全米プロ選手権ドラコン賞の、格好いい使われ方

1963JWNPGA$$Clip_18_01終わったばかりの全米プロ選手権。火曜日。舞台のウイスリング・ストレイツ2番ホール(パー5)で実施された、ロングドライブコンテスト。アニルバン・ラヒリは327ヤードを記録。堂々の一位を勝ち取った。日本の場合だと、30万円とかの賞金が贈られ、それは個人の懐に消える。

流石は99回の歴史を誇る全米プロ。出す賞が洒落ていた。

賞金は、彼の名前での、2万5千ドル相当の寄付行為。その団体を指定すると、主催のPGAオブ・アメリカが、指定されたチャリティ団体に、同額の小切手を送る。

今回ラヒリが指定した先は、アメリカンレイク退役軍人ゴルフコース。ワシントン州タコマの9ホールのゴルフ施設。イラクやアフガンで身体を損傷した退役軍人。彼らのリハビリのための専用施設。ここはまたジャック・ニクラスが、設計を奉仕で引き受けている処。ラヒリが獲得した2万5千ドルはそこへ送られた。

(All three photos are courtesy of Nicklaus Companies)

(All three photos are courtesy of Nicklaus Companies)

一億円以上の優勝賞金を手に出来る米ツアー。そのチャンスがある彼らにとって、2万5千ドルは、懐に仕舞い込む必要のない額。それに代わりラヒリには、金色に輝くマネークリップが、PGAオブ・アメリカから贈られた。

ツアープロは世界を旅する職業。その時小銭を挟むマネークリップは、重要な小道具。誰もが「それ、ナニ?」と関心を持つ。自己顕示の絶好の小道具。2015年ドラコン王。生涯付いて回るこの名誉が、この小さなクリップで、誰にでも分かって貰えることだ。

話は設計者ニクラス。彼は全米プロ選手権で、最多の5度優勝。それ以外でも36度の出場で、12度のトップ10フィニッシュを記録している。帝王ニクラスの強さを、まざまざと示す数字。そのうちの一度は1963年。この時もドライビング・コンテストは実施されている。勝者は言わずもがなニクラス。

驚くのは、彼が飛ばした距離だ。当時の用具は、ドライバーもボールも、現在と比較して、遥かに飛ばない、パーシモンと糸巻きボールの時代。52年前のこと。その時ニクラスが記録した数字。それは341ヤード17インチだった。今回156人の中で、一番飛ばしたラヒリを、14ヤード、アウトドライブしている。

果たして今回の全米プロ選手権。その出場者が、52年前の糸巻きボールを、パーシモンウッドで打ったら、どんな飛距離が計測出来ただろうか。興味は尽きない。

AmericanLk_JM15_216ちなみにニクラスが勝利した全米プロ選手権の舞台。それらは1963年(ダラス・アスレティッククラブ)、1971年(PGAナショナル〕、1973年(カンタベリー)、1975年(ファイアストン南コース)そして1980年(オークヒル〕、何れも名コースばかりだった。

ここに添付した写真は、その中でも初優勝した52年前のモノ。モノクロの写真が、時代を感じさせる。偶然だが同じ1963年11月22日、ケネディが暗殺されている。そんな時代に、それほど飛ばしていた。ニクラスは強くて当然だったのだ

話はラヒリの2万5千ドルに戻る。それが贈られた退役軍人用のゴルフ施設。その写真も添付した。実に格好よい使われ方では、ないだろうか。

なおラヒリはインド人のプロ。米ツアーの前は、アジア各地を転戦していた。今回全米プロ、5位の好成績。秋のプレジデンツカップ出場の、チャンスが見えてきた。

(Aug.17.2015)

260年、R&A始まって以来の大失敗

 主賓のいない、殿堂入り記念撮影。最前列右パーマー。左はプレーヤー。中央二人はオメーラ(右)とグラハム(左)。その左右のロペスとアニカ。さらに中列にも、ブラッドリーたち殿堂入りした、多くの女性。そんな中、肝心要のデイムLauraは、間に合わなかった。パーマーの様に、自家用ジェット機で移動する、成功者も少なくない。気が付かなかったのだろうか。(coutesy of R&A)

主賓のいない、殿堂入り記念撮影。最前列右パーマー。左はプレーヤー。中央二人はオメーラ(右)とグラハム(左)。その左右のロペスとアニカ。さらに中列にも、ブラッドリーたち殿堂入りした、多くの女性。そんな中、肝心要のデイムLauraは、間に合わなかった。パーマーの様に、自家用ジェット機で移動する、成功者も少なくない。気が付かなかったのだろうか。(coutesy of R&A)

