonPGATOUR ジョーブに1打遅れた2位タイの、ウイリー・ウッド。彼も首位同様、全戦に出場できる。大きな金の扉を開けたことになる。私事だがこのウイリーと、彼がオクラホマ州立大の学生だった80年。一緒にゴルフをしている。その時のフォアサムは、他にボブ・トウエイとジェフ・マクミラン。

それから2年後。ウイリーは全米オープンに駒を進める。ワトソンが優勝した、あのペブルビーチで。海外取材駆け出しの私は、驚かされる。キャデイを雇わず、ウイリーはセルフで競技をしたのだ。

「学生の競技は、普段からセルフ。この方がプレーし易いので」と、こともなげに話してくれた。このウイリー、小柄だし必ずしもビッグヒッターではない。その反面ボギーを、最小限に抑える、高いディフェンス力を持つ。ちなみにQTの4日間、ボギーは僅か4箇。レギュラーに比べ、チャンピオンズ・ツアーは距離が短い。それだけにウイリーへの期待は大きくなる。

ゴジラ松井の、向こうを張ったTODDZILLAの、タイトリストボール。私の小さな宝物

ゴジラ松井の、向こうを張ったTODDZILLAの、タイトリストボール。私の小さな宝物

ジョーブと同時期、日本ツアーで活躍したハミルトン。彼はQTは不要。何故なら全英オープンを含め、帰米後複数の優勝を残して居るからだ。従ってこの先も、每季QTを心配せず、好きなだけ、トーナメントに活動ができる。

ハミルトンが、日本で活躍したのは、ゴジラ松井がヤンキースへ移籍した頃。「僕だってその逆。日本で好成績を残して居る米国人」との自負。そのため彼はボールに(TODDZILLA)と刻印した。彼の名前ToddとGodzllaの合成語。ゴジラ松井の向こうを張って。微笑ましかった。

かつてのヤンチャ坊主が、シニアで年明け戻ってくる。

(Dec.14.2015)

ゴルフ以上に、ビジネスの能力。USGA新女性会長

courtesy of The United State Golf Association

courtesy of The United State Golf Association

G8など主要国際会議の主役は男性。そんな中、欧州に於ける女性の活躍は目立つ。代表格はドイツのメルケル首相。続いて最近デンマーク。さらにスロバキアのトップにも、女性が就任した。ゴルフ界では今夏、ローラ・デイビイズやアニカが女性会員として、R&Aに迎えられている。260年余の歴史で初めてのことだった。

勿論それは米でも起こっている。かつて白人男性300人のクラブだった、オーガスタ・ナショナルGC。其処へも女性が2人同時に迎えられた。その一人はライス元国務長官。アフリカ系の彼女は、オーガスタの歴史的タブーを、一度に二つ破ったことになる。そして2016年のUSGA(米国ゴルフ協会)新会長に、このほど女性が選出されたこと。59歳の実業家ダイアナ・マーフィー氏。日本でも女性を登用する動きは出ているが、どうやら速度が違うようだ。

赤いスーツが似合う金髪。本業は米大西洋岸南部に本拠を置く、ロックソリッド・ホールデング社の専務。USGAに迎えられたのは1988年。それ以来USGAと協賛企業の窓口。5年前にエグゼクティブ委員会に名を連ね、それから決して長くない経験。だが実績が認められ、12月1日の委員会で、第64代米国ゴルフ協会の会長に、選出されたもの。正式には2月に行われるUSGA年次総会で承認され、晴れてスタートするのだが、それにしてもこの会長選び。日本とは大きな差があり、羨ましいほどだ。

この夏7月、新体制がスタートした、JGA(日本ゴルフ協会)の簡単な説明。最大の違い。それは顔触れが殆ど変化しないこと。新会長は、竹田恆正副会長が昇格。これ迄長いこと、無給のままだったと言われる、永田専務理事が副会長に。ここ迄は無風。意外な人事は安西孝之前会長が、名誉会長として残ったこと。これでは旧体制と、全く同じ顔触れ。