今年の全英オープンは、セントアンドルーズのオールドコース。予報通り大型低気圧が直撃。最終日が月曜日に、持ち越される。27年ぶりの事態。そこではアマチュアが、最終組でスタートする。歴史的出来事が重なった。

そのため多くが忘れがち。そんな喧騒の中、週はじめ月曜日のエラーは、私ばかりか、多くが許せない気持ちになった。

ゴルフの殿堂。これがあるのは、米フロリダ州セントオーガスティーン。そんな事で従来は、殿堂入りの式典を、ザ・プレーヤーズ週初めに実施してきた。今年の殿堂入りは4名。マーク・オメーラ、デビッド・グラハム、ローラ・デイビイズ。そのローラの名前には、デイムDame(knightに相当する勲位に叙せられた女性の敬称)が付く。4人目が、私の好きな設計者A.W.ティリングハスト(故人)。

ゴルフ界は、いま規模を大きくすることに、血道を上げている。その一つがイベントを、一ヶ所に集中すること。その一つとして、今年の殿堂入り顕彰を、全英オープンの週の月曜日に設定した。

透かさず、何人もの旧知から「そりゃあ、駄目だよ。肝心のローラが出席できない。時間的に」との、心配意見が多数交わされる。

大西洋には、5時間の時差がある。そればかりか、セントアンドルーズは、欧州北の外れ。加えて全英前週は全米女子オープン。開催場所は、ペンシルベニア州のランカスター。ローラが最終日迄プレーしないはずはないし、予定通りなら殿堂入りの顕彰は翌日午前。5時間の時差を差し引いた時、民間機使用では、それ迄の到着は不可能。

早くから危惧されていたこと。直前の全米女子オープンの週になり、心配の声が、急激に大きくなる。

「チャーター機を、飛ばすべき。それならギリギリでも間に合う」。「何しろ相手はローラ。一時代を築いた英国人。何としてでも、彼女を出席させるべき」。当然のこと。最も強く動いたのが、歳下ながら、先に殿堂入りを果たしているカリ・ウエブ。

然し結果的には、チャーター機も飛ばず。記念写真はこの様に、主役デイムLaura不在の儘、撮影されて終わった。

全英オープン前週のランカスターは、全米女子オープン。主催はR&Aと表裏一体のUSGA。だったら殿堂入りの、セレモニーを一日ずらし、火曜日に行うことだって出来たはず。

R&Aと言うか、ゴルフは形が作られてから約260年。男だけの遊び。ゴルフ場、そしてクラブは(男どもが、女房から逃げ出す場所)だった。私がセントアンドルーズを初めて旅。オールドコースを、初体験したのは1975年5月1日。この時も午後のスタート前。知り合いイアン・ジョイに、連れて行かれた彼らのクラブ。そこでは午前中だと言うのに、全員がラガーやスコッチを楽しんで居た。40年前の日本人には、大きなカルチャーショックだった。

それはさておき、260年前と言えば、日本は江戸中期。世の東西を問わず、男尊女卑が当たり前の時代だった。そのR&Aが、今年から女性にも、クラブを開放した。会員として迎えられたのは、アニカと共にデイムLaura。もう一人いた。レネ・パウエル。70年代の終盤頭角を現した、アフリカ系の女子プロ。「黒がツアー活動など許せない。多数の脅迫状が届いた」時代。

いまはオハイオ州で、ゴルフ教室を展開している。そのレネも、会員に迎えられた女性だった。そんなことでデイムLauraに関しては、二つの意味を持った、今年の全英オープン。それは頗る残念な結果で終わった。

なお日本では、デービースとの表記。本人に言わせるとデイビイズ、だそうである。

(Aug.10th.2015)

Rec Parkって、ナニ? 昔ローラ・ボーが育ったゴルフ公園

Linares 1今にして思えば、日本のゴルフ場の、歴史的な失敗。それは何処も、カントリークラブ、と名付けたことだ。

カントリークラブには、通常プールもテニスも、そして乗馬の施設もある。日本に身近なところでは、ロスのリビエラCC。自分たちのモノではないが、ここは近くにサンタモニカの市営空港。州外に住むメンバーは、自家用機で飛来。そして一週間とか、名コースでのラウンド。そして地元に住むメンバーとの、交流を温める。

ちなみにリビエラのホテルでは、昔イチローが、結婚式を挙げている。規模は小さいが格式は高い。それだけに、会員になるには、財布の厚みが必要になる。

Linares 2米国がよくした部分。それは稼ぎの少ない市民でも、小さな出費で楽しめる、ゴルフの施設があること。ロスの場合だと、LA North(いわゆるロサンゼルスCC)と目と鼻の先に、ランチョパークがある。北米大陸を代表する、大衆の憩いの場。ここではかつて、クリントン大統領がラウンド。その時の記念碑が、ハウス近くに建てられている。勿論リビエラで四大競技が開催される年。その時はロサンゼルスオープンは、ランチョパーク開催だった。

他にも有名コースの多いロス周辺。一方でこの辺り市営、郡営合わせた公営が数多。その一つは、穴場Rec Park。Recreation Parkの略。私の編集担当プロ、スティーブの家から、車で5分。ここは一ヶ所に18ホールのゴルフ場。ビリー・ジーン・キングが、幼少を過ごした、テニス施設。野球場。サッカーからバーベキュー迄を楽しめる、広大な芝地が一ヶ所に。

その中心が、骨格のしっかりした、クオリティの高い18ホールと、二階建て白亜のクラブハウス。その二階には、かつてプロフットボールNFLのチーム(ロサンゼルスRams)が、オフィスを構えていた。まさにRecreation Parkそのものだった。

Club House 4古き佳き時代。フェアウエイの妖精、ローラ・ボーを覚えているのは、かなりの世代。七十年代の初め。ジャンボの登場で、歴史破りの急成長を始めた日本のゴルフ。金髪と笑顔。超ミニのスカート。それがローラ。カメラマンは外聞もなく、全員が超ローアングル。ティグラウンドが高い、東京よみうりなどは、打って付けの場所。それでいて優勝を争う腕がある。

この様な女子プロ、呼ぶ側としては、毎週でも欲しい。そこでエージェント、IMGが画策したのは、ローラ・ボーのカレンダー。カレンダーなら、世の男性の部屋で、毎日微笑んでくれる。これが当たり、長いこと超ビッグセラー。日本の窓口を、一手引き受けたゴルフダイジェストは、そのお陰で「ビルが一つ建った」と言われた。

18th Big RecInspections 285Rec Park 18 007Rec Park 18 023そのローラー・ボーが育ったのがRec Park。「お母さんに連れられ、放課後毎日、練習グリーンで日没まで過ごした」(スティーブの話)と言う。

言わずもがな、ビリー・ジーン・キングは、テニス史を飾った、最も偉大な選手。そのビリー・ジーンからローラ迄が、同じレクリエーション公園で育った。それは偶然ではなく、施設の優秀さ。そして同時に、街中に位置していた。そのことなのだ。

Aeiral Rec 9 & 18私にしても、東へ行く時は、シカゴ辺たりで乗り換え。またアリゾナへ直に行く時はLAXで乗り継ぐ。それ以外の時は、レンタカーでスティーブの家へ直行。打ち合わせ終了を待って、Rec Parkへ直行。Coors片手に、薄暮の9ホールで球を打つ。一緒に回る連中。「10時間も飛行して、疲れていないのかい?」と問うが、これが問題なし。スティーブの家でシャワー。その後寿司(鯉と言う日本人経営の店)か、デッカイチーズバーガーを平らげてバタンキュー。それで時差は、ほぼ消える。事ほど然様に、街中のゴルフ場は役に立つ。

日本の約2400のゴルフ場は、その殆どがカントリークラブ。一方米の1万7千は、その6割以上がパブリック。その代表が(My Favorite)Rec Parkなのです。皆さんも、南加州へお出かけの折は、是非ローラ・ボーのコース、ラウンドを。

(Aug.3rd.2015)

全英スタートアナ。銀髪ドブソン40年の輝き

忙中閑あり。全英オープン歴代勝者、南アフリカのルイ・オストハイゼンと、暫しの雑談をする全英オープン、練習日のロブソン(coutesy of Global Golf Post)

忙中閑あり。全英オープン歴代勝者、南アフリカのルイ・オストハイゼンと、暫しの雑談をする全英オープン、練習日のロブソン(coutesy of Global Golf Post)

全英オープンばかりか、マスターズでも。スタートホールでの、アナウンスは、重要な役割。それは殆ど、オーケストラの指揮者。この場合の楽員は、競技者と、ティグラウンド周囲を埋めた観客である。

腐すわけではない。日本はこの部分が、比較できないほどの陳腐。だから盛り上がりに欠ける。

全英のスタートアナ、アイバー・ドブソンが、初めてマイクを持ったのは、遠く1975年に遡る。海外ゴルフに、詳しい向きには、直ぐ分かるはず。そう、トム・ワトソンが、初出場初優勝した、カーヌスティ。

そのワトソンも65歳になり、先々週のオールドコースで、最後の全英に臨んだ。ロブソンも、アナウンス人生40年に、幕を閉じるには、これ以上のタイミングはなかった。処がその時、舞台を下りた、もう一人がいた。R&Aの代表専務理事、ピーター・ドウソンだった。それにしても、有名な3人もの関係者が、一度にリタイアする。珍しい事だった。