それに比べUSGAは、エグゼクティブ委員会歴5年の女性が、トーマス・オトール氏に代わって選出された。然も会長の期限は一年。短いのでは、との印象がなくはない。だがマーフィー新会長としては、USGAに加わったのが1988年。それからズッと仕事を続けてきたテーマは不変。それらはゴルフの底辺拡大へのコミュニケーション。それらを支えるための潤沢な資金作りなど。だから一年の期限でも、充分な結果を残すことが可能になる。その才能を認められての64代会長への選出。この辺りも日本が参考にすべき、大きなポイントになる。

何故ならJGAの場合、ゴルフの斜陽化に、歯止めが掛からない。一つの具体例が3オープンに対する、世間の関心の低さ。勿論予算的にも、依然として各ゴルフ場が収める,年会費頼りの体質を、避けられないでいる。

話しはマーフィー氏に戻る。学歴はウェスト・バージニア大と、シカゴのノースウエスタン大。実を言うと、史上2人目の女性会長のニュースは、Global Golf Postの特ダネだった。GGPの編集長もノースウエスタン大卒。そのコネクションで得た、ゴルフ業界としてのスクープだった。

それにしても、USGAが率先している普及策の一つ。それはドライブ、チップ、パット。子供達の最終競技が、マスターズの週はじめ,オーガスタで実施される。これも女性会長の得意分野、コミュニケーションの結果なのだ。若い59歳女性会長への期待は大きい。

(Dec.07.2015)

シーズン終了、帰宅後最初の家庭サービス

IanPoulter賞金王決定戦、Race to Dubaiが終了した欧州ツアー。待っていたのは、クリスマスを控え、浮き浮きの子供達。

ライダーカップの常連、イアン・ポルター。彼の家族が住むのは、英国ミルトンケインズ。まだ幼い2人。リリーとジョシュアは、パパに飛び付く。

米ツアーは、正月明けのハワイ迄、約一ヶ月の休戦。一方の欧州ツアーは、月が変わればアフリカ、中東湾岸地区で、新しいシーズンが開幕する。それでも多くが、クリスマス休暇を優先させる。年齢的にツアープロは、子育て世代。それだけに尚更だ。手には一杯お土産を持って。

CUnVPEfUkAItzf3ポルター家のサンタが、持参したギフトの一つは、新しいピザのオーブン。長旅の疲れもものかは、パパは早速料理の腕を振るう。勿論2人の幼子と一緒に。嬉しさと真剣さが、同居したポルターの表情。彼はそれを、仲間内に早速ツイッターする。私の処へも届いたことで、早速読者の皆さんに、嬉しい話のお裾分け。

種目は違うが、ポルターは同じ英国人として、サッカーのベッカムに匹敵する、豊富な話題性の持ち主。全英オープンで、英国国旗ユニオンジャックをあしらった、派手なズボンを着用。それが、また似合う。

メジャーには手が届いていないが、WGCではマッチプレー選手権と上海で2勝。日本のダンロップフェニックスでも優勝している。ライダーカップは5度代表に選ばれ、そのうち4度は欧州チームを、優勝に導いている。強いカリズマ性。四十代後半になる十年後、キャプテンの有力な候補だ。

この2枚の写真が示すポルター。繰り返すが真剣そのもの。ツィッターに関しても、ポルターは、早くから手掛けてきた。日本人も記憶があるはず。WGCのドラール。このとき同組だった松山が、グリーン面をパターで叩き、顰蹙を買ったことがある。その時ラウンド後、いち早くツイッターしたのが、ポルターだった。

IMG_0152掲載した3枚目の写真。こんがり焼けた七面鳥を前に、表情を緩める。彼がジム・ヌジェント。私の記者仲間は、Global Golf Postの創業者編集長。

欧州はクリスマス中心。むかし招かれて年末年始を過ごした、英国やアイルランドの知人の家。そこではイブに全員で七面鳥を食べた。

一方の米は11月最終木曜日が感謝祭。余談だがこの週末。カレッジのフットボールは、シーズン一の好カードが組まれる。Pac12ならUCLA対南加大。中西部ではオハイオ州立大vs.ミシガンなど。それが理由でこの日午後、ゴルフ場はガラガラになる。