ロブソンに関しては、経歴より彼の一日の動き。それを説明する必要が重要。

全英オープンのティタイムは、最初の組が早朝6時32分。最後の組が午後4時13分。約10時間の長丁場。その間に、ただ名前を呼び上げるだけではない。競技者を一人各々、丁寧に紹介する。156人の中には、変わった経歴も少なくない。欧州のファンにとっては、聞いたこともない名前。ちなみに木曜日最終組の一人は、日本からの手島多一だった。

遠来の選手。彼らの心を和ませ、観客と打ち解けさせる。アウエイのある野球などと違い、ゴルフは全体がホーム。金曜日、荒天による中断で、スイルカン橋を渡ったのが、夜10になっていたワトソン。この日はドブソンにとって、殊の外長い一日だった。

太平洋マスターズは、かつてゴルフの黒船だった。1972年の第一回大会。パーマー、ニクラスを除く米ツアー勢の主力が勢揃いした。秋10月。会場総武CC一番ティグラウンド。ここでもメジャーのスタイルは、当然取り入れられた。

スタートアナは、デスクジョッキーの草分け、ケン田島さん。石原裕次郎とヨット仲間は、女王陛下の英語を話す、憧れのバイリンガル。そんなことで米ツアー勢は、全員がスタート前に、ケンさんと嬉しそうに会話をする。若いクレンショウやカイトの、ケンさんに対する敬意を払った態度。

そんな中、毎朝賑やかだったのがリー・トレビノ。彼は観客を笑わせる。そのため充分なだけの、ネタを仕込んで、一番ティグラウンドに立つ。中心は笑わせること。だが時にはペーソスも。何しろ引き出しは大きい。

そんな才能が、一番ティグラウンドで、ケン田島さんと、掛け合う。観客に受けないはずがなかった。それはまさに、オーケストラの指揮者の面目躍如。だが何時の間にか、この風習が消え、いまではテレビ局の、駆け出しアナの、訓練の場に変わっている。味も素っ気もない。彼らに、大衆を盛り上げる能力はないからだ。

ロブソンの後釜が誰か。まだ聞いてはいない。だが来年のロイヤルトルーン。ズッと年齢の下がった後継者の登場は間違いない。

人の集まる所に、有名人は多ければ多いだけよい。それによって、会場が盛り上がるからだ。やや甲高い声。輝いたオフィシャル・スターター、ロブソン。彼は今後も、語り継がれることになる。

(July.27.2015)

21歳スピース。ホーガンの道は遠かった

レギュレーション・プレーから延長まで。パットを入れまくったベテラン、ジョンソンにGrand Slamの夢は、打ち砕かれた(Global Golf Post提供)

レギュレーション・プレーから延長まで。パットを入れまくったベテラン、ジョンソンにGrand Slamの夢は、打ち砕かれた(Global Golf Post提供)

フロリダの自宅で、テレビ観戦していたニクラス。彼の口から繰り返し、感嘆詞「WOW」が飛び出した。その時頻繁に出た、もう一つの言葉。それは「彼らは実に強い気持ちで、プレッシャーを克服している」だった。

言及したのは、プレーオフに残った3人だけではない。一打差でチャンスを逃した、ジョーダン・スピースにまで。

「プレッシャーの掛かった、メジャー3連勝。その状況で、ここ迄残った。大変な競技者。ただ結果が付いてこなかった。それだけのこと」

今回の全英で、スピースが比較された先達は、何人もいた。ニクラスもその一人。それ以前には1930年のジョーンズ。それに続くパーマーもいた。然し最も強く対象されたのは、ベン・ホーガンだった。

遠く1953年。マスターズを獲った後のホーガンは6月。オークモントの全米オープンでも頂点に立つ。大西洋は船旅の時代。それにも拘わらず、全英と全米プロの日程が詰まっていた。それも理由でカヌースティに渡る。そしてトムソン、リース、ストラナハンに、4打差を付け圧勝した。

グランドスラム競技のうち、出場した三つ全部で優勝した。全米プロに出場していれば、果たして勝っていたか。

それより前、ホーガンは、交通事故で瀕死の重傷を負っている。「歩行さえ困難」との診断。それを乗り越え、1950年メリオンの全米オープンで復活した経緯がある。それだけに「一日18ホールだけなら兎も角、それ以上のプレーが必要なマッチプレーでは」との不安は、当然拭い切れなかった。

それは兎も角、カヌースティから戻ったホーガン。彼を待っていたのは、ニューヨーク五番街でのパレードだった。聳える摩天楼から散る紙吹雪。これは世界のパレードで、最も派手な場所。

後2009年、MVPゴジラ松井の活躍で、ニューヨーク・ヤンキースが、27度目のワールドチャンピオンに輝く。この時のパレードも、ホーガンの時と同じ五番街だった。もしスピースが優勝していれば、ホーガン同様、五番街のパレードが、見られたかも知れない。そう思うと残念だ。

話は今回の全英オープン。予報通り天候が荒れ、最終日は27年ぶりの月曜日。絶好調だったジョンソン。彼までが、コースに15時間以上貼り付けにされたことで後退した。

日本ツアー勢は全滅。その対局だったのが、若い学生のアマチュア。事に54ホールで首位タイ。最終日を最終組でスタートした、アイルランドのポール・ダン。注目された。

「スピースは、結果として優勝に届かなかっただけ」。ニクラスの言葉通り、巨大なプレッシャーの中で、21歳とは思えぬ、自制心を最後迄、失わなかった高い能力。1953年のホーガンには届かなかった。だが世界から、これだけ選りすぐられた競技者が、鎬を削る大舞台。そこで21歳が、マスターズと全米を連取した。それだけでも、歴史的快挙なのだ。

補足説明になるが、四大タイトル18個のニクラス。彼でさえ優勝を争いながら、2位と3位に終わったメジャー競技。その合計は28に達する。ただ一人の勝者になる。容易ではないことなのだ。

この27日22歳になるスピース。ダンたちとの、新しい時代が始まった。

(July.21.2015)

スピース四冠への行進は、一瞬の輝き

絶対の本命視されているスピース。オールドコースでの木曜日はジョンソン、松山との組み合わせだ(PGA TOUR.com提供)

絶対の本命視されているスピース。オールドコースでの木曜日はジョンソン、松山との組み合わせだ(PGA TOUR.com提供)

Club of five members。これは世界で最も小さく、限られた人数のクラブ。構成しているのはジーン・サラゼン、ベン・ホーガン、ゲイリー・プレーヤー、ジャック・ニクラス。そしてタイガー・ウッズ。

全米オープンの2位が6度。そのうち何度も、最少ストロークに迫りながら勝てないミケルソン。この夏彼は45歳の、誕生日を通過。彼の目の前で、ナショナルオープン選手権の、トロフィーを抱いたのは、21歳のジョーダン・スピースだった。

年間四冠と言えば、1930年のボビー・ジョーンズ。その後私たちが意識したグランドスラム。その快進撃はパーマーだった。

1960年パーマーは、マスターズ、全米オープンを連覇して、セントアンドルーズに乗り込んでいる。然しネーグルに1打の遅れを取った。時差の悔しさというか。パーマーは翌年から、全英オープンを連覇している。

一年でも勝利の時間がズレていれば、その後の全米プロでの、グランドスラム達成が観られたモノを。尤もパーマーは、その全米プロだけが獲れず、生涯グランドスラム。そしてClub of five members入りも果たせなかった。

1960年全米オープンで、パーマーに逆転されたのは、当時大学生のニクラス。その後プロ転向し、1972年マスターズと全米オープン連覇。その勢いで大西洋を渡る。舞台はミュアフィールド。だが当時絶頂だったトレビノが立ちはだかった。1打差でグランドスラムへの行進は、阻止された。

説明がややこしくなるが、その前71年ニクラスは、全米プロで優勝している。そうなると同一年ではないが、72年のミュアフィールドで、四冠達成。その可能性があった。

四大競技で、優勝を争う様な連中は、競技者としてピークにある時。この頃のリー・トレビノも強かった。

彼のメジャータイトルは計6個。マスターズ以外は、それぞれ2勝している。然もそのうちの4度は、ニクラスと競り合い、ニクラスを蹴落としての優勝。そんな過去を見ていると、今週のスピース。意外な伏兵にMarching into historyを阻まれる。そんな可能性を読んでしまう。

その一人は、かつてのWR一位、リー・ウエストウッド。彼に関しては、スピースの対抗馬、と言うより、私個人として見てみたい優勝者。それに対し英国の読者からは、共鳴の声が結構届いている。

42歳。全英オープンは2009、2013年3位。2010年には2位。特に2009年の時は、60歳を目前にしたトム・ワトソンが、プレーオフに残った時。英国の看板を、長いこと背負ってきたプロ。その彼に一度は、クラレットジャグを抱かせたい。そう願うのは、私一人ではないのだ。

それでも、米英記者仲間の予想は、ほぼ百%がスピース。21歳に重圧はないのか。何れにしろ、年間四冠に向かって進撃できる。これは各々の人生にとって、一瞬の出来事でしかない。勝負の筋書きは、誰も書けない。

(July.15.2015)