それが終わると、街にはジングルベルが流れる。何れにしろ子供達には、一年で最も楽しい時。そのタイミングで、旅の多いパパが、どっさりの土産と共に帰宅する。その姿は、まさに大きな袋を担いだ、サンタクロースそのもの。

そして米欧ツアーとも、瞬く間に、2015~16年シーズンが本格化する。

何処でトーナメントがあろうと、日曜夜には帰宅できる日本。欧米ツアーは、一度旅に出ると、ホテル暮らしが数週は続く。一つの大きな違いだし、タフなビジネスだ。

(Nov.30.2015)

新たな名誉G・ノーマンメダル。初の受賞者は誰か

12月1日に授与されるメダルを、誇らしげに披露するWhite Sharkノーマン。全英オープン2勝。プレジデンツ杯キャプテン2度。彼の実績は世界のゴルフ発展に、多大な貢献をした(courtesy of 豪州PGA)

12月1日に授与されるメダルを、誇らしげに披露するWhite Sharkノーマン。全英オープン2勝。プレジデンツ杯キャプテン2度。彼の実績は世界のゴルフ発展に、多大な貢献をした(courtesy of 豪州PGA)

グレッグ・ノーマンメダル。聞き慣れない名前。12月1日、豪州で初の受賞者発表と、授与式が行われる。

20世紀初頭からの、過ぎ去った百年で、最強ゴルファーはニクラス。彼以上の才能を秘めたプロを探すと、それは疑うことなく豪州人ノーマンだった。ただし攻めが淡泊と言うか、大詰めで相手にツキを与える。或る種エラーが多数あった。それでなければ、四大タイトルを20個は獲ったはず。私は今でも、そう信じている。

人口僅か2千3百万の豪州。日本の六分の一。それでも五輪を中心にスポーツは強国。西暦2000年のシドニー五輪。この招致にはノーマンが大きく貢献。開会式、彼はロイヤルボックスで、各国選手団に拍手を送っていた。押しも押されぬ、豪州を代表する顔。

ゴルフ界には、全英5度優勝の、ピーター・トムソンもいる。だが歴史を振り返り、今後への影響を考慮した時、ノーマンの存在が圧倒的だった。

メダルの目的は「男女を通じ、世界の舞台で活躍した豪州人プロを、毎年選考し表彰。豪州のゴルフを、さらに発展させること」。そのための晩餐会が来週水曜日。全豪プロ選手権会場の、ロイヤルパインズで開催。その場で発表と表彰が行われる。自分の名前が付いたノーマンは「これに勝る名誉はない」と紅潮している。

選考委員は少人数だが、ベーカーフィンチ、グラハム・マーシュ。女子プロのジェーン・クラフター達、豪州ゴルフ史を飾ってきた重鎮が揃う。

南半球の豪州は、これからが夏。ゴルフシーズンも本番。先週からマスターズ、オープンそしてプロ選手権。豪州の3大競技が続いている。そのノーマンメダル。数年前までなら、本命は疑うことなくスコットだった。その主役が、ジェイソン・デイに交代した。

彼は四大競技中心の夏の間、コンスタントな成績を残す。そしてシーズン最後のメジャー、全米プロ選手権で、20アンダーのビッグスコアで優勝。これが効きマキロイ、スピースを押しのけ、世界ランク一位にも躍り出た。

デイは白人の父親を、早く亡くしている。女手一つで育ててくれたのは、比国出身の母親。母子家庭では、それなりの苦労もあったはず。そんな環境で、昨年比国を巨大台風が襲った。その時イの一番に義援金活動を開始。それは継続的に行われている。

処で世界には、多くの勲章がある。日本を代表するのは、差し詰め文化勲章か。他に目を移せば、米の大統領金メダル、議会金メダルが有名。受賞理由は国の発展に、大きく寄与した功績。その中には、文化やスポーツも含まれている。ゴルフ界の歴代受賞者は、バイロン・ネルソンに続き、パーマーとニクラスがいる。英国なら女王陛下から贈られる、ナイトの称号に値するはずだ。