全英欠場マキロイと、タイガー26歳の時

左足にギプスをしても、元気溌剌のマキロイ。今週の彼は、専らウインブルドンのテレビ観戦だ

左足にギプスをしても、元気溌剌のマキロイ。今週の彼は、専らウインブルドンのテレビ観戦だ

マキロイは、全英オープンの前年優勝者。然も舞台は、ゴルフの聖地オールドコース。その彼が月曜サッカーで、左足首靱帯断裂の怪我。その時、多くが「この大事な時に、仲間とサッカーをする。誘惑を断ち切れなかった。まだ子供」とコメント。

その時の発表では「出場のチャンスは10%」。それに対し私は、次のようにコメントした。

「10%は大きい可能性。特に26歳の若者。回復は早いはず。この先10日、医師の指示にしっかり従うこと。幸運を」。

私はマキロイに、好感を抱いている。理由はメジャー4賞のビッグネームが、他の部分では、あっけらかんとして、失敗を繰り返すおおらかさ。一つの例が、招待状まで発送しながら、キャロライン・ウオズ二アッキとの結婚を破棄した、一年前5月の出来事。それにも拘わらず、その週の欧州ツアー旗艦競技BMWPGAで、最終日大逆転優勝を演じた。

勢いは7月以降も止まらず。全英オープン、全米プロを連取。生涯グランドスラムへ、一気に王手を掛けた。失敗にくじけぬ前進。まさに若者の特権だ。

失敗はまたしても訪れた。然しそれに対する対処。これも潔く鮮やかだった。

「残念ながら今年の全英は、欠場します。百%回復し、百%コンペテティブなゴルフが、出来る迄は」。
勿論父親や、マネジメント会社スタッフの、助言は欠かせない。それにしても、ここ迄スパッと決断できる。当たり前なのだが、私は称賛したい。そして思い起こすのが、タイガー26歳の時だ。

中学時代のタイガー。この頃ジュニア競技に出て来る子供達の第一の目標。それは競技後、同じ中学生タイガーのサインを貰うことだった

中学時代のタイガー。この頃ジュニア競技に出て来る子供達の第一の目標。それは競技後、同じ中学生タイガーのサインを貰うことだった

その前タイガーは、二千年の全米オープンから、翌年のマスターズ迄、メジャー4連勝した。いわゆるタイガースラム。それは「日の没する時なし」と豪語した、かつての大英帝国を、彷彿させる強さだった。

だが、そこ迄の活躍を続けながらも、タイガーは致命的な弱点を、抱えていた。それが繰り返し、メスを入れざるを得なかった、痛めている左膝だった。

ピークの下降は、意外な速度で襲う。それが注目されたのが、2008年の全米オープン。この時勝つに勝ったが、プレーオフは、左足を引き摺っての18ホールだった。

そして39歳のいま。タイガーは此処までの5ヶ月間で、80台のスコアを三度叩いている。最盛期平均スコアが、69を切ることさえあった男が、いま十数打悪いスコアを打つ。まさに、「無事でなければ、名馬に非ず」を、身をもって証明しているのが、現在のタイガーなのだ。

タイガーの左膝痛は、慢性的なモノ。それに比べマキロイの左足首。それは偶発的なモノ。本人の言う通り、的確な治療と、その後のリハビリをしっかり行う。それで「百%回復と、百%コンペティティブ」状態回復は、十分期待してよいはず。

既に何の関係もないが、同じ週キャロラインは、ウインブルドンで、4回戦敗退している。それもズッと格下に。

人生は常に初舞台の連続。マキロイが怪我から復帰し、優勝した時。熱狂は以前にも増して、大きくなるはずだ。

(June.09.2015)

29年連続完売。全米オープン、来年の切符が、もう買える

昨年のパインハーストNo.2は30万人。コースのタイプとして、それには及ばなかった。それでも、このスピースの、ウイニングパットに、3万1千人が熱狂した(Global Golf Post)

昨年のパインハーストNo.2は30万人。コースのタイプとして、それには及ばなかった。それでも、このスピースの、ウイニングパットに、3万1千人が熱狂した(Global Golf Post)

前売り券が完売する。ミズモノ商売のショービジネスで、主催がこれほど、心安らぐことはない。

6月の全米オープン。目新しい舞台と、21歳ジョーダン・スピースの優勝。多くが声援を送った。その数は連日3万1千。あれだけの顔触れ。当たり前の数。だがこれが29年連続の完売と聞けば、いささか驚くに違いない。

恒例のことだが、全米オープンは今年の競技開始と同時に、翌年の前売り券を売り出す。かつては郵便で申し込んだ。それが現在はネット販売。一日とは言わないが、完売に要する時間は、瞬く間。

来年の全米オープンは、ペンシルベニア州のオークモント。遠く1962年、22歳ジャック・ニクラスが、プロ初勝利。それも宿敵パーマーの本拠地で飾った。その歴史的な舞台。開催期間は16年6月16日から19日。その切符が6月15日。既に発売になった。