敢えてもう一つ付け加えると、マコーマック・メダルがある。これは男女のアマチュア世界一位が対象になる。ノーマン・メダルは、それらに匹敵する高い目的と、格調高さがある。

誰が受賞するにせよ、大変な名誉が付き、励みになる。この様なメダルが、日本で具現化する。果たして何年先になるのだろうか。

(Nov.23.2015)

初優勝早くも5人目、新鮮な効果に沸く米ツアー

輝く笑顔の初優勝者マルナティ。そればかりか彼が手にしている、ニワトリの優勝杯が、如何にも深南部的。そして胸のロゴマーク。これはMLBのマーク。日本でもプロが、カープやベイスターズのロゴ入りシャツを着れば、野球ファンもゴルフに、関心を持つこと間違いない(PGA TOUR.com提供)

輝く笑顔の初優勝者マルナティ。そればかりか彼が手にしている、ニワトリの優勝杯が、如何にも深南部的。そして胸のロゴマーク。これはMLBのマーク。日本でもプロが、カープやベイスターズのロゴ入りシャツを着れば、野球ファンもゴルフに、関心を持つこと間違いない(PGA TOUR.com提供)

大相撲で初めて番付に載る時は、四股名の文字が小さく、拡大鏡が必要。そのため虫眼鏡の別名がある。

米ツアー15~16年シーズン。これ迄終了した5試合(今週のメキシコは、最終日が月曜に延期)。全員が初優勝。その中でもピーター・マルナティは、今年正月WR 501位。それより前ベガスで優勝した、スマイリー・カウフマンは今年が始まった時、何と1548位だった。まさに虫眼鏡の世界。

優勝は未だだが、パットン・キザイアも、偶然にも1548位タイだった。190センチを超す長身。初優勝を虎視眈々狙っている。若手が次々台頭する。ファンにとっては、堪らない魅力。そんな中注目したのは、Sanderson Farmsだった。大雨で月曜9日に終了した。マルナティが持つニワトリの優勝杯でも分かる通り、大きいとは言え農園が冠企業。それも南部ミシシッピ州の。

まず気に入ったこと。ベガスで勝ったカウフマンが、上海へ行かず、賞金僅か410万ドルを選んだこと。生まれ故郷が隣州アラバマ。大きくなった自分の名前で、深南部でのトーナメントを、盛り上げようとした。23歳称賛に値する。

余談だが11月第一週、日本で行われた米女子ツアー。そこでキム・カウフマンが目立った。早速志摩に連絡。「兄弟かい?」と尋ねた。答えは「残念ながら」だった。とは言えキムは、別の過疎地域サウスダコタの出身だった。いま米では、この様な過疎地からのプロが増えている。

話しはマルナティに戻る。ミズーリ州立大を出て、09年プロ入り。そんなことでMLBロイヤルズの、熱狂的なファン。この写真でも分かるように、最終日彼が着用したウエアは、MLBロゴの入った、ロイヤルズ・ブルーのシャツ。ワールドシリーズ優勝チームの、俄ファンではない。この夏には、レギュラーシーズンのロイヤルズvs.ホワイトソックス戦で、始球式も演じている。

そんな実績を買われ、現在はMLBのブランド大使。素晴らしい活躍だ。

ここで二つ、参考になることがある。深南部ミシシッピやアラバマは、日本のゴルフに置き換えると、島根や鳥取。日本でも「各県で一つ、男子プロ競技を」との意見もある。その場合、賞金は5千万でも3千万でも充分。目的はゴルフの普及なのだから。Sanderson Farmsは、そこで既に成功例を見せてくれた。

もう一つは、他のスポーツとの関係を深めること。それによって相互扶助の付加価値が生じ、ビジネスの規模が拡大。米の場合、増収益金を後継者の育成。そして病と闘う、子供達への支援などに充てている。そもそも米ツアーの、稼ぎ頭はチャリティ基金。入場料を低く設定し、多くの観客を入れれば、大きな社会貢献が可能になることが分かる。