今年の全米オープンが、6月18日初日だったから、その前。何と手際のよいことか。値段は各種。最も一般的なのが50ドル。これ日本なら、3千円見当か。その先は飲食など、会場で受ける待遇に応じ、値段が上がって行く。

ただし50ドルの切符で入場すれば、丸一日全米オープンの熱狂に浸れる。悪くない料金だ。何しろ世界ランクの上位が勢揃いする、豪華な顔触れなのだから。

別の業種の話。5月4日、パッキャオvs.メイウエザーのタイトルマッチ。会場はベガスの、MGMグランドガーデンアリーナ。普段でも自家用ジェット機で混雑するベガスの空港。この日は満杯状態が、映像で送られてきた。人が集まればカネが落ちる。ベガスならではの商法。

質の高いショーを用意すれば、世間の注目を集める。切符は捌ける。ゴルフからボクシング迄、彼らの商売上手に、常に感心させられる。それにしても、一年前に切符を売り出す。それも1日3万1千枚。これって結構、手間暇が掛かる。何故なら購入した人達。彼らは1年先の予定を、押えなければ、ならないからだ。

遠路の場合は、宿泊や交通手段の予約も必要になる。

同じシステムを採用しているのが、4月のマスターズ・トーナメント。ここでは年内クリスマス迄に、招待競技者が決定。それを受け、正月明けを待って、登録されているパトロン(観客)一人々々に郵便を発送。「あなたは今年も、マスターズを観戦する機会を、与えられました」。手続きを勧める内容だ。

その様なシステムの中で、多くのパトロンは、10年も20年も、連続して、オーガスタの一週間を漫喫している。マスターズの場合、ギャラリーとは呼ばない。パトロンとは、マスターズそのものを育てる、と言う意味を持つ。

その様な歴史と伝統。その同じことがナショナル選手権、全米オープンでも実施されている。それが1年前の切符売り出し。そして29年連続の完売。その実績なのだ。これでゴルフに、人が集まらないはずがない。

それに比べ、日本のゴルフは大きく遅れている。その端的な部分。それがこのシステムの違い。毎週4日間で、日本の観客は1万人前後。全米オープンの、1日3万1千にも及ばない。その差は50年。更に広がるだけだ。

(July.06.2015)

時代の要請。ニクラス12ホールコースに本腰

人生ズーッと赤絨毯の上を歩いて来た男が、理想とする12ホールのコース造成の現場で、シャベルを持つ。帝王ニクラスの日常は、まさに八面六臂と言える(Photos coutesy of Nicklaus Companies)

人生ズーッと赤絨毯の上を歩いて来た男が、理想とする12ホールのコース造成の現場で、シャベルを持つ。帝王ニクラスの日常は、まさに八面六臂と言える(Photos coutesy of Nicklaus Companies)

ニクラスの本拠地は、フロリダ州南部の、ノースパームビーチ。全米オープンを挟んだ約十日間で、日本、中国など海外3カ国。米では6つの州を移動。ビジネスを展開している。フロリダから中国までだから、直線にしても、地球を半周するに等しい距離になる。

最初の数日は、全米オープンの、チェンバース湾コース。そしてニクラスが自家用ジェット機を、最後に駐めたところは、米の西部ユタだった。

トレビノ、アーウイン達、多くのトッププロと、出会ってきた。彼らも才能は、半端でない豊かさ。だがニクラスのそれは、桁違いなのだ。自分がプレーするだけではない。メモリアル・トーナメントを立ち上げた、発想とエネルギー。その後彼は、ケイマンボールの必要性も、話題として世間に送り出した。例の飛ばないボール。

そしてここ何年も、ニクラスが本気で、取り組んできたのが、2時間半で終了する、12ホールのゴルフ。子供や高齢者には、カップのサイズも大きくする。その考えを加えた。ケイマンボールから、この12ホールのゴルフ迄。そこでニクラスが、脳裏に描いているのは、時代の先取りなのだ。

18個ものメジャータイトルを獲ったプロが、そこ迄多岐にわたり、才能を見せる。脱帽させられるだけだ。

ユタ州の施設は、ニクラスに言わせると「12ホールの、ショートコース。またはゴルフ公園」。開場は来年春か初夏。それより前全米オープン期間中に、ニクラスが請け負った仕事。それは身体に損傷を負った退役軍人の為の、特殊なコース。ニクラスの設計料は高い。そのニクラスが、ここでは1ドルも受けず、総て奉仕で請け負った。

それぞれ身体に損傷を負った退役軍人が、ニクラスの話に真剣に耳を傾ける。これは全米オープンの週に、撮影したもの。いまニクラスは、紛れもなく、ゴルフを通した”米国の偉大なオヤジ”だ

それぞれ身体に損傷を負った退役軍人が、ニクラスの話に真剣に耳を傾ける。これは全米オープンの週に、撮影したもの。いまニクラスは、紛れもなく、ゴルフを通した”米国の偉大なオヤジ”だ

同様に、高が12ホールの、ゴルフ公園。そのコース設計を、ニクラスが受ける。自家用ジェット機で出掛け、採算が取れるのか。俄には信じ難いこと。だが、これが時代を読む、ニクラスの感性なのだ。

「16世紀から、プレーされてきた」と言われる、オールドコースでのゴルフ。日本語では、ゴルフの聖地。英語ではHome of Golf。そこには蛸壺バンカーや、一日に四季があると言われる天候。それらに耐え18ホールを、ラウンドする全英オープン。

その一方で戦後70年。遊びは世界的に、多様化している。そんな時代に、チャンピオンシップのゴルフはさておき、大衆が遊ぶゴルフで4時間は長すぎる。それがニクラスの判断。そこで普及に熱意を傾けているのが、2時間半で終了できる、12ホールのゴルフなのだ。

同じ状況は、日本でも顕著だ。子供達の時間割はタイト。塾通いやお稽古事。そんな中他のスポーツ。例えばサッカーや野球は、一つのゲームが、1時間半から2時間。それに比べ、ゴルフは(現状では)丸一日がかり。ニクラスは、早くからその部分に、着目して来たのだ。

ゴルフには、異なる二つの顔がある。全米オープン等に、代表されるチャンピオンシップ。もう一つは世界95%以上の、愛好者が楽しむゴルフ。

メジャータイトル18個。地球上で約四百の、チャンピオンシップコースを、設計してきた帝王が、いま12ホールのコース設計に、本腰を入れ始めた。

(June.29.20159)

米国の夢。21歳で奨学金を、出す側になるスピース

日本の遼や松山より若い21歳で、メジャー2試合とも頂点に立ったスピース(courtesy of Global Golf Post)

日本の遼や松山より若い21歳で、メジャー2試合とも頂点に立ったスピース(courtesy of Global Golf Post)

ビル・ハフマンは、アリゾナのゴルフ界、マスコミを牛耳る、長い間の知己。自信家だけに、言葉の端々に強い表現が顔を出す。

金曜日の遣り取り。「盲目的な愛国者ではない。それでもスピースが勝てば、米のゴルフ界は、巨大な熱狂に包まれる。是非とも勝って欲しい」。

さらに付け加えた。

「世界ランクがどうであれ、マスターズに続くメジャー連勝。それが実現したら、現時点でスピースは、疑うことなく世界のナンバーワンだ」。

最終72ホール目のバーディで、ハフマンの(盲目的愛国者の期待)に応えたスピース。彼はまだ21歳。地元ダラスの競技、バイロン・ネルソンに高校生で出場。二年続けて十位前後に留まる活躍を見せたのは、ほんの数年前のこと。その若者が、メジャーを連取し、いま奨学金を出す側に回ると言う。何と夢のある話か。

4月のマスターズに続き、全米オープンでも優勝。数十年ぶりで、グランドスラムが話題になる。だが其れでも世界ランクの一位はマキロイ。スピースは2位。ハフマンが強調するのはこの部分。世界ランクに関係なく、この時点の世界最強は、スピースとの持論。

何れにしろ大きな夢。それを7月の全英まで繋いだスピース。その21歳が驚くことに、奨学金を出す側に回って居る。そんな話が北部テキサスPGAから、このほど届いた。

目下ダントツの賞金ランク。

賞金だけでなく、スポンサー企業との契約金の額も膨大。それらはジョーダン・スピース家族基金として運用されている。

その一部を奨学金として活用する。その話だ。今回の受賞者は2人。ただしこれはスピース家族基金が、直接動くことではない。

米は日本の25倍の大きさ。従ってビジネスやスポーツ組織も、州単位での活動が目立つ。中でもテキサスは広大。そのため南部と北部で別々の行動をする。

ジョーダンが住むのは、北部のダラス。そこでゴルフを中心に、活動する組織が北部テキサスPGA。その中の一つのセクション、ジュニアゴルフ基金が代行し、受賞者の選考から、表彰式までを取り仕切る。

それにしても成功者とは言え、未だ21歳の若者。彼が奨学金を出す側に立つ。この柔軟性。カネが活かされて、遣われていることが判る。

もちろん宗教的な伝統もあるはず。寄付行為に対する、減税など社会システムの違い。これも大きいに違いない。何れにしろ2015年の受賞者は、男女の若者2人。「選考の基準は文武両道。学ぶ身として、オールラウンドの能力。それを評価した」と、北部テキサスPGAの担当者は話している。

この中から、第二のスピースが誕生する。期待は大きい。

(June.22.2015)