23歳のカウフマン。繰り返すが彼は、高額賞金のWGCを蹴って、半分以下のSanderson Farmsに出場した。この侠気、大衆に訴える力は強い。これほどの舞台裏の面白さ。それにも拘わらず、松山も遼もいないことで、日本のメディアは端から相手にしない。だが興味ある話、さらに参考になる事例は数多あった。日本のゴルフが、それを学ばない。勿体ないことだ。

(Nov.16.2015)

米でのタイガーのキャデイ論争。不肖私に軍配

かつては、こんな協力時代もあった、タイガーとスティーブ。人生ズッと、口が滑り続けるスティーブ。口は災いの門、の諺は生きていた(Global Golf Post)

かつては、こんな協力時代もあった、タイガーとスティーブ。人生ズッと、口が滑り続けるスティーブ。口は災いの門、の諺は生きていた(Global Golf Post)

「私は、時に奴隷だった」。

かつてタイガーのキャデイとして、多くの優勝に貢献した、NZ人スティーブ・ウイリアムズ。彼が近著で、こんな世迷い言を並べた。それに対し、私はGlobal Golf Post誌上で、強く反論した。

「そう思えば、その様に受け止められる事実を、多く知っている。具体的な光景も、目撃してきた。だがタイガーは集中力が高く特別の存在。彼のバッグを任されたことで、スティーブは並のプロを凌ぐ、高収入を得、カネ持ち(Rich & Famous)になった。だからスティーブは、昔のことを暴露する愚を、侵すべきではない」。

読者の多くは米人。基本的な考えが、私と異なる者も少なくない。民主主義でも、数十%は反対意見があるのだから。彼らの反論。それは「だからどうした?」的な難癖。私は長期の取材で目撃した事実を、一つ各々説明し論破した。

西暦二千年。タイガー絶頂の頃。ペブルビーチで全米オープン、初優勝を果たす。この時米の記者仲間と計算したら、スティーブはキャデイながら、年間の稼ぎが百万ドルを超えていた。この額、並みのツアープロを凌ぐ。円安の現在だと1億2千万円。

キャデイは裏方。高い技術は必要だが、それは必ずしも、タイガーたち競技者ほどのモノではない。それでも人生夢の百万ドルを、この後もズッと稼ぎ続けた。それで居ながら、解雇された際、タイガーを批判した。身勝手な男。

普通キャデイは、ティタイム1時間前にスタンバイする。それに対し、スティーブは2時間前。タイガーの用具を準備。その後は一人黙々と、新聞などを読む。雑談はしない。と言うより、顔見知りの私でさえ、声を掛け難い程の雰囲気。

金看板タイガーのキャデイだ。その程度は当たり前。私はそう受け止めていた。

これが奴隷に対する、態度だろうか(Global Golf Post)

これが奴隷に対する、態度だろうか(Global Golf Post)

スティーブとの出会いは、彼が二十歳を過ぎて程ない頃。グラハム・マーシュのキャデイで来日。次いでノーマン。その頃「シャークと私」などの記事も書いている。90年代になり私が、ゲイリー・プレーヤーのキャデイをする。この時、後半2ラウンドの同組はフロイド。キャデイはスティーブ。パートの私など、逆立ちしても敵わない、キャデイとしての、経験を見せていた。

それでも昔から、口が災いをもたらしていた。1989年ノーマンは、クラウンズで優勝する。跳ね発ちで成田に向かう新幹線。その車中でノーマンに、解雇されている。同行した代理人の話に因ると、スティーブがノーマンに食って掛かった。誰のお陰でグリーン車に乗れ、キャデイとして高額の優勝ボーナスを得られたのか。双方を長く知るだけに、私はスティーブに軍配を、上げることは出来なかった。

ニュージーランドでのトークショー。ここでのミケルソン批判もあった。そして遂に今回の奴隷発言。ツアーの有名キャデイ、ミケルソンのボーンズ。プロ転向後暫く、タイガーのバッグを任されたフラッフ。それよりタイガーの現在のキャデイ、ラカバ。彼は声を掛けられた時、稼げるダスティン・ジョンソンの仕事をしていた。それでも「天下のタイガー。機会は滅多にない」と判断。ダスティンも同意し、送り出している。スティーブの様な、もめ事は一人として起こしていない。タイガーが特別の存在であることへの理解。それがあるからだ。

スティーブへの私の友好関係は、今後も不変。とは言え「大馬鹿を演じた」。それが私の率直な判断。この先ツアープロ達の、スティーブへの警戒が厳しくなる。それは否定できない。

(Nov.09.2015)

誰か判りますか? 凄い、80歳の大胆ヌード

6a00d8341caaef53ef0192abef7422970d-800wi圧倒されるでしょう。この人、誰か、勿論判りますよね。そう、かつて南アの黒豹、ゲイリー・プレーヤー。1935年11月1日生まれ。80歳の誕生日を、いま祝っている(いま彼が主に住む米国は、未だ1日)。ちなみにビッグ3の他の2人は、パーマー86歳。ニクラス75歳。

この写真は数年前、米のスポーツ専門局ESPNに掲載された時のもの。その時点で既に七十代の後半。贅肉一つない身体と、はち切れんばかりの大腿部。そして黒々とした体毛。こんな芸当が出来るのは、ゴルフ界広しと言えども、フィットネスおたく、ゲイリーしかいない。

実は私、ゲイリーの全裸を、生でしっかり目に焼き付けている。かつて南アフリカは、アパルトヘイト政策を固持。それが理由で世界の多くの国、そして五輪などからも、閉め出されていた。日本もその一つ。その禁が解け久々に来日。私はその時トーナメントで、一週間ゲイリーのキャデイを任された。勿論二十数年前のこと。

それより前、私はロープの内側(Between the Ropes)の連載を開始していた。通常の取材では届かない、競技中のプロの心理状態。その領域での報道。手始めがピア・ニルソン。いま人気絶頂のティーチングプロ。続いて超大物、トレビノ、チチ。四人目がゲイリーだった。

選んだ条件は二つ。世界的なプロであること。上背が私と変わらぬこと。

ゲイリーの表示は170センチ。実際は167センチ。小さい人は鯖を読むもの。だが腕が非常に長い。手長猿の如し。だから身長以上の、大きなスイングアークが可能になる。長胴短腕の我々の逆。更に凄かったのが、二十歳の若者さえ脱帽する、引き締まった腹筋だった。

日本へ戻ってきた時、記者会見したゲイリーと、同席した私。この写真は、日本のゴルフダイジェストの、グラビアにも掲載された

日本へ戻ってきた時、記者会見したゲイリーと、同席した私。この写真は、日本のゴルフダイジェストの、グラビアにも掲載された

ツアープロたちは跳ね発ち。最終日成田へ向かう前に、大多数がゴルフ場で入浴する。脱衣場で待つ私の前に、有名プロがフルチンで、次々現れる。余談だが彼らは風呂で、前を隠さない。シニアのプロだから、多くが太り気味。そんな中ゲイリーの裸体は、圧巻だった。

プロとキャデイの一週間。ラウンド後、一緒に遅い昼食をする。一日重いバッグを担いだ私は、当然のように、大きなジョッキのビールを飲む。それに対しゲイリーは、同じ大ジョッキでも並々の牛乳。そして、こう言われた。

「デューク、無理強いはしない。でも身体のことを考えたら、ビールより牛乳だと思う」。

朝食で、私はかりかりに焼いたベーコンが大好き。ゲイリーは、ベーコンばかりかソーセージ類にも、手を付けない。

好むのは黒パン。タップリの野菜、果物と乳酸品。そして魚類etc。

「私は、伝統的な日本食が好き。健康食だから。それ故むかしの日本人は、病と無縁だった」と自説を説く。

「ベーコン、ソーセージ等はコレステロールの元。それが心臓の機能に、マイナスに作用する」。これが理由だった。

そして80歳の、いま現在でも、これだけの肉体を、マスメディアで公表する自信。ローマならず、健康も一日では成らず。この部分、ゲイリーにはただただ、脱帽するばかりだ。Happy Birthday Gary。

(Nov.2nd.2015)